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右往左往

次の月曜日は、俺にとって驚き続けの日だった。



まず朝、事務所に行って10時にマリさんが駆け込んできて、直後にオニオンスープを片手にユウキさんが


「おはよう」


と入ってくるまでは問題なかった。


ところがそのときマリさんが、とんでもないことを言い出した。



「みんなそろったから言うね。

私も、エリカさんと同じ来月10日で退職したいと思うの」


「は?」


ユウキさんの顔つきが不機嫌そうなものに変わった。


マリさんは一瞬、目をそらした。

通りにくい要望を主張しているという自覚はあるらしい。

しかし彼女に妥協するつもりはなさそうだ。


「いいわよね?」


「いきなり何だ?君一人で勝手に決めないでくれ。

相談もなしにそんなことを言われても困る。

だいたい来月10日では、今日から数えて25日しかない。退職に関する契約に違反しているぞ」


「えー、そんな契約あったっけ?

じゃあ、いつ以降なら契約に違反しない?」


「来月17日だ」


「じゃあ、来月17日で退職する。

どうしてかというとね、私も移住することにしたから。

でもカナダじゃなくてオーストラリアよ」


「移住!?」


ユウキさんが裏返りそうな声を出した。

俺も驚いた。

先週、エリカさんの話に興味を示していたが、自分が移住したくなったからだったのか。


しかし、この状況で最短で退職しようとするのは不誠実すぎると思う。

エリカさんが担当していたお客さんの一部を彼女が3ヶ月間担当すると、先週決めたばかりなのだから。


自分が担当していたお客さんも、どうするつもりなのだろうか。

そんなにすぐ、後任が採用できるとでも思っているのだろうか。


それとも、どうでもいいと思ったのだろうか。

いや、何も考えていないのだろう。



「マリさん、もう少し待てないのか?今は時期が悪い。

せめてあと3ヶ月仕事を続けられないか?」


「ごめんなさい。夫がもう引っ越しの手配をしちゃったの。

だから来月20日には、自宅が空っぽになっちゃうわ」


「え?

もう手配した?

