山は下り始めたか
「ユウキさん、テレ修理出した?」
「ありがとう、すぐ出したよ。
ごめん、母が体調を崩してね。
修理できたこと、知らせてなかったから心配させたかな」
月曜日に俺は勤務先でユウキさんに会い、ようやく彼の状況がわかった。
テレは早々に修理されていたようだが、お母さんを看病していたなら昨日は連絡しなくて良かった。
「それは大変だったね。お母さんの調子は戻った?」
「いや、まだなんだ。
でも今日はもう、バーチャル入院サポートさんに見てもらっている。
いつもお願いしている医療センターの人たちだから、スタッフさんもAIも母と顔馴染みでね」
「それなら安心だね」
事務所にはソウさん、ハンナさんとルミエル君もいた。
「お母さん、早く良くなるといいわね」
ハンナさんが言った。
「テレは壊れちゃったの?」
ユウキさんは俺に、話してかまわないかと聞いてから言った。
「実はマサコ君の友達のお母さんが、マサコ君のテレに侵入して勝手にデータを見てね。
そこから友人のテレにも侵入して通信履歴を見たりしたことがわかったんだ」
「えー!?それはやりすぎね。
いくら子供の友達付き合いが心配だとしても…。ちょっとショックだわ」
「そうだね。
俺にも被害があるといけないから、と金曜日にマサコ君から連絡をくれてね」
「結局その人、一昨日逮捕されたよ。修理店からの通報がきっかけで」
俺は言った。
「そうだろうな。今の話から想像すると、証拠だらけのようだから。
まだよかったと思うよ。
その人は悪い事をしたが、悪人ではないのだろう」
ソウさんが言った。
金曜日から昨日まで、という時間を彼も短いと感じたようだ。
彼はナデシカを悪人ではないと思いたいのだな、と俺は思った。実際のナデシカはどちらかといえば悪人に近いだろう。
しかし俺は悪人と付き合いがあると思われない方が都合が良いので、とくに訂正せず黙っていた。
「そんな身近に、犯罪をしてしまう人がいるのだね。これは当たり前の事なのに、ふだんつい忘れてしまう。
政府は警察組織の改革をしているらしいが、実生活ではむしろ犯罪が増えた気が僕はするよ」
ソウさんが言った。
するとハンナさんが
「政府に限らず、改革って良いケースばかりじゃなくて、謎な事も多くない?
例えばという具体例は思い出せないけれど」
と言った。
俺は三人の反応を知りたいと思って
「改革といえば、昨日ニュースで見た『国会議員の任期を無期限にする』案には驚いた」
と言ってみた。するといつも改革党に投票してきたソウさんが頷いて
「そのニュース、僕も見たよ。
違和感しかないね。
可決しそうだというからなお不思議だ。
そんなことをしたら有利な党はますます有利に、不利な党はますます不利になるだろう」
と言って身を乗り出した。ハンナさんは
「任期があるからこそ、何年間で何をします、という宣言が説得力を持つのだと思うわ。
今の議員の人たちには、そういう目標がないのかしら?」
と首をかしげ、ユウキさんも
「終身も嫌だし、1日で辞められても困るしね。もちろん体調不良などは仕方ないが。
犯権会はもしかしたら、次の選挙では今ほど圧勝できないと踏んで、賭けに出たのかもしれないな。
しばらく選挙をしないですむように、ってね」
と言って腕を組んだ。
久しぶりに、われわれアプソル・ファンタス社のメンバーが政治の話題で意見の一致を見た。
そうだ。全員が犯権会の政策を批判したのだ。
これまでは、前の政権よりましだとか、領土を取り戻した点は評価すべきだとか、彼らの肩を持つ意見が必ず誰かから出た。だが今回はそれがなかった。
犯権会は強気になりすぎて、しくじったのではないか?
