温度差
あれから俺は、世間の動きを見もしなかったし、ニュースも見なかった。
目新しい情報がないと感じたし、なるほどと思えるコメントをする人もなく、つまらなかったからだ。
しかし世の中は相変わらず猛スピードで動き続けていた。
そして11月7日、月曜日の朝。
事務所に行く前に軽い気持ちで東京選挙区の開票結果をチェックして俺は目を疑った。
当選者名 (党名) 得票数
ショーゴ(犯罪者の権利を守る会)約101万票
ブラッド(犯罪者の権利を守る会)約53万票
マナミ(安心党)約48万票
ヒナタ(犯罪者の権利を守る会)約26万票
予想外すぎる。
犯権会の候補4人のうち誰か1人くらい当選するかもね、とは思ったが3人も当選していた。落選したのはタクトだけだ。
しかもショーゴは驚くほど多くの得票数だ。
俺が物心ついてから、百万票獲得した人なんて誰もいなかったんじゃないか?
そうだ。
マナミさんの獲得票数は、おそらく組織票がメインだからだろうが、いつもとほぼ変わっていない。
それなのに順位は今までと違う。
前回もその前も彼女は、トップと僅差で2位だったのだ。
つまり今回、投票率がいつもよりずっと高かったということだ。
この結果から俺は、初投票の人たちの多くが犯権会の力になったことを知らされた。
投票した人たちが、犯権会の何に惹かれたのか知りたいと俺は思った。
彼らは、どのようにして犯権会の候補を当選させたいという熱意を持つに至ったのだろうか?
東京のみんなが選挙に積極的になっていたとき、俺は興味を失っていたということか。
俺は一体、いつの間に世の中の動きと反対方向を向いていたのだ?
自覚することもなく…。
そういえば先日ユウキさんが、全国で犯権会の候補が出馬していると言っていた。
東京でこの勢いなら、他の地域でもけっこうな人数が当選していそうだ。
そうなると、犯権会が過半数を取っていることもあり得るのではないか。
しかし『差別をなくそう』しか言っていなかった彼らに、政治的な展望はなさそうだ。
与党になったら彼ら自身が困ってしまうのではないか?
そしてもうひとつ問題なのは改革党だ。
改革党から立候補したユリナさんとカイトさん、二人とも当選できそうだと思ったから俺は予定通り、これまで毎回次点で落選してきたカイトさんに投票した。
それなのに、どうして二人とも落選したのだ?
彼らに何票入ったのか気になる。
改革党に入るべき票が犯権会に流れたのかもしれない。
残念だが、ありそうなことだ。
俺だって安心党では安心できないし、改革党にろくな改革ができないことはわかっている。
そんなことは、みんな知っている。
でも俺は、新しい勢力が出てきたからといってそれが他よりマシとは限らないということも理解している。
これも常識の一部だと俺は思っていたが、違ったようだ。
開票結果をもっと詳しく調べたかったが、仕事に行く時間が迫っていたのでもやもやした気分のまま俺は家を出た。
最寄り駅に着いたとき、ゲートのあたりに立ってなんとなくこちらを見ていた男が、俺と目が合ったら視線をそらして立ち去った。
誰だ?知り合いだろうか?
頑張って考えたら、事務所に着く頃にようやく思い出した。
あれは犯権会のオープンカースピーチを見た時、空き地で見かけた聴衆の一人だ。
思い出せばスッキリする。
あいつも、もしかしたら俺の顔を見て誰だったか思い出そうとしていたのかもしれない。
「おはよう…あれ?ソウさんはまだ来てないんだ」
事務所に入ったら、いつも一番に来ているソウさんの姿が見えない。
代わりに、先週に続きマリさんがすでに自席に座っていた。
「おはよう。
私、初めて事務所のカギ開けちゃった!パスワード忘れかけてて2回間違えちゃった!」
肩をすくめて照れた様子で彼女はそう言った。
「2回間違えた?
