家族との連絡
俺が画像オンの通話を要求したら、母はそれを拒否して、すぐに折り返し画像オフでの通話を求めてきた。
画像がダメということは外出先だろうか?と思いながら俺は許可した。
すると母は挨拶もなく
「いま髪を乾かしてるから」
と言った。
俺は少しイラッとした。都合が悪いなら折り返さなければいいではないか。
「じゃあ後でいいよ」
「あら大丈夫よ、マサコは元気?」
「元気だよ。後でまた連絡する」
「あら、どうして?」
俺は怒りが表に出る前に、一方的に通話を終えた。
俺がため息をつくと台所の陰からスケナリが笑いながら顔を出した。
「他人のお母さんって面白いよね」
「面白がるなよ」
「マサコも、お母さんを試しに友達のお母さんだと思ってみなよ。面白く感じるはずだよ」
「面白くない」
「そうかー?」
30分後にもう一度連絡したところ母は
「あと10分で仕事だけど、どうした?何かあった?」
と言った。
なるほど。
仕事の前だから身なりを整えていたのか。
次の予定があるならひとこと言ってもらいたかった。もしくは、髪を乾かし終えた時に連絡してくれてもよかったではないか?
しかしイライラして通話を打ち切った俺も悪いのだろう。
「俺に何かあったわけではないよ。
10分以内に終わる話じゃないから、あとで連絡する」
「急ぐの?」
「急がない。仕事は何時まで?
…。切ったか」
俺が質問している途中で母は通話を切った。話が終わったと思い込んだに違いない。
むかついてマイク部分を背中の方へ乱暴に投げると、再び隠れていたスケナリが笑いながら出てきた。
「ちょっと話すだけでもたいへんだね」
「なんか疲れた。母に連絡するといつもこうなる。
もういい」
俺は本当に疲れたので床に寝転がった。スケナリは、声を出さずに笑い転げた。
約75分後、母から画像オンで連絡してきた。
どうやら仕事が終わったようだ。
「マサコ、久しぶりじゃない。元気にしてるの?」
「問題ないよ」
「良かったわ。
そうそう、もうすぐアキエが夫と契約満了で。一部屋空くけど、使う?」
「そうなんだ…考える時間ある?
今、週に2回出勤してるんだよね。
そっちまでだと10駅越えるだろ。家賃と電車賃の、どっちがいくら安いか計算してから決めたい。
会社の電車代の補助にも上限あるから」
「もちろん」
「てかアキエ、結婚期間更新しないんだ」
「そうね。
もう息子も娘もいるし、いいみたい。上のお兄ちゃんは夫に譲ることになったけど」
「けど、もしまた別の人と結婚することにしたら部屋使うんだろ?」
「どうかしら?
あのときはマサコが中学生だったから、荷物も少ないし、独立して義兄に部屋を譲れって話になったけど、もう大人だからそういうことはないでしょ」
そもそも聞きたい事があったから連絡したのにいきなり姉の近況を聞かされてしまったが、部屋が空くというのは重要な情報だ。
場合によってはそこにスケナリを預けられるかもしれない。
「ところで」
俺は言った。
「むかし近所にジューローっていただろ、母さんも覚えてるか?」
(ジューローはスケナリの本名)
「もちろん覚えてるわよ、あなた仲良しだったじゃない」
「今そいつが行方不明らしくてさ、母親のナデシカさんから連絡が来たんだ」
「え?そうなの?それはたいへんね」
「けっこう捜索とかしてるそうでさ。でも、そっちには連絡なかったんだな。
変だよな」
「変?でももう、ずいぶん会ってないから疎遠よ。
近所だけど不思議に、すれ違うこともないの。私が気付いていないのかもしれないけれど」
「あー、そっか」
「あの人たち、何て言ったかしら?確か、ローザさんとダリアさんとナデシカさん?
三人とも同じ施設で育って、夫妻妻制度を使って三人で里親を始めたって言ってたわよね。
あなたが小学生の頃はナデシカさん、あとの二人に利用されてる感じがして心配だったけど、元気そうだった?」
「まあ、普通に元気だったよ。画像オンで連絡きたし」
「そう、良かったわ。
それならジューロー君も大丈夫なんじゃない?
