立候補
いつも通りフィクションです。
「新政府ができるのも、もうすぐだね」
と大家のジョージさんは言った。
彼も、俺が選挙に立候補するものと思っていた。
「犯権会が乱発した悪法を廃止する時がやっと来た。
仕方なく倉庫に入れたカメラ類が早く使えるようになるといいな。
それにしても犯権会は、登場した時は期待されていたのにいつからおかしくなったっけ?」
いつからも何も、俺は犯権会が出てきた時からおかしかったと思う。俺は最初から奴らを気に入らなかった。
だけど世間では信じられないことに、たしかに当初奴らは歓迎されたうえに熱狂的な人気を集めた。
大人気だったからラクに暴走できてしまったのだ。
「彼らがおかしくなってからまだ一年も過ぎていないなんて信じられないなあ。もっと長い時間が経った気がするよ」
ジョージさんは言った。
俺は苦笑するしかなかった。
「予想外の法律で俺たち、奴らにビックリさせられ続けたよね」
「そうだよ。本当にマサコさんが言うようにビックリさせられ続けた。
まあでも、それは犯権会が独創的だったからというより『生きる常識』みたいになっていたタダヒコさんが引退したからだろうね。
タダヒコさんじゃなくなった以上、誰がやってもこれまでとは全く違う法律を作ったんじゃないかな。
だけど、そのうえで犯権会はみんなが求めていない方向に行っちゃったってことだ。
溝が積み重なって彼らはついに退場した」
俺は頷きながら彼の話を聞いたが、あることに気が付いた。
ジョージさんは、犯権会がいなくなりさえすれば彼らが作ったろくでもない法律は全部廃止されると思い込んでいるのだ。
彼はとくに、コンドミニアムなどに設置できるセキュリティ商品の規制緩和を期待している。
彼は二重に間違っている。
まず、彼を困らせる法律をたくさん作った犯権会が去ったからといって、次の政府が彼の希望をかなえるとは限らない。
次に、彼と俺と話が合うからといって、俺が政府に加われば彼の希望がかなうわけではない。
彼の思い込みをどうやって解いたら良いだろうか。
残念だけど客観的に見て、セキュリティ商品の規制緩和は後回しになりそうだ。
『独立日本』を、独立した国として外国に認めさせることが優先だからだ。
「犯権会がいなくなったけど、全てをすぐに元通りにできるわけではないと思うよ。しばらく我慢しなきゃいけないかもしれない」
俺は念のためそう指摘しておいた。
もしここで黙っていて、俺が犯権会の悪法を全部なくすとジョージさんに約束したなんて誤解をされては困るからだ。
「法律って、いったん作られちゃうと廃止するのは簡単にいかないだろ。
今は新しい国として急いで決めなきゃいけないことがたくさんありすぎる。変な法律をひとつひとつ廃止するみたいな地道な作業は、ある程度落ち着いてからしかできないんじゃないかな。
廃止に反対する人がいれば手続きはその都度ストップすることになるだろうし」
「そうだね。マサコさんがそう言うなら。
法律が今のままでも、警察がセキュリティ照明弾とかカラー弾の自動発射装置を黙認してくれれば僕としてはありがたいけどな。こればっかりは運次第だよね」
サングラスでダメージ回避できる照明弾や、服についた色はとれないけど体についた色は入浴でだいたい落とせるカラー弾。その程度のものがどれだけ犯罪の抑止になるか不明だが、効果があるという説も聞く。
ジョージさんは大家の立場上少しでも付加価値のあるセキュリティ商品を使いたいのだろう。
その気持ちはわかるし、できることをしようとするのは間違いではない。
免責ばかりに力を入れる大家さんも多い中で、ジョージさんは誠実な商売をしていると俺は思う。
だから俺は彼が運営する物件を選んで住んでいるのだ。
帰宅したら、スケナリが旅支度をしていた。
そうか、彼も外に出る気になったのだな。と俺は思った。しかしいきなり遠出するより少しずつ慣らすほうがいいのではないか?
「どこに行くんだ?」
俺が聞くと
「サクヤさんを信用してみようと思う」
と彼は言った。
「しばらく保護施設に泊まってみる」
「あ、そうか保護施設か。どこに行くのかと思った」
「驚かせてごめん。俺は急に放浪の旅に出たりしないよ」
スケナリはそう言って少し笑った。
笑って初めて、彼がそれまでこわばった表情をしていたことに俺は気付いた。スケナリが出ていくのは嬉しい、みたいなことを俺が言うと思って身構えていたのだろうか?それとも何だろう?
