『当番派』との出会い
そこはユウキさんがときどき利用するという、中庭にテラス席をぐるりと並べた店だった。
入店のチェックはスムーズだ。
受付の対応を全てロボットが行い、客は『身元証明カード』を提示するか、『個人識別情報』の読み取りに同意することを求められる。
しっかり管理できている店だと感じた。
俺は個人識別情報を読み取られたくないので、身元証明カードを提示した。
通路を抜けて中庭に入ると、柔らかい雰囲気の歌が聞こえてきた。
優しいトーンだが、少し奇妙な感じがする。
少なくとも6人以上の男女の声で、複数の言語が重なりあって歌われている。
耳をすませば日本語や英語が時々聞き取れなくもないが、ほとんど何を言っているかわからないのだ。
スピーカーの近くには『テラスエリアでは盗聴防止ミュージックを放送しています』と書かれたプレートが設置されていた。
これが盗聴防止ミュージックか、と俺は納得する。
まんべんなく音を拾いがちな機械と違って、人間の耳はその人が聞きたい音声を選んで聞き取っているという。
そのしくみを利用しているのだ。
もしテーブルなどに録音機器を仕掛けられたとしても、さまざまな言葉のノイズに埋もれて、欲しい情報が判別しにくいということだろう。
席に座って辺りを見回す。
晴れているのでテラスから星空がよく見えた。雨の日は屋根を出すそうだ。
中庭の中央には、水をまいて氷が薄く張られているスペースがあり、中学生くらいの男女5人がスニーカーのまま入って遊んでいる。
客を景色として利用してしまうとは、なかなか抜け目ない店だと思った。
足元のヒーターが少し暑く感じたので俺はオフにした。
二人でドリンクとディッシュをいくつか注文したが、オーダー用のアイ・オア・ボイスセンサーパネルの感度が良い。
使える店だ。
オーダーして1~2分で最初の飲み物とサラダが壁のサーブ口から出てきた。
「お、それノンアル?プラビー?」
「プラビー。
ユウキさんはクラワイの赤だね」
「そう、ここのクラワイはボルドーのオーソドックスなやつで外れがないよ」
「へぇー。
クラワイは白しか飲んだことがないや。しかも一回だけ。プラビーも初だし」
「学生はあんまり飲まないもんね。
俺は個人的には白だと物足りないな」
俺はふだんアルコール飲料を飲まない。
だが、こんなにドリンクの種類が、とくにアルコールを含むドリンクの種類が豊富な店に入ったのは初めてだったので、この機会に飲んでみる気になったのだ。
歴史を学んでいると、いかに多くの古代人がアルコールを好んでいたか、いやという程知ることになる。
中でもプライモーディアル・ビール(原始的なビールという意味。略称プラビー)は人類のきわめて古い時代から飲まれているものなので、俺も一度は飲んでみたかった。
ところが、一人でシンプルな暮らし方をしているとなかなかプラビーを味わう機会はない。
それは主に『アルコール依存症防止法』通称・アル防法が原因だ。
プラビー、トラウィス(トラディショナル・ウィスキーの略称)、そしてサケ(日本酒類、焼酎類、泡盛類の総称)はアル防法の対象なので、年齢制限に加えて『一人で購入してはいけない』『個人がデリバリーで購入してはいけない』など様々な規制がある。
正直なところそんな面倒な思いをしてまで飲みたくはないのだ。
サケのうち日本酒にかんして言えば、俺は学生のときに、江戸時代の文化について研究をしている教授の家で何度か飲んだことがある。
俺は招待客の中で一番若かったから、教授からするといろいろ教えたい相手と思われるらしく、いつも買い出しに連れていかれた。
飲食店で飲む場合よりも、自宅で飲むサケを買う場合の手続きは段違いに面倒だ。
だが教授はそれをものともしない。
彼は慣れた様子で専門店に入り、銘柄を選び、精算機の脇のモニターの前にある足跡マークの上に立つ。
そこで彼は音声ガイダンスに従って身元証明カードを提示し、呼気アルコールチェックを行い、瞳孔をチェックされ、判断力テストをクリアして、かかりつけ医の連絡先を登録画面に入力し、アンケートに答える。
そして最後に同伴者の俺が、身元証明カードを提示し、ごちゃごちゃわかりにくい説明が並べられた電子同意書にサインさせられる。