たぶん、職場に来ないとかでナデシカさんたちに連絡が来て、捜索しないと責任問題になるから探してるけど、なんとなくわかってるんじゃないの?どこにいるか」
「それならいいけど」
そう答えながら、ナデシカがスケナリの本当の居場所を勘付いていたらまずいぞ、と俺は思った。
職場から連絡があったのではないか、と指摘したことは鋭いが、母が楽観的な鋭すぎない人で良かった、と俺は思った。
「今見たけど、自治体のサイトにも捜索情報が出てないから、警察は動いてないわね。
つまりおおごとではないのよ。
大丈夫、あなたが心配することじゃないわ」
「うん、それを聞いて安心した」
俺は極力、自然な会話を心がけながら考えた。
つまりナデシカたちはスケナリを、警察ではなく犯権会グループの探偵に主に探させているのだ。
ナデシカたちはだまされているのか、それとも彼女たちも犯権会の仲間なのか。
母の声が思考を止めた。
「マサコ、せっかくだからお祖父ちゃんたちにも挨拶したら?」
「あ、うん」
「じゃあ画像をつなぐわよ」
母がそう言うと、祖父や叔父などから次々に通話許可の要求がきた。
俺は順番に許可した。
「お祖父ちゃん、久しぶり」
「マサコ、久しぶり」
ニコニコして祖父は言った。
この祖父の影響で俺は歴史好きになったのだ。いや、俺だけではない。
母も叔父たちも、姉もだ。
「ソウセキ叔父さんも」
「マサコ、元気そうだな。仕事は面白いか?」
「面白いよ。勉強になる」
「いいね、それなら良い仕事だ。頑張れよ」
「うん、ありがとう。
クシャミ叔父さんは調子どう?」
「だめだよ、こんな世の中だから俺はいつだって調子悪いんだ。というのは冗談で。
いや、でも病気も怪我もしていないからありがたいね」
「ケンゾー叔父さんは?」
「マサコは変に気を使う子だな。
もっと楽にしろ。
俺たちはまだ若いんだぞ。そんなに健康の話ばかりする年ではないだろう」
三人の叔父はそれぞれ楽しい人だ。
まったく、祖父(母の父)は変な人だと思う。
夏目漱石のファンなのはわかるが、三人の息子にソウセキ、クシャミ、ケンゾーと名付けてしまうのはどうかと思う。
もっとも、三人がそろって初めて違和感を感じるわけだが。
それに原典がわかる人は今やほとんどいないので、本人たちが小学校などで全くからかわれなかったことが幸いだ。
(クシャミは『吾輩は猫である』から、ケンゾーは『道草』から)
ちなみに母はキョウカという。
漱石婦人、鏡子さんの名前の『女性名』である。
撫子の女性名がナデシカになるのと同じ理屈だ。
こちらも、由来がわかる人はほとんど専門家だけだろう。
そうだ…、もし祖父が母本人に彼女の名前の由来を正しく説明していたら、俺がマサコと名付けられることはなかったかもしれない。
祖父は子供の頃の母に、『漱石婦人と同じ名前をつけた』という言い方で説明をしてしまっていた。
だから母は、かつて多くの女性の名前に『子』がついていたことを知らず、マサコを男の名前と思ったのだ。
「よお、マサコ。
お前は変わらないな、わが子ながら感心するよ」
叔父たちのあとに父が現れた。
「父さんこそ変わってないじゃないか。俺の年だと、変わらないのが良いこととも思えないけど」
「見た目の話ではない。精神の事だよ」
「なんだかよくわからない」
「なんだよ、物わかりが悪いな。お前は頭が良いかと思っていたが、がっかりだ」
「はあ」
「何だその変な返事は」
「何とも言いようがない」
「ああ、そうか。それではしょうがない」
父と俺がよくわからないやり取りをしている間、母が背中を向けてごそごそしていると思ったら娘を抱いた姉を画面に引っ張り出してきた。
「あ、アキエが映った」
「うるさいわね、別に話すことないでしょ?」
「そんな言い方をする奴に言ってやることは無い」
姉と俺が顔を合わせると必ず言い合いになってしまう。
彼女が、かつて俺を追い出したことを後ろめたく思っているが謝りたくないために、強がっているせいなのだ。
俺も、姉に合わせるつもりはない。
姉の顔を見ていない時は俺も優しい気持ちになっているので、いつも、次に会ったらこう言ってやろうと思っている。
「アキエは俺を追い出したと思っているみたいだけど、そんなことはない。
あれは巡り合わせとしか言えないものだって、俺はわかっているよ」
と。
俺が中学生の時に一人暮らしを始めた直接の原因は、姉が結婚して、愛する夫と同居したいと主張したからで、夫もそれに強く同意したうえで『狭い部屋は嫌だ』とワガママを言ったからだ。
しかしその前に伏線がある。
姉が小学生だったころ、まだ若かった叔父たちが、25歳以下の子と同居する親に支給される補助金欲しさに示し合わせて姉を養子にしてしまった。
