負けは負けでも言い訳したい
日曜日、俺は自分の部屋でケント会に参加した。
いつものメンバーでいつものように、雑談を交えながらディスカッションを行った。ケントさんが司会進行してラショウモン君が書記だ。
議題は、タダヒコ政権の振り返りだった。
俺が近く安心党のメンバーに接近する予定だという事を、ケントさんは意識してくれているに違いなかった。俺にさりげなく基礎知識を教えようとしているのだ。ありがたい。
「それじゃ結論ね。タダヒコ政権の功罪としよう、それは3つだ」
・超長期政権によって、日本という国が存在する事を世界に広めた。
・後半、疲労の影響でいくつかの重大な外交チャンスを逃した。
・タダヒコさんの後継者を指名しないまま引退したため、後継者にふさわしい人が安心党にいない印象を人々に与えた。
「僕は安心党の政策を支持しているわけじゃないけど、実は安心党の候補に投票した事が何度もあるんだよ。それはタダヒコさん以外に総理大臣はいないと思ったからだった」
ケントさんは言った。
「安心党の強さはタダヒコさん個人の力だったね。終わってみると、ね」
彼の感想に、参加者全員が頷いたり賛成した。
「議員になりたい人が足りなかった時に助けてくれたタダヒコさんが、総理大臣になりたいなら、そうなって欲しいとみんな思ったよね。
彼がいなくなったら、安心党はもう犯権会に負けちゃった」
マイミが言った。
その通りだ。今や安心党は犯権会に完全に負けている。
タダヒコさんのおかげで自分たちが与党であり続けたという事を、安心党の人たちは理解していなかったのだ。
もしかしたらタダヒコさん自身もそれを理解していなかったかもしれない。
しかし落ち目の安心党に接近するしかないとは、つくづく打ち手の少なさを感じる。
安心党の他に、犯権会に勝てそうな党が何故ないのだ!?
犯権会さえいなければ、安心党が負けようと解散しようと、どうなろうと俺の知った事ではないのだが…。
会を終えてリビングに出ると、姉とスケナリが別々のソファに寝そべって暇そうに野生動物系の動画を見ていた。
ネコ科の動物の動きと、その動物の視点から見た風景とが、ただただ繰り返されていた。
「マサコは真面目すぎるから心配だって」
姉がだるそうな声で、顔の向きを変えずに言った。
「誰が?」
「ママ」
「いつ?」
「さっき」
「なんで急に?」
「さあ?急に心配になったんじゃない?」
「なんでそれを姉さんはわざわざ俺に言った?」
「ママは、それを私がマサコに伝えるって思ってるはずだから。
ママに聞いてみな」
「ふぅん」
俺がリビングから廊下に出ようとすると
「あれ?前にもこんな事あった?」
と姉は言った。俺は振り返った。
「俺も今そう思った」
「やっぱり。いつだったかな?」
「小学生の時じゃないか?俺がここに住んでいたなら」
「そうかも」
姉は少し困ったような顔で俺を見て軽く頷いた。
俺は小学生に戻った気持ちで廊下に出た。
しかし家は昔のままではない。
俺がいない間に実家のルールは変わっていた。
廊下に面する大人たちの部屋は全て扉が閉まっている。
以前は仕事やテストなどで集中したい時だけ扉を閉める決まりだったが、今は扉が閉まっているのが普通だ。
用があったら、その人がいるかどうかわからない部屋の扉を必ずノックしなければならない。
ノックされたくなければ『仕事中』などと札を掛けておく。
突き当たりの洗濯室で母がスツールに座って本を読んでいるのが見えた。
個室にいないのだから、話しかけていいだろう。
「母さん、父さんはお金の話を何か言ってた?」
「いいえ。言わないわよ。
でもマサコの事は言ってた」
「俺の?」
「そうよ、マサコは世間知らずだから一人で大丈夫かなぁ?って」
「俺はずいぶん前から一人で暮らしていたよ」
「そうね。だけど、何年経っても心配なものなのよ」
「母さんは?」
「ん?」
「母さんは俺なら大丈夫だと思うだろ?」
「大丈夫と思う時もあるし、心配になる時もあるわよ」
「いつ?」
「例えばマサコはフルタイムで働いてるじゃない。
仕事の都合に合わせて、来月にはまた職場の近くに戻るんでしょ?
