無言の修理屋
修理屋の店内では声を出さないのがルールだ。
それは盗聴された状態の機器を持ち込む客がいることも考えられるためだ、と俺はかつて大学の先輩から教わった。
しかしその先輩が言うには、盗聴されていないとわかっていても、店内の無言ルールは徹底されているということだった。
もしかしたら無言を貫く本当の理由は、他にあるのかもしれない。
ともかく修理屋の中は静かだ。
先客の用事が終わるのを手持ち無沙汰に待っていると、外から黒っぽい平たい虫がカサカサと入ってきた。
地下や、狭い路地などの隅でよく見かける虫だ。
俺はユナの様子を見た。
彼女は嫌そうな顔で虫を見ていたが、とくに体を動かさないし逆に固まっているわけでもないので、耐えられないほど嫌ではなさそうだ。
彼女が叫ぶタイプでなくて助かった、と俺は思った。
それにしても、この虫はエサもないところにどうして入ってきたのだろうか。
もしかして修理屋の店主が遊び半分に作った、虫の形をした機械だろうか?いや、そんなはずないか。
虫は壁に沿って店内を巡回し始めた。
次の瞬間、茶色の塊が風のように現れ、その虫を捕らえた。
猫である。
これは動物の猫だろうか、それとも猫の形をした機械だろうかと思って見ていると、店主が奥から出てきてそれに向かって無造作に袋を差し出した。
袋の口からホコリの塊や、千切れた紙、髪の毛らしきものが見える。
ゴミ袋だ。
猫はくわえた虫をその袋に入れた。
俺は驚いた。
ちょっと都合が良すぎないか?
店に、精密機械を扱う者にとって迷惑である虫が入ってきたとたんに、猫が姿を現してその虫を捕らえ、食べもせずゴミ袋に入れるとは…。
やっぱり猫は機械なのか?
店の奥にいながら、あのような小さい虫が入ってきたことを察知するなんて、センサーがついていなければできない気がする。
しかし、動物の猫と考えられる要素もある。
それは、袋に入れるという単純な動作のためにわざわざ人の手を借りるところがどうも非効率的で、機械の設計としては中途半端な感じがするからだ。
機械であれば、片付けまで自分でやるか、逆につかまえた虫をその場でおさえておくだけか、どちらかになる気がする。
俺は猫の様子を観察した。
猫も利口そうな顔つきで俺の様子を観察している。
俺は身を屈めて猫のほうにゆっくり右手を、手のひらを上にして伸ばしてみた。
猫は様子を見ながら近付いてきた。
俺が辛抱強くじっとしていると、猫はさらに近付き、俺の指先に鼻を近付けた。
そして2回ヒクヒクと鼻先を動かしてから右の前足で俺の手をトントンとすばやく叩き、感触を確かめると満足した様子でしっぽを振りながら店の奥に帰っていった。
動物の確率80%、と俺は思った。
先客の男が、テレらしき機器をポケットに入れながらカウンターの前から離れた。
用事が終わったようだ。
彼は手で俺に『どうぞ』と示した。
俺は軽く頭を下げて席を立ち、カウンターの前に移動した。
男は何故か、そのまま帰らずさっきまで俺が座っていた椅子に腰を下ろした。
店主も男を帰らせようとしない。
馴染み客ではない俺たちを、店主も男も警戒しているのかもしれない。
俺は男の存在を気にしないことにした。
黙って自分のテレをカウンターに置き、ユナのテレもカウンターに置かせ、財布から数えずに文札を取り出した。
財布の中に文札が一枚残った感触があったが、俺は気付かないふりをして、有り金を全て出したっぽい雰囲気で財布を片付けた。
そしてカウンターに目をやり俺は驚いた。
ユナのテレは『指輪型』だったのだ。
指輪タイプはデザイン料が高いと聞いたことがある。指にぴったり合うようサイズ調整もするらしいし、そうとう高額なはずだ。
一般的な学生が持てるものではない。
自分で買ったとは考えにくい。
誰か、彼女にそういうものをくれる人がいるのだろう。
そう思うと、急に彼女が俺とは違う世界の住人のように思えた。
俺はスケナリの紹介で、大学に入学するときそれまで先輩が住んでいた部屋を借りる権利を引き継いだ。
