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新入り

俺は日本の国立大学を卒業後、間もなくユウキさんが経営する会社の社員として働き始めた。


介護関連商品の販売やレンタルを扱う仕事だ。

ユウキさんは、自身が両親の介護を通じて困ったり助けられたりした経験からこの会社を作ったそうだ。



ところで俺が修了した日本史学科はマイナーなので、私立の大学にはほとんどない。

そして公立大学でも学生が非常に少なく、俺は学年にただ一人だった。


だからほとんどの講座で教授に個人レッスンを受けることができたし、アーカイブセンターも使い放題でラッキーだったと思う。


そんな状態だから、ユウキさんが採用面接で


「日本史学科って、日本だけの歴史を勉強するのかな?」


と不思議そうに質問したことに、俺はとくに反感を覚えなかった。

わからない人が多くて当然だし、仕事を始めてからお客さんや取引先の人に同じような質問をされることを想定しているのだろう、と思った。


だから後日、卒業式の後のオンライン談話会で数人の先輩から


「日本史学科卒業って言うと、世間でハァ?みたいな顔されることがあるだろ?

あれむかつくな」


などと言われ、俺は驚いた。


へぇー。

それは一般的にはむかつくことなのか、と。


「え?マサコはドクターにならないの?

研究職に進まないの?公務員になるわけでもないの?

なんで?

せっかく良い論文書いてたのに」


むかつくんだよな、に同意していた先輩の一人が言った。


「研究は趣味で続けるよ」


俺は答えた。


「だったら、経営学科とか行けば良かったじゃないか」


別の先輩が言った。

俺の横で教授が険しい表情を浮かべたのがわかった。

何も気付かないふりをして俺は平然と言い返した。


「それじゃ意味ないね。

大学で学んだから、俺は自力でもある程度の研究ができるようになった。

だから趣味でも続けられるわけだ」


談話会が終わった後、いつも教授のアシスタントをしている人が俺に声をかけた。


「マサコ、卒業おめでとう。

これから会社で働くのか…仕事頑張って。たまに連絡してよ。

さっきの先輩たちはひどかったね。

あんな想像力の足りない人たちが研究者かと思うと情けないよ」



校舎の前などで記念撮影をしたり輪になって話をする卒業生らしき人々を横目に、俺は一人で帰宅して、その足で新居に引っ越した。

大学の隣駅から、会社の隣駅に移ったのだ。


俺は荷物が少ない派なので、冷凍庫の移動だけ運送業者に頼み、あとは何でもスポーツバッグに詰め込んで、炊飯器は手で持って自分で運んだ。


ユウキさんの会社は古風なので固定の事務所を持っている。

そのほうが仕事がはかどる、とユウキさんは言う。

とはいえ俺が事務所に行くのは基本的に週一日だ。

近くに住むのは、利便性というより単なる安心感のためだった。



毎週、月曜日には事務所に全社員が集まって、予定を確認したり、報告会や打ち合わせなどいろいろなことをやる。


火曜日から木曜日は、ユウキさんはだいたい毎日事務所にいるが、社員は行っても行かなくても良い。

俺は初めの頃、先輩社員のエリカさんにオンラインで仕事を教わりながら、主に自宅で勤務していた。


そして約8割の日本企業と同じく金、土、日曜日は休みである。



さてその日は、俺が社員になってまだ3回目の月曜日だった。



「大変なことになった」


俺が事務所に着くと、先に来ていた会計係のソウさんが顔を合わせるなり言った。


「マサコは今朝のニュース見たか?

タダヒコさん、引退だぞ」


「見た。

でもそれほど驚かなかった。やっぱりな、と思ったし。

タダヒコさん、最近あちこちで叩かれてたから」


「まあな。九州をやられたのは痛すぎる。

でも辞めてどうする?