ということは、移住を決めたのはいつだ?昨日ではないね」


ユウキさんに指摘されると、さすがにマリさんも気まずそうな表情を浮かべた。


「ごめんなさい、先週の月曜日。

家に帰って、夫にエリカさんのこと話したら、僕たちも移住しようよって」


「だったら火曜日には言ってくれよ。

火曜日に打ち合わせできたじゃないか。社員募集の広告も先週出せたじゃないか」


「本当にごめんなさい。お客さんへの連絡とか、データ整理とかちゃんとやるから」


「当たり前だ。

しかし、どうしても日程は変えてくれないんだな?」


「だめなの。夫がもう向こうの住まいも契約しちゃって。

12月になると空港が閉まって出発できなくなっちゃうし」


責められると彼女は急に、夫のせいにし始めた。


彼女の夫は、声や体の動きを作品として発表するパフォーマンスアーティストだそうだ。

雑談している時に何度か話を聞いた限り、強引な人物という印象は受けなかった。

だから夫が決めたから自分にはどうすることもできない、という言い訳に説得力はない。



「仕方ない。やる気のない人に仕事を頼んでも成果は期待できないから、退職を認める。

マリさん、ちょっと緊急で打ち合わせよう。

ソウさんも参加してくれ。

エリカさんとマサコは、今日やろうと思った仕事が終わったら帰っていいよ」


ユウキさんがそう言って、その場で同じビルの中にあるレンタル会議室を予約し、ソウさんとマリさんを連れて事務所から出ていった。


席を立つ時ソウさんは、わざとらしく大きなため息をついた。



エリカさんが悲しそうな顔で三人を見送っていた。

マリさんはエリカさんがどんな気持ちになるか考えなかったのだろうか。

考えたけれど、たとえ傷つけてもしょうがないと割りきったのだろうか。


どんな心理でマリさんが移住を決断したのか知りたい気もしたが、本人に質問するのは…彼女とやり取りするのがおっくうだからやめておこう。


「彼女、オーストラリアに行くって言ったわね」


「言ったね」


「地下生活は、忍耐と協調性が求められるわ。彼女、大丈夫かしら」


「ルールなら守れるみたいだから平気だと俺は思う。

さっきも契約の話が出たらすぐ日程を変えたし」


「あら、そうよね、心配して損した」


エリカさんが笑って肩をすくめたので、俺はほっとした。


それから、やっぱりエリカさんの方がマリさんよりもいろいろ調べたようだな、と思った。


オーストラリア大陸は今は春だから気付きにくいが、約7ヶ月に及ぶ長い冬を地下のシェルター都市で生活する必要がある場所だ。


それは日本とは比べ物にならないほど激しい寒さのせいだ。


港や川が凍るどころか、地面が凍る。

南極大陸から押し寄せる強烈な寒波の影響で毎日何度もブリザードが吹き荒れる。

そんな過酷な環境では、とても人間が地上で生活することはできない。


だから人々はシェルター都市に潜る。それが嫌な人は、渡り鳥のように外国へ飛び立つ。



シェルター都市の中は快適だと好評だ。


広いし、天井が高く圧迫感はないらしい。

レジャー施設などがたくさんある都会や、地下農園に囲まれた田園地域もある。

野性動物たちのためのスペースまであり、まさに世界が地下に再現されているそうだ。


それでも7ヶ月分蓄えた物資を、皆で分け合って使いながら暮らすのがシェルター都市の特徴だ。

通信はできるとはいえ、長い冬の間、外国からの物質的な援助は一切期待できない。


だからルールの厳守や、コミュニティ内の緊密なコミュニケーションがすべての住民に求められる。


エリカさんはその情報をちゃんと知っていたから、彼女から見て協調性のないマリさんがオーストラリアでやっていけるのか心配になったようだ。


でも俺が思うに、マリさんは協調性がないわけではない。

彼女は失礼な優先順位のつけ方をして、しかも優先順位の低い相手にそのことを隠す思いやりがないだけだ。



さて13時過ぎ、昼食後の休憩時間に俺は軽い気持ちでニュースをチェックした。

ユウキさんたちがまだ戻って来ないので、事務所にいるのはエリカさんと俺の二人だ。



「おー、これは無理だな」


「どうしたの?」


「東京選挙区のシステム、復旧したけど」


「よかったわ。どうなるかと思ったものね」


「いやいや、立候補者数がもう二十万人を越えたってよ」


「えーっ!そんなにたくさん?」


俺は立候補した人々の行動力に驚いた。

いつ手続きしたのか知らないが、三万円欲しいからってみんな動きが早すぎる。とても真似できない。


「これ、どうするんだろうな」


「どうすることもできないわよね」


そう言ってエリカさんは苦笑した。


「お金目当ての立候補者たちに三万円寄付しちゃうのは悔しいわ。

だけど、いつもの人たちもきっと立候補しているはずよ。

私たちは慌てず落ち着いて、いつもの人たちの誰かに投票すれば大丈夫」


「そうだね。

次の国会が始まったら、まっさきに三万円法を廃止してくれ、と思う。

けど痛い出費だな。

二十万人かける三万円は…千円で一文いちもんだから…六百万文ろっぴゃくまんもんか」


「六百万文!?

あらやだ。

東京の小型タクシー初乗りが六文だから、百万回乗れるわよ!