ビン3本買うだけのためにこの手間か…と俺は心の底からうんざりした。
だが、これがアル防法によって求められている手続きなのだ。
サケを飲んでいると、昔の日本人の気分になれることは間違いないと思う。
サケと同時に口に入れることで、食べ物の味も変わる。
古い時代の日本人の考え方や感じ方を考察したいとき、サケの味は良いインスピレーションの源になるかもしれない。
それでも、だ。
教授のような慣れた人と一緒でなければ俺はとうてい、サケを買うことはできないと思う。
一方クラシック・ワイン(略称クラワイ)はアル防法の対象ではない。
細かい規制がないため、日常的に飲む人が多い。
飲食店でも、ドリンクはクラワイとミネラルウォーターしか置いていない店が大学の近くにあった。
そんなクラワイも結局、俺はほとんど飲まない。
クラワイの歴史もじゅうぶん古いが、いつでも買えると思うせいか特に飲みたいとも感じない。
それにアル防法の陰で一人勝ち状態になっているクラワイよりも、かつて栄華を誇ったものの今は規制の対象になりマイナーになってしまった飲料に、俺はなんとなく肩入れしたくなるのだ。
「本題に入ろう。当番派の話だ」
キャベツと豆のサラダを頬張りながらユウキさんが言った。
俺も熱々のサラダをかじり、プラビーをひとくち飲み、頷いた。
冷えていても植物のにおいと酵母菌らしい味がする。
これがプラビーか、と俺は感慨深く思った。
そういえば、かつてはサラダも冷たい生の状態で食べるのが一般的だったと聞いたことがある。
それも素手で盛り付けることもしばしばあったそうだ。
今では考えられないことだ。
生野菜は危険だ、生野菜を触ったら必ず手を洗わなければならない、と小学校でも教わるのに。
昔の方が温暖だったにもかかわらず、菌類は少なかったのだろうか?
それとも胃腸の丈夫さが今と違っていたのだろうか?
冷凍庫すらなかった時代もあるのだから、考えただけで恐ろしい。
ユウキさんが話を始めた。
「俺が当番派の活動を始めたのは、10年くらい前になるんだ。
初めは、俺の考えをただただアピールして賛同してくれる人を集めていた」
「アピールって友達とかに?」
「いや、ウェブで知らない人に向けてだよ。
それでも半年くらいで10人集まった」
「すごい」
「サンキュー。
メンバーが10人になって、俺はミーティングを開くことにしたんだ。
当番派としての意見を固めて、もっとメンバーを増やすための活動に乗り出そうと思ったからね」
「おー、仕事的な段取り」
「かもな。
最初はメッセージのやり取りだけしていて、ある時、信用できると思ったメンバー4人を招待してオンラインで会議を開いたんだよ。
その4人は今でもメンバーなんだ」
「じゃあ10年の交流だ」
「そうだな。長い付き合いだ。
俺たち4人は、約5年を経て当番派としての意見をまとめるに至った。
まず、当番派の主張はこうだ」
ユウキさんはカバンから端末を取り出した。
A6シート型の折り畳みタイプだ。
折り畳みタイプは便利だから俺も欲しいと思っている。
一番小さい状態でもタブレット端末として使えるし、シートの折り畳み部分を開けばそのまま拡大画面にできる。
片面表示にも両面表示にも切り替えられるから、2人以上で見るときも頭がぶつかりそうになりながら小さい画面を覗きこむ必要はない。
ユウキさんはA6画面にサークルのサイトを表示して、会則のページに移った。
そのまま折り畳みを開いてA5にし、もう一度開いてA4まで広げると、両面表示に切り替えてテーブルの上に立てた。
「ここ見て。最初のところ」
ユウキさんが『当番派の主張』のうち三項目を読み上げた。
1.
国会議員を一定人数選ぶのではなく、論ずべき議題ごとに13人ずつ委員を決める。これを国会委員と呼ぶ
2.
国会委員は、裁判員と同じように国民の中から選任される
3.
これを運営するための新しい部署『国会委員運営局』を設ける。
担当者は国家公務員とする
「つまり、国会議員があらゆる問題に対応するのではなくて、ひとつひとつの解決すべき問題に対してそれぞれ議論する委員を選任すべきだ、っていう考えだ。
負担を分散しつつみんなができる範囲で運営しよう、ってことだよ。
だけど、最後の項目」
7.
