犯権会の攻勢
翌日、事務所でユウキさんと二人になった時
「リョウマさんが『見切りつけるの早すぎ』って笑ってたぞ」
と軽く笑いながら言われた。
安心党のことだ。
「いやー、でも本当にこれは勝てそうにないグループだなって思っちゃったから」
誰に勝てないか。選挙に、ではない。
『犯権会に』だ。そうとは言えないが、ユウキさんなら言わなくても通じる。
「まあマサコも若いからね」
「えー?」
「とにかくモチベーションを持てる方向を、見つけることが大事だよ」
「わかった、ありがとう」
しかし、誰と組めば犯権会に勝てるかゆっくり吟味している時間がないことを、俺はわかっていた。
一日でも早く犯権会を解散させなければ、どんなひどいことが起きるかわからない。
その前に俺は、もうひとつの現実的な問題に対処しなければいけない。それは逃亡中のスケナリがこの家を非常に嫌っている問題だ。
かくまってくれと転がり込んできた身でぜいたくを言うな、と俺には言えない。俺だっていつ犯権会に目をつけられるかわからないのだ。
スケナリは悪くないのに、犯権会が政権与党になってしまったせいで逃げ回る羽目になった。だから俺は少しでも彼が快適に過ごせるようにしてやりたい。
仕事から帰って俺はすぐ荷造りして、いつもの通りスケナリをスポーツバッグに押し込むと実家を出た。
「そんな逃げるように出ていく必要ないのに」
俺がスケナリを背負ってしまってから、母親が
タイミング悪く部屋から出てきて言った。
「マサコはせっかちね。決めたことをすぐ実行するのは悪いことではないのだけれど。
待ってみることも覚えてもいいかもしれないわね」
スケナリの姿が見えないことに気付きもしないのか、あるいは彼がバッグの中に隠れていることを百も承知なのか。母はスケナリはどうしたかと聞かなかった。
逃げるのかと鋭いことを言われて一瞬ひやりとしたが、深く追及するつもりはないようで俺は安堵した。
同時に、ユウキさんと同じような指摘を母からも受けていることに気付き、俺は自分自身に苦笑した。
「まあ、逃げるよ。
部屋が空いてるからって来てみたけど父さんにはいろいろ言われるし、たいして補助金もらえないし」
「マサコがもう少し楽しそうなら、一人暮らしでも安心できるけど」
「安心だろ、俺がもう何年一人で暮らしてると思ってるんだよ。
しかも俺、楽しそうに見えないんだ」
「そうね。マサコの場合は生活もまるで仕事みたい」
「それが普通かと思うけどな。
そもそも古代人は生活が仕事そのものだったし。
仕事と生活を切り離すほうが歴史は浅い」
「マサコは古代人を信奉しているのね。あなたが満足しているならそれでいいわよ」
俺は肩をすくめ、いつの間にか話が通じなくなっていた母の言葉を受け流した。
俺は古代人を信奉していないし、満足していない。遊んで暮らせない以上しょうがないじゃないかと思っているだけだ。
「とりあえず、俺は行くよ」
「気をつけて」
母はそう言って手を振った。
気をつけてもなにも。
かつて、姉の夫にマサコの部屋を使わせたいから出て行ってくれと言われた時の事を俺は思い出した。
あの時も出かける瞬間になって急に母は『気をつけて』と言った。そう言われて、当時中学生になったばかりの俺はむかついたのだった。
大丈夫だと思ったから追い出したんじゃないのかよ、と。
あれからいろいろなことが変わったと思うが、根本は何も変わっていないのかもしれない。
母も俺も。
俺が今晩から借りるコンドミニアムは
ジョージさんが管理する物件のひとつだった。
大家が借り主と対面する義務はないが、ジョージさんは現地に来ていた。
「マサコさん久しぶりだね、元気そうで良かったよ」
ジョージさんは少し疲れた様子だった。
「ごめんね、今朝の退去者が出るのが一時間も遅れちゃってさ。
さっき点検終わったばかりなんだ」
「そうなんだ。急いで空けてくれてありがとう。
ジョージさん、疲れてないか?ちょっと休んで行く?」
「部屋、入っていいの?」
「もちろんだよ、てさっき入ってるよね」
「そうだけどさ、もうマサコさんの持ち物になる時間だから」
「いいよ、俺もジョージさんに会いたかったから」
「嬉しいね」
部屋に入って、重いスケナリを床に置いて俺はほっとした。やっぱり人間を、重いものを持っていないふりをしながら長時間担ぐのはきつい。
すぐに出してやれないのがかわいそうだが、いないはずの人間をジョージさんの前で出すわけにはいかない。
バッグの口を閉めたまま俺は、姉のお下がりのウォーターメイカーでミネラルウォーターを作り、ジョージさんと乾杯した。
今回実家に帰った一番の収穫は姉からポータブルウォーターメイカーをもらったことかもしれない。