うちの部屋があいてるのに。
ちょっと要領が悪いのかなって」
「いやそれは仕事しないと生活できないからだし」
「補助金を計算に入れないからでしょ?今どき補助金なしで生活しようなんて無謀かも。
でもね、マサコが補助金なしでやってみる、って目標を立てたなら頑張ったらいいと思う。
それも勉強になるから」
「…」
じゃあ母さんは何故仕事をするのか?どうして父さんは金策にあくせくするのか?などいろいろ考えてしまい、俺はとっさに言い返せなかった。
だがもちろん俺は、補助金なしで生活するという目標のために働いているわけでは全くなかった。
「時代の流れは、生活費のために働く必要はないっていう方向になってるでしょ。
仕事は自己研鑽のためにするものよ」
「でも仕事の報酬をあてにしている人はたくさんいる」
「その人たちは、別に報酬で暮らしているからお金が欲しいわけじゃないでしょ。
仕事しなくても、補助金をもらえればみんなある程度余裕を持って生活できるんだから」
「でも、うちも補助金なくなるだろ」
「今はみんな元気だからね。いざとなったら孫を養子にしたっていいし。
だから仕事は、してもしなくてもいいのよ」
「本人が仕事したいならいいだろ」
「もちろん、仕事が楽しいなら大賛成。はじめから私はそう言ってるじゃない」
考えてみれば、勤め先のアプソルファンタス社でも補助金をもらっていないのは俺だけだった。
ソウさんは子供と同居している。
ハンナさんや元社員のエリカさんは、子供もいるし介護もしている。
社長のユウキさんも家族を介護している。会社を作ったのは夢を実現するためだった。
「マサコは歴史が好きだから、感覚が昔の人みたいになって錯覚しているのかもね?」
「好みの問題だろ、錯覚じゃないよ。それじゃ俺が間違っているみたいじゃないか」
「マサコは補助金も嫌いだし、政府も嫌いよね、子供のころから。どうしてだと思う?」
「自由が好きだから」
「ううん、歴史の勉強をした影響だと思うの。
昔の話を勉強しすぎたから」
「そんなことはないよ。俺は今の時代に生きられてありがたいと思っている」
「そうじゃなくて、私が言いたいのはこういう事。
補助金を利用しないのは、資源を無駄にしているってわけ」
「資源…」
「資源を活用しないのは『億万兆者』くらい」
『億万兆者』がもともと『億万長者』であり、『長者』という古代の肩書きがこの言葉の由来になっている事を母は知らないだろう、と俺は思った。
彼女は
「もしくは、アウトローよ」
と付け足した。
そういえば大学の後輩の中にも、生活費のために働くのは反体制的だと言う者がいた。
「なんかそういう意見、言ってる人いたな…」
「そうでしょ。
でもマサコは不服そうね」
「好きではない考え方だけど、それが世間の主流なのかもしれないと思ったよ」
いったい何の話をしていたのだったか。
そうだ、俺が真面目だから心配だと本当に母が言ったのか俺は気になったから確かめたかったのだ。
しかしストレートにそれを質問すると、姉が話を聞いた直後に俺にしゃべったとまるわかりで、それもなんとなく気に入らない。
だから遠まわしに質問したのだ。そうしたら話がおかしくなったのだった。
結論としては、どうやら両親とも俺を心配しているらしい。
家族からの評価が低いのは不愉快だ。俺の能力が無いから心配されている、とどうしても感じる。
でも実害はない。
家族という群れの中で俺はずっと最下位なのだろう。
俺はつまらない事を思い出した。
俺がハイスクールに余分に2年通った時、父に出してもらった2年分の家賃は借金とされ、父が勝手に決めた利息もつけられた。
俺は利息をそれ以上増やされないために、大学に行き初めの2年間で急いで返金した。
ところが返済を終えた翌日、父は俺が『返した』のと同額を俺にくれたのだった。
『おめでとう』と言って。
全くめでたくなかった。
俺に戻ってくると知っていたら、あくせくバイトする必要はなかった。それならもう少し大学の研究に専念できた。
俺が不満を言うと
『マサコは2年飛び級したから、2年留年してもプラマイゼロだろ。
普通に卒業するまでの家賃は出してやるって父さん言ったぞ』
と、真に受けた俺が悪いみたいな言い方をされた。
今回もまたあの時と同じだろうか?