この約一年、一緒に住んでいたのに俺は彼の気持ちがよくわからない。いや、そもそも15年以上親友でいるのに俺は、『なんか顔がひきつってたけど、いろいろ考えてたのか?』という質問すら声に出せなかった。
スケナリは荷物を見ながら言った。
「保護施設って、どんなところかわからないけど。泊まる期間は未定なんだ。
もし合わなかったらまた戻ってきていい?」
「もちろんいいよ」
スケナリが戻ってくるかもしれないとしても、俺はここで彼を待っていられるとは限らない。俺の方で何かトラブルが起きたら俺は遠慮なくどこかへ引っ越すつもりだ。
でも俺は、引っ越すかもしれないことを今はわざわざスケナリに言わないことにした。言えばそれこそ、免責しても意味のないことを免責したがる人と同じになってしまう。
スケナリは荷物を俺に見せた。
着のみ着のままで転がり込んで来たから当然だが、荷物は俺の物を勝手に詰めたものだった。
そんなことだろうと思っていたし、俺は驚かなかった。そもそもバッグが俺の使い古した『引っ越し用』スポーツバッグだった。
「着替えとか日用品、マサコのを借りるね。
保護施設に行く時、どうしても私物を持っていけない人以外は自分で用意してくれって前にサクヤさんが言ってた」
「そうだっけ。俺のを持っていくのは全然いいよ」
「ありがとう。
保護施設を信用すると言っておいて矛盾するけど、やっぱり自分で持っていく物のほうがお膳立てされた物より安全だし」
「うん。俺もそう思う。
犯権会のおかげで俺たち、リスクヘッジアドバイザーの資格が取れるくらいの危険回避センスを獲得しちゃった気がする」
「たしかに。資格とれるかも」
スケナリはもう少し笑顔になった。
「スケナリが保護施設に行くと、単に保護されるだけじゃないよな。レイさんがらみの捜査も進むのだろうか」
「うん。情報提供のしくみがあるみたいだから、進むと思う。俺が根本的に追われなくなればベストだ」
「うん」
俺たちはサクヤに連絡して、近くまで迎えに来てもらうことにした。待ち合わせ場所まではスケナリ一人だと心配なので俺も一緒に行く。
不安もあるが、とりあえず犯権会が弱った今なら大丈夫だろうと思った。
むしろ、こういうことができるのは今しかないだろう。またいつ犯権会のレイさんに連なる奴らが活発に動き出すかわからないのだから。
ケント会の時間になったので、スケナリにはいったん台所に隠れてもらって俺は会に参加した。
ケントさんたちは俺に、独立成功おめでとう、独立宣言してくれてありがとう、と言った。彼らもやっぱり俺が立候補するものと思っていると感じたが、俺は念のため相談した。
「新政府選挙にあたって、俺はこの先の政策をとくに持っていないからボランティアとしてのみ関わるべきか、それとも独立がちゃんと維持されるように見張っておくために選挙に立候補するべきか、みんなはどう思う?」
するとマイクが
「絶対、立候補するべきだよ」
と言った。
「独立を維持しなきゃいけないし、今こそ当番派のアピールを実行するチャンスだ。後悔しないためにはチャンスを逃してはいけない。
立候補して言いたいことを言って、うまくいくかいかないかは結果として評価するだけだ」
「そうよ。もし当選した後も同じで、言いたいことを言って成功するか失敗するかは結果でしかないから、前に進めばいいと思うわ。
反体制的って言われる恐怖が私たちの体にしみついているけど、今なら自由よ。
遠慮してボランティアになる必要はないの。マサコさんには堂々と立候補して欲しい。勝つ権利も負ける自由もあるのだから」
マイミがそう言った。
俺は頷いた。彼女の言う通りだった。
「そうだな。こそこそする必要はないって、頭ではわかっているんだ」
俺たちは反体制的と言われたら終わりだという恐怖が体にしみついていた。
しかも、自分の考えを隠さず言うことは義務だみたいなプレッシャーがあった。だから自由に意見を言うふりをしながら反体制的な発言を避けるのが常識になっていた。
俺たちにそういうひねくれた考えを植え付けたのは学校だ。
中学生になる頃くらいから政治の授業で、体制維持の科目が始まった。
そこではこれまで反体制的として処分を受けたのがどういう人で、何がダメだったか延々と説明を受ける。先生は遠回しに、処分を受けないための身の守りかたを生徒たちに教えた。
そろそろ授業の呪縛から自分を解放したい。
最後にケントさんが簡潔に
「何事も、積極的に動くのが良いと僕も思う。
立候補する方がいいと思う」
と言った。
それで俺は、立候補がんばってみると答えた。みんなは俺を応援すると言った。
やるしかなくなった。