今月あと1回間違えたらロックされるぞ」
「そうなの?じゃあ次もし一番乗りしてもカギ開けないで廊下で待ってよう」
アホらしいと思ったので俺は何も言わずに自分のデスクと椅子を組み立てて、仕事の準備を始めた。
ところが
「ねぇマサコさんは選挙の結果見た?」
と話しかけられてしまった。
面倒くさい。
彼女が手元に相変わらずショーゴの写真つきペンケースを置いているうえ、楽しそうな表情をしていることを見れば言いたいことはだいたいわかる。
ショーゴが当選して喜んでいるのだろう。
俺とは相容れない考えだ。
ていうか、いつも選挙を無視していた彼女が今回は投票したようだ。
彼女も投票率アップに影響を与えた一員か、と思うと苦々しい気持ちになる。
「来る直前にチラッと見た。続きは帰ってからでいいや」
背中を向けたまま俺がぶっきらぼうに答えると、彼女もそれ以上は話しかけてこなかった。
「おはよう。
あら、ソウさんまだ来てないのね。ショックで寝込んでないといいけど」
エリカさんが来てコートをかけながら言った。
俺は頷いた。
「選挙のショックで落ち込んでるかもな」
「そうよ。
だって改革党、東京ゼロだもの。
ニュースでも今回は改革党に追い風だってずっと言われてたから、彼、きっと終盤まで期待してたと思うわ。
それなのに、最後に逆転されてしまったのよね」
「あー、そうなんだ。
知らなかった。
最近もう俺、なんか飽きてニュース見てなかった。同じことしか言ってないと思ったからさ。
さっき東京の結果だけは見たけど」
「おはよう。
マサコ、ニュースは面白くなくても毎日見ないとすぐ古くなってしまうものだよ」
ユウキさんが入ってきた。
「ソウさんは今日、13時に来る」
「あら、そうなの。
ショックで寝込んでるのかしら?」
「そういうわけではない。
俺は詳しくは答えないよ。本人が来たら聞いてね」
エリカさんの質問をはぐらかしてユウキさんは、席に座ると俺を見た。
「ニュースを見ていないマサコに教えてあげよう。
全国の当選者は、選挙ができなかった北海道、沖縄、九州を除いて90人。
そのうち安心党が6人、改革党が5人、無所属は大阪のアサヒさんだけ、あとは全部…」
「…犯権会?」
「そうだ」
「まさか」
そんな、78人も?
過半数どころではない。圧倒的な多数だ。
驚く俺にユウキさんは
「ユリナさんの『失言』事件も知らないのか?」
と言った。
「知らない。なんだそれ?
改革党ベテランのユリナさんが失言?」
「うん。
ソウさんが来る前に知っておいた方がいいと思う。知らなかったらきっと呆れられるよ」
それはこういう出来事だった。
選挙キャンペーン期間の最後の金曜日、オンラインでユリナ候補とヒナタ候補の討論会が行われた。
タイトルは『東京選挙区の美人候補対決』とのこと。
たしかに二人とも美人だ。
しかし失礼なタイトルだと俺は思った。
女性ではもう一人、マナミさんも立候補していたのだから。
マナミさんは美人ではないと言いたいのか?
それに、有権者が女性候補の中で美人にしか興味を持ってないとでも言いたいのか?
大臣経験を持ち安心党の重鎮であるマナミさんを敵に回すようなタイトルの討論会によく平気で出たな、と俺はとくにユリナさんに対して思う。
だが、彼女にはそれだけ自信があったのだろう。
自分は美人だと思っていただろうし、討論に勝って当選につなげることができると思っていただろう。
さらに、今回は安心党が落ち目だから軽くあしらっても問題ない、という驕りもあったのかもしれない。
ユリナさんは男女ともに支持者が多い…いや、多かった。
彼女は初めて立候補した時から、健康的な美しさを武器にこれまで3期、東京でトップ当選し続けてきたのだ。
対するヒナタも水着で選挙活動するほどの自信家だ。
討論会のとき、彼女は短すぎるミニスカートをはいていたそうだ。
ちなみにユリナさんは平均的なミニスカートだったとのこと。
似た者同士か。
討論会は、ユリナさんが改革党の公約や自分の考えを述べると、それがまったく差別的でなくてもヒナタが『差別的発言だ』と口をはさんで全て否定する、という流れで進んだそうだ。
何を言っても差別にこじつける。
「ヒナタさんの頭の回転の早さには、俺も感心したよ」
とユウキさんは真顔で言った。
いやいや、そこは感心している場合じゃないだろう。
しかし、ユリナさんがイライラしていることは画面越しにもわかるほどだったそうだ。
その発言はだんだんヒナタへの攻撃に変わった。
そして彼女はついに言ってしまった。
『ようするに、あんたは犯罪者なんでしょ?』
「あれはまずかったね」
ユウキさんは言った。
犯罪歴があるかどうかはプライバシーだから、人を犯罪者と呼んではいけない。
そして罪を犯したあと社会復帰した人を、犯罪者と呼ぶのは間違いだ。
でも、たぶんユリナさんの言う通り、犯権会のメンバーたちは犯罪に関わったことがあるのだろうと俺も思う。
俺はそれを口に出さない。口に出してはいけない。
「ヒナタさんはしめたとばかりに、差別よ!と叫んだ。
これで勝負がついた。ユリナさんへのブーイングの嵐が起きた。
ヒナタさんの作戦勝ちだろう。イライラさせて失言を誘ったのではないかな」
「怖いな。美人対決、誰が企画したんだろう?」
「さあ?どうだったかな?」
「犯権会から誘ったとしたら嫌味だ。ユリナさんになら勝てそうだと思って誘ったのかもしれない」
ユリナさんも、きっとヒナタになら楽に勝てると油断して臨んだのだろう。
そして負けたのだ。
同情するが、負けは負けだ。
「まあ、改革党もその程度だったということだね。
押さえておいた方がいい情報は、こんなところかな」
ユウキさんはそう言って、椅子に座り直した。
あれ?