これが彼らにとって下り坂の始まりになればいい、と俺は思った。
それから俺たちはいつも通り仕事をして、いつも通り15時に終業した。
「ユウキさん、テレの件とか他の件で、リョウマさんに話したい事があるんだけど、連絡とってもらえる?」
帰り道、二人になったところで俺は言った。
「いいよ。帰りながら連絡しておく。
面談、俺は同席できないと思うけどいいかい?」
「うん。家族優先して」
「ありがとう。彼女にマサコ君の連絡先を教えてもかまわないか?」
「いいよ」
「わかった。俺か彼女から返事する」
「ありがとう」
「うん。…動くのかい?」
「…かもしれない。勝算があれば」
「なるほど。他に頼れる人は?」
「うーん、いないかな」
「厳しいね。…友達は、元気なんだろう?」
暗号のような会話だが、俺はユウキさんの言いたいことがわかった。
彼は俺に、犯権会と本気で闘うつもりなのかと聞いたのだ。
しかし会話の途中で急にわからなくなった。
いきなり友達と言われたから、それがスケナリのことを言っているのかそれとも敵である犯権会をあえて友達と呼んだのか、俺には判断できなかった。
確かめればわかるが、誰が聞いているかわからない道端で犯権会やスケナリの名前を出すわけにはいかない。
だから俺は「わからない」とだけ答えた。
ユウキさんは軽く頷いて
「挑戦する事も大事だから。意外に、やってみればなんとかなることも多いからね。
もしなんとかならなければ、そのときはみんなで助けるし」
と言った。
さてその後、俺が帰宅する前にリョウマさんからメッセージが届いた。予想以上の早さだ。
足を止めて急いで読むと
『今日18:00から19:00可能、東京 ルビースネーク 個室 要予約』
と日時、場所が書いてある。
要予約?だから何だ、と思うが予約しろというのだろう。
深読みのしすぎだといけないので、念のために確認しようかとも思ったがやめた。
キャンセル料金がかからないなら、予約がダブっても問題ない。それより予約が取れないほうが困る。
とりあえず行ったことがない店なので調べた。
意外にも、場所や料理代の金額は妥当だと感じた。
2名予約し、リョウマさんに返信で伝えると
『ユウキさんから、私の服の色を送る。あなたも彼に服の色を知らせて。偽物に注意』
と返事がきた。
さすがリスクヘッジ・アドバイザーなだけあって用心深い。
俺はユウキさんに、リョウマさんに取り次いでくれたことへのお礼と、手間をかける詫びのメッセージとともに服の色を書いて送った。
家に入って少し休憩している時に返信がきた。
『かまわないよ。母は落ち着いている。
上ブラックで下がグレー、足元シルバーだそうだ』
そういう服装の人は珍しくない。その情報では、本物のリョウマさんを見分ける役には立たなそうだ。
どうせ自分は人混みに紛れて、俺のことを先に見つけようとでも思っているのだろう。
約束の数分前に店に着いた。
艶がある赤い木彫りの蛇が建物の入り口を飾っている。
毒々しく、あまり美味そうではない。
入り口で、身元証明カードを提示した。
店員が予約の確認をし、席に案内される。
身元証明と座席の位置情報システムは連動していないようだった。
だからリョウマさんはここを選んだのか、と考える。
個室はまるで、どこかの家庭のリビングのようだった。
看板と同じく赤と黒が基調だが、落ち着ける雰囲気だ。
座席のソファーはちょうどいい固さで座りやすい。
壁には時計、カレンダー、絵画が表示されている。
テーブルの脇に台があり、本とノート、ペンケースが置いてあった。
しかし壁の一角に避難口があり、部屋のおしゃれな感じを台無しにしている。
そして盗聴防止ミュージックが、けっこうな音量で流れている。
この店はいったい、イメージと実用、どちらを重視しているのだろうか?と俺は疑問に思った。
まあ、どっちにしても俺には関係ないことだ。
俺はティー系のホットドリンクと縄文クルミの加熱サラダ、ハイブリットミート系の具を挟んだサンドイッチを注文して、リョウマさんの到着を待った。
「ボイルドウォーターと茄子のステーキお願い。
…この間は、出し抜かれたわね。
今度はハルキさん抜きでやりましょう」
彼女は入って来るなり言った。
「加熱サラダ良かったら」
「ありがとう。もらうわ。
…さっき、がっかりしちゃったのよ。
私、子供を5人とも別の場所で育てさせていたのに、全員がスペースシティ・ファイで生活することになったわけ。
5人目とさっき話したんだけどね」
「へぇー。
みなさんファイに行くのは勉強で?」
「勉強とか仕事とか、もろもろね。それぞれの目的は違うんだけど。
まったく何のために苦労して分散育児したやら。
あんな狭い街にみんな集まっちゃって。事故が起きたら昔ながらの宇宙船で脱出するしかないような所にね」
飲み物が届くと、彼女は雑談を終えた。
「今度はどうしたの?」
「また犯権会のことなんだけど」
俺は、ナデシカと通話してからサクヤ刑事との通話を終えるまでのいきさつを大まかに話した。
ただし、俺がスケナリをかくまっていることはもちろん言わないし、スケナリもどきに会ったことも伏せておいた。
スケナリの説明をする必要がある場面では、本名のジューローで説明した。
とはいえ、犯権会の関連会社での人権侵害についての情報源がスケナリだったことは明かした。
「この間のリベンジというだけじゃなく、俺たち普通の人の生活を彼らによってこれ以上、壊されたくない。
だから俺は、まず彼らを政府じゃなくすることが必要だと思ったんだ」
俺は言った。
「リョウマさんを信用して相談するけど、俺の持ってる情報は、もし公開したら彼らを解散させるだけの効果があるだろうか?
