戦い 三日目
当たり前ですがフィクションです。
朝、母親から通話申請が届いている事に気付いた。
面倒だと思ったが無視すると後々もっと面倒な事になる気がする。
仕方なく承認したが、彼女が現れたのは約30分後だった。急ぎの用事ではなかったようだ。すぐに対応して損をした気分になった。
「ごめんごめん、どうせ昼頃まで見ないだろうと思って」
といい加減な返事をされた。
母さんとタイミングが合わないのはいつものことだ、と俺は思った。
「父さんがとても喜んでるわよ、あなたが選挙に出たから。
ようやく補助金生活者の仲間入りだな、って」
「そうかもね」
父さんがそういう反応をする事は予想通りなので俺は驚かなかった。ただ母さんがそんな父さんの機嫌を取るような発言をする事が、俺は気に入らなかった。
補助金だけで生活できる人が優れていて仕事をするのは能力が低い人間だ、という価値観は父さんのもので、母さんはその価値観をもともと共有していないはずだった。
それなのに俺に対しては、父さんが喜べば何でも嬉しいみたいな態度を取る。
二人はお互いに頼り合っているから仕方ない事だとは思う。でも、部外者の俺にももう少し本心を見せてくれてもいいのではないか、と思った。
俺が無責任な返事しかしないで黙ってしまうと母さんは
「投票ウィークスが終わったら帰って来なさいよ。空き部屋があるし、25歳の補助金終了までまだ時間あるじゃない。父さんと母さんへのプレゼントだと思って」
と言った。
俺はかえってムカついた。
俺が中学生の時に追い出した事も忘れてよく言うよ、と思った。
母さんと会話するのが面倒になったから、俺はできるだけ素っ気なく言った。
「考えておく」
「どうしてそんな態度なのかしら。私たちが同居親向けの補助金をもらえればあなたにも得になるのに。うちが嫌なの?」
「別に嫌ではない」
「じゃあ何?もしかして誰かと同棲してる?」
「してない」
「じゃあ何?帰りたくない理由を教えて」
「帰りたくないとかじゃない。
10年も…これまで俺の人生の約半分を一人暮らししてきたから、今さらみんなと一緒に暮らすのがおっくうなだけだよ」
本当は、俺はストレスの多い家に二度と帰りたくない。というより家じゃないとしても家族と一緒に生活したくなかった。
俺と価値観が違いすぎる両親と一緒に暮らして、ケンカ別れのような形で仲違いする事が、俺は怖かった。俺は臆病だから、両親に嫌われたくないといまだに心のどこかで思っていた。
母親の兄弟たちや俺の姉親子とも俺は平和に共存できる気がしなかった。
彼らのことも俺は好きだったから、やっぱりケンカしたり価値観が違いすぎるためにぶつかって嫌われるのは嫌で、そういうトラブルを避けるために距離を保っておきたかった。
でも俺は本音をはっきり言う事ができなかった。言えば俺がますます不安になる。
本音を言っても悪いのは俺だし、隠しても俺が悪い。どっちにしても俺の負けなのだ。
負けが確定するのも俺は嫌だった。
「母さんの話はそれだけか?」
「そうよ。投票ウィークスが終わったら引っ越し考えてみてよ」
「うん。じゃあ通話終わっていいか?」
「近況報告くらいしなさいね」
「わかった。通話終わるよ」
急に冷や汗が出てきて俺は通話を強引に終了した。
怖くなってきた。
今のは本物の母親だっただろうか?いや、本物としか思えない会話だったが。だが俺が立候補したから、何者かに目をつけられてもおかしくない。
家族や友人になりすます事件は珍しくない。
水を飲んでひと息ついた。
自分でも小心者すぎると思った。不安だからといって今さら立候補しなかったことにはできないし、気にしても意味がないのに。
投票ウィークスだからストレスにさらされて、メンタル的に俺は弱っているのだろう。
俺は何気なく公式選挙サイトを見た。
昨日安心党の集会を見に行って俺は感想や批判を投稿したが、安心党からの反応は無かったし、その他の人からの反響もほとんど無かった。
選挙サイトにはアンケートページがある。そこでは毎日アンケート調査の結果が更新されている。
アンケートに答えたくて答えた人の回答しかない点が残念だが、参考にはなる。
昨日までの集計結果を見ると、マナミさんに投票したと答えた人が圧倒的に多く60%くらいを占めていた。
俺は15%程度で2位になっていた。3位との差は小さかった。
4人まで当選できる。このままなら何もしなくても俺は当選するか?
俺だったら選挙サイトのアンケートにわざわざ答えない。ということは俺に投票した人の多くはアンケートに答えていない気もするから、俺はもっと有利かもしれない。
でも油断できないと思う。
昨日も見せつけられた通り全体の流れとしては、安心党なら安心だと思っている人が日本にはまだまだ多いのだ。
今日以降、アンケート結果を見た人の多くがマナミさん以外の安心党メンバーに投票するかもしれない。
確かに、日本を崩壊させたい等の悪意を持って立候補した人を、プロフィールだけで見分けるのは難しい。
だから間違った選択をしたくないと思うなら、実績のある安心党に投票するのは自然な反応だ。
しかし安心党もタダヒコさんの引退をきっかけに変わったのだ。悪い意味で。
彼らはもはやボランティア集団ではない。今や彼らは犯権会の手口を真似て、俳優のように安心党の主張を演じる若者を集めている。
集めた若者に合わせて彼らが意見を変えるようになるまで、そう時間はかからないだろう。
主張の変更を繰り返すうちに彼らは、末端と思って見下していたメンバーに組織を乗っ取られるだろう。犯権会と違って安心党は、邪魔なメンバーを殺すなどの違法行為をしないと思う。その分、組織を乗っ取る事はたやすいだろう。
どれだけの人数が見てくれるかわからないが、俺は今の思いをサイト内のアピールページに投稿した。
もしアキラちゃんたちサクラ・ジョウルリの元メンバーが俺の投稿の内容に満足すれば、宣伝に使ってくれる。
俺の意見は過激すぎるだろうか?