しかし、今回の相手は俺でなくスケナリなのでそもそも条件が違う。
冗談なのか本心か、本人に聞けばすむ事かもしれない。だが、聞いてもどうせまともに答えてもらえるはずがないと俺は思った。
「ドライ終わったわね。洗濯物を人ごとに分けるの、手伝ってくれる?」
「いいよ」
祖父、祖母、祖母、ソーセキ叔父、クシャミ叔父、ケンゾー叔父、父、母、姉、姪、スケナリ、俺…
皆の洗濯物を分けながら俺は思った。
そうか、俺が家族の中で最下位の立場になったのは祖父母や叔父たちが同居するようになったからだ。
姉が彼らの養子になり、彼らがうちに同居する事が決まった時、両親は何て言った?
俺はその時、反論しただろうか?嫌だと言ったか?
それとも黙って様子を見ていたっけ…?
思い出そうとしたが、できなかった。俺はその場にいなかったのかもしれない。その場にいなかったなら、その時点で俺は負けが決まっていたというわけだ。
まあ、どっちみち当時の俺が両親や祖父母に口で勝てたとは思えない。
黙って洗濯物の仕分けを終えると
「マサコは余計な感想を言わないから偉いわね。
下着が大きいとか小さいとか、派手だとか地味だとか言われると嫌なものよ。
気をつけるといいわ」
と母が言った。
彼女は、俺には共同生活を送る経験が足りないと思いこんでいるのだろう。
戻ってみると、リビングには誰もいなくなっていた。
姉の部屋からは、姉が娘を遊ばせているらしい平和な声が聞こえた。
俺の部屋ではスケナリが、今日のニュースをチェックし始めたところだった。
今日は注目すべきニュースはなかった。
ただひとつ驚いたのはショウゴが『政治家』を『せいじけ』と読み、その間違いを誰も指摘していない事だ。
『三郎』が『サンロー』と読まれる世の中だからこれも仕方ないのだろうか。
しかし俺は何か違和感を感じた。
「『か』を『け』と読んだら意味が変わるよな。まるで家族ぐるみで政治に関わらなきゃいけない、みたいな」
俺が言うとスケナリは
「え?どこどこ?何の話?」
と聞き返し、気付いてもいなかった。
「二つ目の話題のところでショウゴが『政治家』を『せいじけ』と読んだよ」
「そうなんだ、聞き流してたよ」
「間違いを指摘した方がいいかな…?スケナリはどう思う?」
「言い間違いだろ。わざわざ指摘するメリットあるか?」
「もしショウゴがわざと間違えたとしたら、誰かが指摘しておかないとまずいかもしれない」
「わざと?
あー、それって議員の家族なら投票なしで議員になれるように法律を変えちゃう伏線とか?」
「そうそう、そんな感じだ」
「いやー、そこまで考えてるかな?
ショウゴ自身は家族いないらしいし。だけどショウゴは誰かの指示で動いてるわけか…。
あいつら、何を考えているかわからないもんな」
「うん」
「でもマサコが投稿して目立つのはまずいよ。
こんなことで目をつけられたら今までの努力が無駄になる」
「俺はまさにそれでためらっているんだ。誰か投稿してくれる人いないかな」
「うーん…わからないけど、同じ意見を投稿する人が他にいたとしても目立つよ。毎日何かしらコメントしてる人なら不自然じゃないけどさ。
俺たちにはリスクがでかすぎる。放っておこうよ。
もし奴らが実際に変な法律を作ろうとすれば、反対する人は必ずいるはずだから」
「そうだな…」
俺は『王政復古派』の存在がチラッと頭をかすめて漠然とした不安を覚えた。
だが今は俺たちが目立たない事の方が大事だと思ったので、何もしないと決めた。