あるなら、安心党に接近しようと思う」
「効果はあるわね。もみ消されなければ」
彼女は言った。
「安心党に接近する意味があるかしら?
もしマサコさんが、政敵にバッシングしてもらうことで問題を解決しようと思っているなら、残念だけど期待のしすぎね。
安心党所属の議員は、マナミさん以外ほとんど犯権会員のようなものだから」
「そんな状態か!?
道理で、国会でも反対しないわけだ。
俺はまさに、材料さえ提供すれば安心党なら犯権会を叩くだろうと思っていた」
「いいえ。
彼らにとっては、安心党の公約を実行することよりも自分が落選しないことのほうが大事なの。
奉仕の精神だけで20年も政権を担ってくれたタダヒコ内閣の人たちとは、今の人は違うのよ」
「そうか。
でも、違法だと言える情報があっても彼らは無視するだろうか?」
「無視する理由を言い訳できる範囲内なら、無視するわね。
安心党ではなく、マナミさん個人に接近するのはアリかもしれないわ。
彼女だけでは、権限が小さいけれど」
「そっか。マナミさんに接近してみようかな」
リョウマさんはサラダを少し食べて、言った。
「もう少し先の展望を考えましょう。
あなたは安心党に政権を取り戻して欲しいの?」
「いや、ぜんぜん。
ただ、犯権会に勝てるかもしれない集団は、今のところ安心党しかいないと思った。
犯権会が、政府じゃなくなればジャーナリストの態度も変わるだろうし、警察ももっと捜査しやすくなるだろうから、彼らを政府じゃなくすることが最初だと思ったんだ」
「そうね、でもショウゴたちを国会から追い出しても、犯権会の中に替えはいくらでもいるわよ」
「替えは、ショウゴたちほど人気を得られないだろうと思う」
「どうかしら?
犯権会は若者を集め続けているから。リサーチしきれないほどに」
リョウマさんはそう言って肩をすくめた。
「100人いないのよ、安心党だけでは。改革党もダメになった。
二党合わせても議席には余裕がある。
すき間を埋めるのは誰?」
「うわー。それを犯権会じゃなくしたい」
「犯権会を本当に国会から締め出すためには、代わりに立候補してくれる人を集めなきゃいけないわね。
とくに若者がいいわ」
「なるほど」
「逆に言えば、人集めがうまくいけば、犯権会を叩き出せるかもしれない。
試してみてもいいかもしれないわね」
サンドイッチとステーキが運ばれてきた。
俺たちはそれぞれのぶんを食べた。
「こうしましょう。
マサコさんはマナミさんに接触して、彼女に情報を提供したり、安心党の候補集めを手伝ったら?
ヨウコさん、アサヒさんも犯権会と戦える議員だと思うけれど、あなたが三人すべてに近付くのは危険だと思うわ。
マナミさんに接近するだけなら、いざという時、あなたはマナミさんの政策に興味があったと言い逃れできるからね」
「うん」
「私は、仲間に声をかけるわ。
まずは、ナデシカの後で糸を引いている人物を探れそうな人に。
それと同時に、他の仲間に言って、ヨウコさんやアサヒさんに接触してもらう。
他にも、前回犯権会に敗れて落選した人たちの中にも、期待できそうな人がいるか調べるわ」
「頼もしい」
「マナミさんだけどね、秘書がトッカータとフーガという名物姉妹なのよ」
「誰だそれ?知らないな」
「調べないで。履歴が残るから。
とにかく、二人に連絡を取れる友人を探しておくわ。ハルキさん以外でね」
帰宅後、俺はスケナリにリョウマさんと話した内容を教えた。
「簡単に協力してくれすぎて怪しいだろうか?」
俺が意見を求めると彼は
「いや、そんなことはないよ。
それより彼女が、改革党のヨウコさんや無所属のアサヒさんに接近するための、第二・第三のマサコを作るみたいなやり方を提案したことが俺は気になるね」
「そうだな…接近する相手が三人とも正統派の大物だから、まあ危険ではないだろうと思ったが」
「だといいね。
リョウマさんが何を企んだかわからないけど、マサコは自分の身の安全第一でやれよ」
「うん。ありがとう」
まず一歩前進できたことに俺はほっとしていた。
あとは動きながら考えればいい。
大事なのは、俺を生けにえに使えると相手に思わせないことだ。
その意味ではたしかに、危険人物とみなされるリスクはあっても、手分けするのではなく俺自身がヨウコさんにもアサヒさんにもコンタクトしたほうが得策だったかもしれない。
でもリョウマさん自身にも何かあったときのための言い訳の余地は必要なのだ。
だから仕方ない。
生けにえ第1号に選ばれないように気を付けていればいいのだ。
俺は、そう思った。