そして俺は、後輩を通したつながりでユナにその部屋を借りる権利を引き継がせた。
しかし彼女は、あのみすぼらしい部屋と不釣り合いだ。
俺は人選に失敗したかもしれない。
彼女はあのような安い部屋に住む必要がなさそうだ。
というか彼女自身、そろそろ引っ越したいと思っていてもおかしくない。
彼女はさっき、人さがし本舗の動きが気になるから引っ越したい、と言ったが、ちょうど良いきっかけだったのかもしれない。
ところで、数百年前はこういった個人むけの通信機器を『スマートフォン』と呼んで、指輪型やピアス型なんてものはなく、ほぼ同じ形の商品ばかりだったそうだ。
今や、通信機器はスマートなものでもないし、少なくともフォンではない。
今は当時よりずっと複雑な技術が使われるようになったし見た目も多様化したが、通信機器の総称を省略したテレという気軽な名前で呼ばれている。
さて修理屋の話だ。
店主に促され、俺は
「DATA NUKARETA UTAGAI」
と、壁に貼られたパネルに印刷されている『タイプライター』の『写真』のアルファベットを指さして、最低限のメッセージを伝えた。
店主が頷いたので、俺は『2台とも』『同じ人物 ナデシカ との通話中』『確認と修復、防御依頼』と同じようにして伝えた。
店主は頷くと、真っ赤に塗られた小さい爪をもつ細い指をめいっぱい広げて機器と札をつかみ、店の奥へ引っ込んだ。
奥の様子はこちらからは見えない。
作業を待つ間、椅子が空かないので俺は立っている。
さっきよりも今の方が、手持ち無沙汰に感じた。
猫がまた出てこないかと期待したが、残念ながら姿を現さなかった。
しばらくして店主がカウンターに戻ってきた。
パネルの『タイプライターの写真』を通した会話で俺たちは報告を聞いた。
やはりナデシカとの通話中に、俺のテレの通話履歴が読み取られていた。
ユナに連絡をした『ナデシカ』は、俺に連絡をしたのと同じ人物だった。
つまりナデシカ自身が、わざわざ俺が誰と話したか確認して、しかもその相手にわざわざ嘘までついて連絡したということだ。
スケナリが言うように、彼女は俺を疑っているのだ。
ユナのテレに対しては、何もされていなかった。
また、俺のテレにもそれ以外の被害はなかった。
ナデシカに把握された連絡先の中には、『当番派』のメンバーたちのものが含まれていた。
ユウキさんやケントさん、ハルキさん、そしてラショウモン君までも。
店主が作成した通知文に俺は同意して、それらの人たちにすぐメッセージを送った。
今後の防御対策としては、ナデシカからの通話を拒否することしかできないそうだ。
残念だがナデシカを通報することはできない。
この怪しい店でいくら証拠を取っても、通報には使えないからだ。
こんなとき、機器メーカーの直営店や駅前の大通りにあるような修理屋なら、そこで取った証拠をもとにそのまま通報できる。
そういう正規店が出す証拠なしに通報すれば、嘘の通報によって世の中を混乱させた罪に問われて罰金を取られてしまうのだ。
だが、正規店はその時々の政府とつながっているから信用できない。
犯権会に情報を流されたら、たまったものではない。
そういう意味でも信用できる修理屋を、俺はこの店しか知らない。
だから俺には選択肢がないのだ。
店から出ると、先客の男も後ろからついて来た。
偶然とは思えない。
俺が振り返って不思議そうな表情をすると、男は微笑を浮かべて少し先の路地から出るか出ないかの辺りを指さした。
そこへ行くということだろうか。
彼がそこへ向かっていると言いたいのか、俺たちにそこへ向かえと言いたいのか、指さしだけではわからない。
とりあえず駅と方向が同じなので、俺たちは前後して歩いた。
さっき男が指さしたところを通り過ぎようとすると、男は微笑を浮かべた表情のまま
「ここだよ」
と初めて低い声を出した。
俺とユナは無言で振り返った。
「入ろう」
そう言って男は建物の入り口を指さした。
彼はいったい何を考えているのか?