俺は、ユウキさんとの感覚の違いを感じた。
ユウキさんはまるで、すでに改革党に見切りをつけたかのようだ。
明らかに誘導されたように見える失言であっても、イメージダウンには効果があるということか。
それなら、ますます犯権会が恐ろしいではないか。
思った以上に戦略を持って行動していたことになるからだ。
いつから計画していたのだろうか、とまで考えてしまう。
俺は犯権会に対する警戒心を強くした。
「さて、エリカさんが事務所に来るのは今日が最後だね」
ユウキさんが言った。
「はい。
もうすぐ日本を離れるけど、自分のことより日本がこれから大丈夫か心配よ」
「荷物を運び出すときは誰か応援が来る?」
「ええ、妹が。他に手が空いている家族がいなくて。
15時頃に車で来ると思うわ」
「そうか、妹さんか。
よし、それまでに仕事を終わらせよう。運び出しをみんなで手伝えるように」
事務所で社員が使っている備品や道具は、会社から補助をもらってそれぞれの社員が買ったりリースしたりした私物だ。
エリカさんはよくある家庭用のデスクと、ピンクのバランスボールが特徴的だった。
このボールがなくなるのかと思うと、本当にエリカさんはいなくなるのだなと実感がわいてくる。
短い付き合いだが、近くにいた人が去っていくのは寂しい。
マリさんも近く退職するから、ユウキさんは先日社員募集の広告を出したが、新しい人が来るのはしばらく先になるだろう。
それまでは男3人の、モノトーンの事務所になる。
ユウキさんはブラック系、ソウさんはホワイト系、俺は購入当時安売りしていたグレーのデスクを使っているから。
最大100文まで会社に出してもらえる備品の費用補助の中で、俺は折り畳み式の安いデスクとチェアのセットなどを買ったが、合わせて10文(円単位で言うなら一万円)にもならなかった。
壊れたら買い替えていいからね、とユウキさんは言ってくれている。
いずれ自分のものになるわけだし、いいものを買おうかと考えたが、商品をいざ選ぶとなると、俺にとって不要なものはやっぱり不要なのだ。
ほぼ毎日出勤するソウさんは俺とは考え方も好みも違って、いいものを使っている。
デスクは立っても座っても使える、高さを変えられる引き出しつきのものだ。
椅子も、座るだけで全身のトレーニングができるという謳い文句の高級品だ。そして立って仕事する時には、ふくらはぎをマッサージする機能がついた電動ブーツを履いている。
デスクの上には、デジタル資料が見やすいように大きなモニターを二つ置いている。
それらの購入にいくらかかったか彼は言わないが、100文の予算を軽くオーバーしたことは間違いない。
でも問題ない。はみ出した分を自腹で払えばいいだけだ。
13時、ソウさんが来た。
少し疲れたその様子を見て
「今日はどうしたの?選挙結果にショックを受けているかと心配したわよ」
とエリカさんが言うと、ソウさんはきょとんとした。
「は?
ショック?
今日はもう関係ないよ。
金曜日、ユリナさんの失言を聞いたときはショックを受けたけれどね。
あれには幻滅したよ。
あんな発言をした彼女をかばおうとしたカイトさんにもがっかりだな。
彼らにはわかっていないのだね、重大さが」
重大さがわかっていないと自分に言われたように感じて、俺はゾッとした。
ソウさんはどうやら改革党に投票していないようだ。
まさか犯権会の誰かに入れたのか?
しかし、それは聞けない。
「僕が今日午前中休んだのは、妻がちょっと体調を崩して、通院に付き添ったからだよ」
「まあ、それはたいへん」
「いや、心配してくれてありがとう。薬を飲んで落ち着いたから大丈夫だ」
「よかったわ」
ソウさんとなら、改革党の落選について愚痴を言ったり犯権会の文句を言ったりできるかと思ったが、そうではなさそうだ。
彼もまた、すでに改革党を捨てて犯権会に乗り換えたようだ。
ニュースや選挙のキャンペーンをリアルタイムで見た人は、何か意識が変わったのかもしれない。
でも俺はそれを見てないわけだし、犯権会は好きではない。
失言しても改革党のほうがトータルで考えれば常識的だと俺は思ってしまう。
ユウキさんが主催する『当番派』サークルに入って、俺は外でなかなか話しにくい政治の話題でも楽しんで話せる場所がやっと見つかったと思った。
だがこのぶんだと、しばらくサークル内でもみんなが改革党や犯権会をどう思っているか様子見だ。
発言に気をつけながら、俺と同じ考えのメンバーを探してからでないと本音は言えない。
外で言ったら袋叩きにあうようなことでも気兼ねなく言い合える仲間が欲しい、と俺は思った。