今は選挙どころではない。早く九州を取り返す対策を取って欲しかった」


「たしかに。相手は待ってくれないからね。

でも今の『仮設内閣』では、いくら頑張っても成果を出せる気がしない」


「いや、強く抗議し続けて断固とした姿勢を見せれば、できるかもしれないだろ。

あきらめたら成功するわけがない」


どんなにあきらめなくても難しいだろう、と俺は思った。

ソウさんは楽観的すぎる。

あるいは彼は、厳しい現実を認めたくないのかもしれない。



およそ2ヶ月前、日本はとある外国に九州を実効支配されてしまったのだ。

北海道、離島、沖縄に次いでついに九州までもが。

日本は複数の国からじわじわと侵食されていた。


タダヒコ内閣は当然、相手国に抗議を行い国際機関に訴え、友好国に助けを求めた。


しかし、相手国も友好国も反応は薄かった。

国際機関の対応も鈍かった。


世界は、日本が崩壊していくのを待っているのかもしれない、と思って俺は寒気がした。

いくら実績あるタダヒコさんでも今回は『仮設内閣』だから侮られているのだろうと思った。



「あら、ソウさんは『改革党』推しじゃなかった?

改革党が政権を取るチャンスがやっと巡って来た、って喜ぶかと思ったわ」


エリカさんが来て、脱いだジャケットを荷物置き場のハンガーに掛けながら会話に加わった。


「まあ、僕はいつも改革党に投票しているけれど、そこまで熱烈に支持しているわけでもないんだ」


「あらそうよね、私も。

東京選挙区で言えば、候補の人を見比べて結局いつも改革党に入れるけど、じゃあタダヒコさんの他に誰が総理大臣できるの?って感じ。

あ、そうだ。息子にニュース見なさいって連絡しなきゃ」


いやーどうなることやら、と呟いてソウさんは天井を仰いだ。

いつもなら、会話をしながらでも手早くデスク周りを整えてすぐに仕事を始める彼が、何も始めようとしない。


そこへ


「おはよー。

危ない!ユウキさんに抜かれそうだった」


と、場違いな明るい笑顔で先輩社員のマリさんが駆け込んで来た。

月曜日は朝10時に集まることになっていて、ほぼぴったりに来るユウキさんよりも遅かった人は遅刻になるのだ。


マリさんはいつもぎりぎりに駆け込む。


ソウさんとエリカさんは、彼女を注意する段階をすでに通り過ぎているためもはや無視している。

俺も二人の真似をしてスルーだ。


「マリさんも今回は投票に行かないとね」


ユウキさんの姿が見えた頃にエリカさんが言った。


「決められないなら是非、改革党の候補に一票を」


冗談めかしてソウさんが言った。

マリさんは気まずそうに、そうね、と答えた。



タマネギを焼いているような、うまそうなにおいがしてきた。

ユウキさんのマイマグの、フタのすきまから湯気が上がっている。


すぐ近くのカフェでオニオンスープを買ってきたのだろう。あの店と同じにおいだ。


「おはよう。みんなニュースを知っているようだね」


ユウキさんの挨拶にソウさんがすぐ反応した。


「ユウキさん、僕はショックを受けたよ。こんなことじゃ九州は戻って来ないかもしれない。

沖縄も離島も北海道も、いつ誰が取り返してくれるのか望みがない」


「うん、まずいね。

しかし俺が思うのは、タダヒコさんはこれ以上続けられなくなったのだろうな。

善意でやってきただろうに『仮設内閣』と呼ばれ、抗議デモも増えたし、四国の自警団『海賊』は爆増、さらに『エルフ事件』まで起きてさ」


先月タダヒコさんがエルフのコスプレをした男にかすり傷を負わされた事件は、巷でエルフ事件と呼ばれた。

タダヒコさんもエルフ男も真剣だっただろうが、残念なことにふざけた調子での報道が多く、世間では半分面白がられていた。



「そうだ…。

希望はないが、新しい政権に期待するしか僕たちには選択肢がないんだ…」


ソウさんは肩を落としたが、ユウキさんと会話したことで先ほどよりは少し落ち着いたようだった。


「ちゃんと立候補者が集まればいいな」


彼は言った。俺は


「集まりすぎると思う。

むしろ『三万円法さんまんえんほう』成立後の初選挙がどうなるか俺は怖い」


と意見を言った。

エリカさんが頷いた。


「そうよ。

あれって、落選しても立候補しただけで三万円もらえるんでしょ?