内閣は、国会議員または国会委員の経験者の中から、推薦または投票によって選ぶ。その任期は6年とする
「外交とか危機管理だけは、ある程度の長い期間、同じ人たちがとりまとめたほうがいいと思う。
だから内閣だけは当番に含めないことにしたんだ」
「なるほど!これはできそうかもしれない。
議員を選ぶことしか頭になかったけど、そっか。委員か」
驚きつつ俺は頷いた。
当番派の主張は、単なる当番制ではなかった。
よく考えたなと思った。
一つの問題だけを議論する当番なら、多くの人が参加できる気がする。
学校の授業で行うディベートの延長みたいなものだから、誰にでもなじみがある。
賛同する、と俺が言うとユウキさんは嬉しそうな顔をした。
「ここまでまとめるのに、苦労したよ。
さっき5年くらいかけて作ったと言ったけど、何度も議論が平行線になったり、決まりかけた話が振り出しに戻ったり、紆余曲折があった」
「それは大仕事だ」
「そうだよ。大変だったけど、面白かった。
そして陳情書をまとめて国会議員に渡した時は達成感があったなぁ」
「陳情もしたんだ。反応どうだった?」
「ダメだったよ。全くダメ」
ユウキさんは残念そうにため息をついて首を振った。
サーブ口から次の料理が出てきた。
受け取って、空いた皿を返す。
プラビーはまだグラスに半分残っている。俺はこれを飲み干さずに、泡が消えてぬるくなるのを待っている。
そうすれば古代エジプトのプラビーに少し近付くのではないかと思ったからだ。
しかし外の気温が低いのでなかなかぬるくならない。
俺は足元のヒーターをオンにした。
「陳情がうまくいかなかったから、俺たちはまた話し合って方針を変えた。
目標を変えたんだ」
「目標?」
「うん。
今すぐ政治を変えることを目指すのではなく、模擬委員会を行うことを活動の中心に置いたんだ」
「模擬委員会って、つまり自分たちがもし国会委員になったらどうするかやってみる、ということ?」
「そうだ。
テーマを決めて、議論して自分たちなりの回答を出す」
「これならできるな、っていう賛同者を増やす作戦?」
「そうなんだよ。
陳情が受け入れられなかったのは、きっと時代を先取りしすぎていたからだ。
まずは勉強会を行って、当番派の考えを地道に広めよう、ってね」
「メンバーは増えた?」
「増えたよ。今では150人いる」
「15倍だ!」
「人数が増えたから俺たちはサークル活動のルールを決めた。
大事なルールだからよく聞いて、参加できるか考えて欲しいんだ」
ユウキさんはシートに会則の次の項目を表示して、内容を読み上げた。
それによると、メンバーは年一回以上はいずれかの模擬委員会に参加しなければならず、参加のしかたについてもいくつかのルールがあった。
でも厳しくはない。
俺は参加することに決めた。
「わかった。それならできそうだと思う。
俺、メンバーになるよ」
俺がそう言うと、ユウキさんは嬉しそうに笑った。
「ありがとう。期待の新メンバー誕生だ。
委員会は、どうだろう?
俺がリーダーをしてるのは今、毎週金曜日の14:00から一時間くらいチャットで、議題は『健康診断保険法』についてだ。
不人気の健康診断保険法を、廃止するのか改正するのか、改正するならどう変えるのか、って話をしてる。雑談しながらね」
「面白そうだね。それやってみたい」
「OK。
じゃあ木曜日までにルームに招待するから、金曜日の14:00からね。
時間があったら先に入って議事録を読んでおいて。
他のメンバーにも新入りが入るって知らせておくから」
「わかった」
「もし都合が悪くなったら、早めに教えて。
次の週に参加してくれればいいから。
チャットは毎週開催だけど、みんな月一回は参加しよう、ってことにしてる」
「うん。
みんなのイン率はどんな感じ?」
「この委員会は俺を含めて28人が参加してて、一回目が21人、二回目は24人だった。
まだ10月になったばかりだし、これからだよ」
「思ったより人数が多いね」
「だからチャットにしたんだけどね。予定合わせとか、発言が偏りにくいようにとか考えてさ。
模擬委員会は、最初は13人ずつで作ろうとしたけど、そこまでこだわると大変だからそれはやめた」
「そうなんだ」
「まあ、みんな楽しんでるから。楽しく真剣に、ってね。
今週末をお楽しみに」
「わかった、待ってる」
ラーメンを食べながら俺は、泡の消えたぬるいプラビーを飲んだ。
ぬるくなるとプラビーの苦味が思ったより強くなることを俺は学んだ。