初めて会った相手に『入ろう』と言われて、ノコノコ入る奴がどこにいると思っているのか?
それとも、この男のまわりではいつもそんな調子で物事が進んでいるのだろうか?
「彼女を送るから」
俺は言った。
すると男は、俺の返事に対して何の疑問も持たない様子で
「中で待っている」
と言うと、さっさと一人で建物に入ってしまった。
ドアが開いた時に、中が飲食店のような感じになっているのが少し見えた。
俺は宣言通り、ユナを家まで送った。
「このあと、さっきのところへ戻るの?」
歩きながらユナが言った。
「ああ。なんとなく、あいつは俺の欲しい情報を持っていそうな気がする」
俺は答えた。
修理屋の客同士ということで、俺は男に関心を持った。
修理屋で同席しただけで会話もしていないから信用はできないが、なぜか親近感を持ってしまう。
それと、さっき思ったのは男がスケナリの知り合いかもしれないということだ。
修理屋に行く前、駅の近くでユナが俺を『マサコさん』と呼び、スケナリを探している『人さがし本舗』の話をした。
周囲に会話の内容を聞かれることが俺は気になったが、静かに、などと言うとますます怪しまれそうだと思って普通に会話した。
そして、やっぱりそれを男に聞かれていたのかもしれない。
男は、俺の知らない抜け道を通って修理屋まで先回りして、俺を待っていたのかもしれない。
そうだとしたら、男の話に乗ることは、スケナリのために必要な情報を手に入れられる良い機会かもしれない。
二度とないチャンスかもしれない。
こうしてカモがまた一匹釣れるのか……と俺は自分のことを客観的に見下した。
「危ないかもよ」
ユナが言った。
「まあな。
このまま知らん顔をして帰宅すれば、俺は何事もなく今日の日を終えることができるだろうな」
俺は答えた。
しかし歩きながら俺の好奇心は増していた。
彼女の部屋…かつて俺の部屋で、その前は先輩の部屋だった場所の前に着いた時、俺は言った。
「俺が無事だったら明日の朝、連絡するよ。9時頃に。
もし連絡がなかったら、俺の新しい住所にメッセージカードを送ってくれないか?
『マサコさん、連絡がないけど、どうかした?』って」
そうしてもらえば、俺に何かあったことがスケナリに伝わる。
「うん……わかったわ」
ユナは納得していない様子だったが、とりあえず頷いた。
俺は来た道を戻った。
男が話の通じる相手であることを、俺は願い始めていた。
俺は再び、路地の前に立った。
それでも入る前に、少なくとも建物の様子ぐらい探ろう、と思ってふと見上げてギョッとした。
先程の男が窓から俺を見下ろし、挨拶する感じで右手を軽く上げると、少し急ぐ様子で手招きした。
早く入れと言っているようだ。
見られていたか。
安全確認は全くできていないが、まあいいか、と思いながら俺は扉を開けた。
「あれ?お前…」
建物に入りかけて俺は立ち止まった。奥のほうの椅子にスケナリが座っていたからだ。
彼がここにいるはずがない。
これは彼をかたどったヒューマノイドだろうか?
犯権会が作ったのか?
しかしスケナリは犯権会にとって、そこまでするほどの重要人物だっただろうか?
そんなはずはないと思うが。
「早くドアを閉めて」
別の椅子に座った、若い女のように見える人物が言った。
スケナリもどきは、ニヤニヤ笑っている。
さっきの男が、もう一人の人物と連れ立って2階から下りてきた。