三万円欲しさに立候補する人が殺到しそう」


「立候補を取り下げなければ、だからな。

そりゃ多少は、もし間違って当選しても仮病で辞めればいいや、と思ってしまう人もいるかもしれない。

しかし僕は、前回の選挙のように立候補ゼロの選挙区が多発するよりましだろうと思う」


ソウさんが言った。


「前回はひどかったからね」


と相槌をうつエリカさんに対して俺は言う。


「ひどくない選挙はあり得る?

俺はひどくない選挙を経験したことがないな」


すると先輩たちは、ぎょっとした表情を見せる。


「そうなのね、若い人は。

マサコさんが最初に投票したのはいつ?」


「16歳、ハイスクール生の時。

東京選挙区の定員が4人に減った時」


「あー。あれもひどかったわね。

あのときから悪夢が始まったんじゃないかしら?」



それは東京選挙区の定員が5人から4人に減って初めての選挙だった。

そこへ現職の5人しか立候補しなかったので世間は大騒ぎになった。

枠が減っていなければ無投票ではないか、と。


5人の内訳は安心党3人、改革党2人。

他の選挙区でも、現職しか立候補せず投票なしとなったところがあった。


「ニュースは議員離れの話ばっかりだったわね」


「うん。

先生から『将来国会議員を目指そう!』的な宣伝動画とかアニメをしょっちゅう配信された。

でも、見ないで他の奴の感想を真似させてもらうとか、そんな感じだったよ。

みんな、自分は議員になりたくないけど信州の定員割れは問題だとわかってたんだ。

だから、こんな動画見たくないとまでは言えなかった」


「ああ、信州の。

あのときか。ヨウコさんが『正義の男』と言われるようになったのは」


ソウさんが納得したように頷いた。


あのとき、東京の1枠を奪った形で3枠に増えた信州選挙区に、期日の終了時間ぎりぎりまで現職2人しか立候補しなかったのだ。


それに対して『悪意ある者が立候補する前に』と、東京の改革党候補だったヨウコさんが、ラスト10分というところで信州から立候補し直したのだった。


「正義だったかもしれないけど、作戦的にはどうだ。

あれが原因で、東京は改革党がますます劣勢になったよ。三対一で負け続けだ」


ソウさんはぼやく。


「ヨウコさんの代わりに出てきたカイトさん、毎回落選してるからな。

僕はいつも迷うんだよ、カイトさんに投票すべきかどうか。

でも四対零にはできないと思って結局、ユリナさんに投票してしまう」


「わかる。安心党の組織力が怖いのよね」


エリカさんが大きく頷いた。


そういえば中学校の授業で教わったのだが、俺が小学校に入学した頃が安心党の最盛期だった。

議席の8割を獲得したのだ。


そのころ国会議員が100議席に減って最初の国政選挙が行われた。

1人区、合同区が増えて与党に有利になったのだ、と授業では教わった。


ユウキさんやソウさん、エリカさんはその時とっくに参政権を持っている。

マリさんも中学生くらいだ。


安心党がどんどん勢力を伸ばす様を、彼らはきっと恐怖すら感じながら眺めていたのだろう。


俺も一つの光景を覚えている。

たぶん投票日の翌日だったのだと思う。

担任の先生が


「みんな、友達のお父さん、お母さんが誰に投票したとしても、けっしてそのことで悪口を言ったりけんかをしてはいけないよ」


と真剣な顔で言ったのだ。

それほど大人たちは対立して険悪な雰囲気になっていた。



「その安心党も今や、候補を次々出してくる力を失ったね」


ユウキさんが言った。


「エリカさんがさっき悪夢と言った通り、東京だけは4つの椅子を6人で争って来たが、全国では欠員まで相次いだ」


「そうよね。ケンさんだっけ?