空気中の湿気を高速で集めて分離、濾過する古典的なタイプだ。1秒で10ml。まあ使えなくはない。
これが手に入ったおかげで、ウォータータンクを急いでレンタルする必要がなくなった。俺はよりいっそう身軽になったわけだ。
そして、いつでもスケナリにこっそり水を飲ませることができるようになったのだ。
「権利権利って言うけど、セキュリティ装置への締めつけがひどくてね」
ジョージさんは愚痴を言い出した。
「セキュリティカメラが、24時間以上の録画が法律で禁止されたんだよ」
「え!?そんな新法が出てたんだ。
大家さんにはきつすぎるな」
「そうだよ。何かあっても、せっかくカメラ設置していても当日じゃないと確認できないし、証拠にも残せないし。
やっぱりちゃんとチェックしてからじゃないと通報できないからさ」
「そうだね」
「僕みたいに物件を複数持ってると、急に駆けつけられない。困るんだよね。
逆に大手なら通信とかAI入れてたり、画像チェックする権限を持ってる人間が複数いたりするから対応できるだろうけど、僕ぐらいの人が一番苦しむよね。
しかも機械は全部買い替え」
「そんなー。性能を落とす方向に買い替えるのは悲しすぎるな」
「そうだよ。高いし」
「いくらかかった?」
「安いのを探したけど、全部で10000文超えたよ」
「高っ!?」
「販売店もなかなか、値引きしてくれなくてね。
強気なのか、苦しいからか。やっぱり苦しいからかな、セキュリティ分野の新商品は今ほんとに出ないからさ」
「そうなんだ」
「カラーボール禁止、フラッシュライト禁止、音量の大きすぎる警報禁止、に続けて録画制限だからね。
権利を守るって、誰の権利?と思うよ」
俺は黙って頷いた。
これらは全部、犯権会の議員が作った新法だ。
犯罪を起こしやすくするために決めたとしか思えない内容ばかりでひどいが、数の力で押し通しているのだ。
彼らは党名通り、犯罪者の権利を守る事を優先している。それは少し考えればわかることだ。
だが、停滞した安心党からの変化を期待して犯権会に投票した人や、総理大臣が何という名前の党に所属しているのか興味がない人には、気付けないようだ。
ジョージさんは言いたいだけ言うと帰っていった。
俺はカーテンを閉めて、ようやくスケナリを狭いバッグから解放した。
「出すのが遅くなって悪いね」
「別に。逃げ延びるためならこれくらいかまわない」
「水、飲むか?」
「うん。ありがとう」
スケナリがくつろいでいる間に、俺は急いでユナに連絡した。
久しぶりに画像で見た彼女の顔は、全体的に赤く腫れていた。
「ユナ、どうしたんだ?頬とか痒そうだな」
「うん、ストレス性の皮膚炎って。
これでも落ち着いてきたの」
「ストレス?本舗のせいじゃないか」
「私もそう思う。弁護士が、本舗の被害にあって皮膚炎にかかったのは私だけじゃないって言ってたわ」
「あの部屋をユナに紹介したのが申し訳なくなるな」
「ううん、楽しい時もあったもの。それに家賃が安かったし」
「最近は、楽しい事が何かあった?」
「そうね…こうしてマサコさんと話せて楽しい」
「嬉しいな、俺もユナと話せて楽しいよ」
楽しい話はしていないので、彼女は俺に優しいことを言ってくれているのか。
プライベートのエピソードを言いたくないためにそう言ってごまかしているわけではないだろう。
彼女が俺に気をつかってくれていることが、俺には嬉しかった。
俺たちはなんとなく気をつかい合いながらしばらく会話を続けた。
通話を終えると、スケナリがクックッと意地悪そうに笑った。
「マサコは好きな人と話すときもデレデレできないなぁ」
「はぁ?」
「性格だなぁ」
「なんだそれ」
「マサコがリラックスできる日が来る事を俺は祈ってるよ」
「俺はいつでもリラックスしているよ」
「どうかな。まあ、犯権会に勝たないとゆっくりできないけどね」
「なんだよ、自分で言い出しておいて」
「たしかに!」
俺が文句を言ったらスケナリは、楽しそうに笑った。
「なあマサコ、犯権会をどうやって倒す?」
「本舗とのつながりを暴露するのはどうだろう?」
「誰に?」
「それはわからないけど。
ひどい組織だったっていう事が明らかになった本舗と裏でつながっていた、ってもし暴露したら、政権の痛手になるだろうか?」
「まあ、なるだろうね。
総理のショウゴはじめ、閣僚は『爽やかで仕事ができる美男美女』ってイメージを押し出してるから、そのイメージを崩されるのは嫌がりそうだね」
「効果がありそうなら具体的に考えるか」
「だけど、ショウゴたちの動きは早いし権力があるからなぁ」
「ん?」
「暴露されて騒がれたとたん、本舗はじつはオシャレな組織だった、とかアピールしそうだと思ってさ」
「うーん」
こうして作戦会議は、何も決めることができないまま続いた。