でも、犯権会騒動の二の舞を絶対に繰り返したくない。
今は中傷や失言も許される投票ウィークスの期間中だ。このくらい強い事を言っても問題ないだろう。
もし犯権会の元メンバーが俺の投稿を見て怒ったとしても、もはや政府ではない彼らにできることは限られると俺は考えた。
だがそれは甘かった。
一人の、元犯権会の幹部が反応した。
『レイ』
その名前で通話申請が届いた時、俺は寒気がした。スケナリに何かあったのか?
いや、スケナリは安全なシェルターにいるはずだ。
俺は無視することにした。そもそもレイという名前の人は世界に奴だけではない。スケナリから犯権会の内幕の話をもし聞いていなければ、俺がレイという名前にピンとくるはずがなく、知り合いでない以上無視するのが自然だ。
奴が通話申請するだけでこんなにも俺を動揺させられるのか。
俺はどうすれば良いか考えたが、どうせどうすることもできないだろうと開き直った。
俺はとりあえず自分に投票しに行って、帰宅後にそのことを投稿した。
夕方、日課のようにユナに連絡した。
彼女も偽物がなりすまそうとしたらできないことはないのだろうが、彼女とは雑談しかしないのでたいした問題はないだろう。
もし俺が偽物と話したら、その日は本人と話さないわけだ。そうなれば本人から俺に連絡がきてその日のうちに事実はわかる。
ちょうどユナと話し終えた直後に、当番派で一緒のハルキさんから通話申請が入った。
軽い気持ちで許可したら、明るい表情をしたハルキさんの隣に凶悪そうな顔をした有名な人物がいた。
ブラッドだ。
どうして奴がここに?
「ボディスーツじゃないよ、本物のブラッドさんだよ」
ハルキさんにそう冗談めかして紹介されたブラッドは
「マサコさん、久しぶり」
と言った。
冗談のネタにすることを許されるなら、二人の力関係はハルキさんが上なのか?
ブラッドはうさんくさい。
凶悪な犯罪者だという噂で、犯権会政権で閣僚を担当し、日本の領土を取り返して人気を誇り、彼に反対意見を言う事は一時タブーとなり、その後ある日突然失脚して、全身ボディスーツで別人になりすましていたことが暴露され、ヨウコさん暗殺事件では無関係だったとして犯権会のメンバーで唯一非難されなかった。
ハルキさんはどうしてこんな奴と一緒にいて、俺に通話申請したのか?
「え?久しぶりって…ブラッドさんが前回の投票ウィークスに街頭を回った時の事なら、俺は見物人としてブラッドさんを覚えているけど、逆はないと思った…。
だからブラッドさんは俺の事を覚えていないと思うし、別に忘れられて嫌だとか思わない」
「いや、本当に覚えているよ。
マサコさんは俺の印象に残った。他の見物人と反応が違ったからね」
ブラッドがニュースに取り上げられた時はいつも、強い口調で強い事を言っていた。だから優しそうな話し方をされて俺は面食らった。
「とりあえず今俺は驚いてしまって頭が働いていない。
ハルキさんから連絡が来たと思ったら有名なブラッドさんが現れて俺は正直、なんかおかしいと思っている」
「マサコさん、びっくりさせてごめん。俺がハルキさんに連絡を頼んだのだよ」
ブラッドが言った。
「ハルキさんと俺は友人の紹介で会ってね。
会話する中で彼がマサコさんをモモカに会わせた事があると知って、仲介を頼んだ」
「経緯は理解したけど、そもそもどうしてブラッドさんが俺に?」
「伝えておきたい事があるからだ。
率直に言う。
マサコさんの政策アピールは面白いが、一人で考えたものだから視野が狭い」
「一人で考えたわけではないけど」
「それはわかる。
当番派、友達、独立日本スターティングメンバーの会。そういった人たちの意見を聞いたと言いたいのだろう」
「うん。わかっているならなぜ一人だと言ったんだ?」
「なぜならマサコさんが参加しているのは全て、似た者同士が集まったグループだからだ。
価値観を共有する集まりは心地いい。でも何かの対処をするときなんか、そういう集まりは結局、一人で考えたみたいな結論しか出せない。考えに幅が無いからだ。俺から見るとチームワークとは呼べないものだ」
「そうか?」
「俺はそう思う。多くの人がこういうことを理解していない。
マサコさんにはこの先、意識してもらいたい。今すぐ納得しなくてもいい。俺が言ったことを覚えておいて、考えて欲しい」
俺は視線を動かさずにハルキさんを見た。彼は微笑したまま表情を変えなかった。
「うん。アドバイスくれてありがとう」
俺は言った。
ブラッドは軽くうなずいて
「俺の話を聞いてくれてありがとう」
と言った。
ヨウコさん暗殺事件の直後に、ブラッドが病室の仲間に会いに行ってニュースになった事を俺は思い出した。