本当にかわいそうだった。

引退してたのに欠員で仕方なく復職して、そのあと入院しちゃったものね。

ローラさんが鬱症状の治療に専念するってやめた時も私、会見の生放送を見て泣いちゃった」


エリカさんが今にも泣きそうな表情で言った。


そうなのだ。


そうして欠員が出ては補欠選挙があり、経験者が復帰表明して無投票で決まり、また欠員が出ては補欠選挙があり、経験者が復帰して…


という悪夢の連続によってようやくかき集めた議員で組閣がなされたから、今回の内閣は、仮設内閣と呼ばれてしまったのだ。



だから、ひどくない選挙なんてもうあり得ない。

そう思った俺は言った。


「こうなったらもう、国会議員も裁判員と同じように当番でやるしかなくないか?」


するとユウキさんが驚いた顔で、俺をじっと見た。


「えー、当番いや。やりたくない」


「気持ちはわかるけど現実的ではないかな」


「そうね、市町村なら当番もありかもしれないわね。

それで例えば今の市長さんが国会のほうに回ったら、少しは助かるかしら?」


マリさん、ソウさん、エリカさんの反応は微妙だった。



ユウキさんの驚きが何を意味するのか、俺はその日の帰りまで理解しなかった。



「よし、今日はこれで解散。

また一週間頑張ろう」


ユウキさんの挨拶を合図に、社員は帰り支度を始める。

いつも一番にソウさんが出て次にマリさんが出て、あとの3人はだいたい同時に帰るのだ。



駅で、利用する乗り場が違うエリカさんと別れて少し歩いた時


「マサコ、ちょっと話したいことがあるんだけど、このあと時間いいかな?」


とユウキさんが言い出した。


「え?時間はあるけど、内容によっては聞かないかも」


「ああ、ごめんごめん、警戒させて。

今朝、君は議員を裁判員みたいにするしかないかも、って言ったよね」


「たしかにそんなこと言ったね」


答えながら思った。

気付かないうちに、何か面倒なことに俺は足を突っ込んでいたらしい。


ユウキさんは何を言おうとしているのか、俺は進むべきか退くべきか。


でも俺はとりあえず話をもう少し聞くことにした。

ユウキさんは、警告なしで俺に危害を加えるような人ではないと思う。

だからもしこのあとの話が警告だったとしても、はい気をつけますと答えれば問題ないだろう。


「あれって重大だった?」


俺は少し先回りして言った。

するとユウキさんは笑って意外なことを答えた。



「俺、実はね、『議員当番制』の実現について考えるサークルのリーダーをしているんだ。

プライベートでね。

『当番派』っていうサークル名で活動しているんだよ」


なんだって?

当番派?

そんな活動をしている人たちがいたのか?

しかも、そのリーダーがユウキさんだと?



「そんなことがあるか?」


「あるんだよ。俺もびっくりした。

面接の時に、マサコは俺と考え方が近いなとは思ったけどさ。

それで君を、サークルのメンバーに入らないか?って勧誘したいんだけど、一時間くらい話聞いてもらえるかな?」



まさかそんな勧誘をされるとは、俺は考えてもみなかった。


『そういう危険思想はよくないよ』とか『これ以上深入りするなよ』と言われるのと、どっちが俺にとって楽だっただろう?


だが、ユウキさんが政治的なサークルのリーダーであることを俺はもう聞かされてしまった。


この先、敵ではない部外者としてユウキさんの前で発言に気を使い続けるよりは、メンバーに加わった方が面白いだろうと俺は思った。

もともと考え方が近いようなのだから。


「いいよユウキさん、話聞かせて。

何かわからないけど面白そうだし」


俺は答えた。



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