million taxiよ!」


「ハハ、もったいないなー。

あ、そうか。『千文店せんもんてん』で千文の商品を6000個も買える!」


「そうよ!衝動買いどころじゃないわね」


俺たちは笑った。


しかし笑っている場合ではなかった。

15時過ぎに仕事を終えて俺たちは帰宅することにしたが、帰る前に東京選挙区の公式サイトを見たらもう、もっとひどいことになっていた。


「候補、さらに増えたぞ。

百万人越えた。信じられないな、東京の成年人口の約三分の一だ」


「みんなサイテー。

議員になりたい人だけ立候補して欲しいわね」


「ふと思ったけど、議員になりたくない立候補者を詐欺の疑いで通報する奴が現れたらどうなるだろうか。

前後の行動とか発言が証拠になって、かなりの人数が有罪になりそうだな」


「マサコさんは時々怖いことを言うわね。

通報する人なんて、きっといないわよ」


「うん…」



しかしその夜、23時半に東京選挙区のサイトを再びチェックしたところ、立候補者は突如81人まで減っていた。


一瞬、見間違いかと思ったが、そうではなかった。


何があったのか。


いろいろ調べていくと、いつの間にか『立候補した人の個人識別情報を犯罪グループが収集している』という噂が急速に広がっていたことがわかった。


その噂を見た人たちが蜘蛛の子を散らすように、立候補を取り下げたようだ。


そして立候補者が減ると、当選したくない人にとっては当選リスクが高くなる。

リスク回避でますます取り下げが加速したのだろう。



…ということを俺が調べている間にも取り下げラッシュは続き、もう一度サイトを確認したら34人になっていた。


24時までまだあと10分ほどある。

きっと、もっと減るだろう。

そして最終的には、国会議員になりたい人だけが残るかもしれない。


この噂、自然に発生したのかそれとも三万円を渡したくないと思った誰かがわざと流したのか…。


考えたって真相がわかるはずもないので、深く考えることをやめて俺は温かい冬用の寝袋に潜り込んだ。



結局、東京選挙区の立候補者は10人で受付終了した。

いつもの6人と、新顔4人だ。


6人の内訳は安心党4人と改革党2人。


安心党はレギュラー3人が再選を目指し、1人はいつもの補欠だ。

そして改革党はレギュラーのユリナさんと万年補欠のカイトさんである。


今回はカイトさんに投票してみようか、と俺は考える。彼は今度こそ当選できるのではないか?

さすがに今は、誰もが変化を求めていると思うのだ。

現状維持がモットーの安心党は人気が落ちているはずだから、今回3人当選は難しいだろう。


安心党も、確実に3人当選させたければ補欠の立候補をあきらめたほうがよかったのに、と俺は思う。


彼らは作戦が下手なのか?

こんなところまで現状維持し続けなければ支持者が離れるとでも思っているのだろうか?

まあ、俺はどっちみち安心党の候補者に投票するつもりがないから関係ない。



新顔が残ったことも意外だったが、4人はどういう人物なのかまだわからない。

日本の政治を変えたいと思ったのかもしれないし、有名になるチャンスだと思ったのかもしれないし、立候補を取り下げ損ねたのかもしれない。


それは近々、選挙広告が解禁されればわかることだ。


今度の日曜日から投票前日まで14日間の『選挙キャンペーン期間』に、彼らが本気の広告活動をするかどうか見ていればいいのだ。



選挙キャンペーン期間中は候補者が、街頭や商業施設で演説したり講演会を開いたり、メディアに広告を出したり、グッズを売ったり、映画や番組を放送したりできる。


候補者の広告番組は、見ていて面白い。


ふだんなら誰も言えない過激な発言や、対立候補の悪口もこの期間だけは訴訟の対象から免除されるからだ。


ただし、東京選挙区の公式サイトに予告されていない広告は全て偽物なので注意が必要だ。


偽広告は百文単位の罰金がかけられる犯罪だが、俺が小学生の頃はキャンペーン期間ともなれば偽広告だらけだった。

それがまた本物よりも面白くて、パロディ系の番組がとくに俺は好きだったが、見ていると両親に叱られた。


そういえば最近は偽広告をまったく見かけなくなった。

べつに人々のモラルが向上したわけではなさそうだ。理由はきっと、候補者が固定化したから偽広告を作る面白みがなくなったからだろう。



ところで俺が気になったのは、新顔4人ともが俳優のように整った顔をしていることだ。

これはちょっと偶然とは考えにくい。

選ばれたとしか思えない。


つまり、彼らは思い思いに立候補したのではなくバックに何らかの組織がついているということだ。

組織が主導して、オーディションなりスカウトなりしたということだ。


スポーツが得意そうで爽やかな雰囲気の若者ショウゴ、筋肉質な中年のブラッド、ファッションおたくっぽいタクト、そして豊満な美女のヒナタである。


彼らはいくつかの組織からそれぞれ出てきたのか、それともひとつの組織のメンバーなのか。

キャンペーン期間にならないと党名がオープンされないからまだわからない。


さっき安心党と改革党の候補について、いつも通りだと書いたが、じつは顔と名前を見て俺が判断しただけだ。

そういうニュースがまったく出ないので、その中の誰かが鞍替えしていた、なんてことはまずないと思うが、本当は今まだ断言できないタイミングである。



それにしても、もし4人ともが同じ組織に属しているとしたらそれはかなり大きなグループだろう。

だって4人も選ぶためには、選ばれない何人が必要だと思うか?


そして男が3人いるということは、女より男のほうが多くいる組織なのだろう。



いったんは無視しかけたけれど、彼らは俺にとって注目すべき対象となった。

もしかしたらこの4人のうち誰かが当選するかもしれない、と俺は思った。



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