『養子にならない?』という叔父たちの誘いを、俺は本能的に断ったが姉は受けてしまったのだ。
そうして叔父たちがうちで同居することになり、空き部屋が埋まったのだ。
叔父たちがうちにいなければ姉の夫が部屋を欲しがろうとも、空室はじゅうぶんあったのだ。
でも叔父たちを責めることもできない。将来そんなことになるとは誰も考えていなかったのだから。
だからこれは、運というか縁というか、誰が悪いとも言いようがない。
悪くはないけれど、ひとことで説明するならやっぱり『姉のせい』である。
その後、俺が祖父たちと会話している間に大学の後輩のユナから通話の要求があった。
俺は家族の通話を終えてから折り返した。
「急にごめんなさい、ナデシカという人から連絡がきて。
マサコさん、私の連絡先をその人に教えた?」
ユナにそう聞かれて俺はゾッとした。
「教えていない」
「やっぱり。ちがうと思った」
「そいつ、さっき通話したばかりだ。
どうしてユナの連絡先を知っているんだ…?」
「通話中に、読み取られたとしか思えないわ」
「だな。すぐ修理屋に行こう。駅前で待ち合わせられるか?」
「うん」
すぐに電源を切って、俺は外出の支度をした。
俺が出ている間に犯権会に侵入されるといけないので、念のためスケナリをスポーツバッグに入れて担いで行こうと思った。
俺が無言のジェスチャーで『バッグに入れ』と示すとスケナリは拒否するそぶりを見せた。
俺は言った。
「もしユナとの通話を盗聴されていたら、俺が外出することをナデシカたちに知られた」
「それは問題ない。
俺がここに隠れていると確信しているなら、マサコが外出しているかどうかに関係なく捕まえに来るのが犯権会だ。
それと同時に、軽く疑っている程度ではコンドミニアムのセキュリティを突破するほどのリスクを犯さない奴らなんだよ。
マサコは俺をかくまっているのではないかと疑われているんじゃなくて、何か情報を隠していると思われているだけだ」
本人がそう言うなら、と思って俺は心配しながらも一人で出かけた。
修理屋では現金が必要なので、財布に文札を10枚入れた。
直接会うのは約一年ぶりだが、ユナのことはすぐにわかった。
彼女も俺をすぐに見つけた。
「電源切ったか?」
「うん。
あのね、最近も毎日『人さがし本舗』の人たちが、このへんをうろうろしているの。
彼ら、あきらめが悪すぎると思わない?
質問攻めにあってたお隣さん、知らないものは知らない、って言い続けていたけど、いつの間にか大学に来なくなっちゃった」
「そんな」
「気味悪いでしょ。
上の階の人、こんな環境では落ち着いて勉強できないって言って引っ越しちゃったわ。
私も引っ越そうかと思うの」
「そうか。ひどいな、人さがし本舗は」
「本当よ…え、待って、この狭い路地に入るの?」
「そう。こっちだ。
店に着いたら無言だぞ」
「無言?」
「そうだ。声を出してしゃべってはいけないルールなんだ。
メッセージはジェスチャーや手話、壁に貼ったボードを指さすことで伝えるんだ」
「ふーん…わかった」
その修理屋は、俺が大学一年生の頃に訪れた時と何も変わっていないように見えた。
店の入り口は、古着屋を装っている。
低い天井の近くからびっしり吊り下がった、赤や黄色のスカートやら何やら雑多な布の下を、身を屈めて入ると先客が小さい椅子に腕を組んで座っていた。
店主は奥で作業中だろう、姿が見えない。
俺は先客の男に軽く頭を下げ、ユナをもうひとつの椅子に座らせた。
カウンターに置かれたスピーカーから、古着の説明をする愛想のない店主らしき音声が、ランダムな間隔で流れる。
ふらっと見に来た客に、仕方なく商品の説明をするストーリーだ。
古着が売れる瞬間の音声は、3日に1回しか聞けないと以前大学の先輩から聞いたことがある。その音声には、客役の人物の声も入っているらしい。
カウンター側の壁には座って手が届く高さに、色褪せたパネルボードが掛かっている。
長い辺が1m近くなるそれには、文化的レガシー商品であるタイプライターの、いわゆるキーボード部分を拡大した『写真』が貼ってある。
写真という言葉はふだん使われないが、これはまさに写真と呼びたくなるものだ。
静止画といういつも通りの言い方では、この被写体の古さを表現できない気がする。
写真。
古代の人はえらいと思う。
真実を写すという意気込みで、写真という言葉を作り出したのだろう。
しかし俺には静止画でじゅうぶんだ。
しばらくすると店主が奥から出てきて、先客の男は立ち上がった。
無言で俺に座れと示す。
立っていると彼らの手元を覗けてしまうから気になるのだろう。
そう思って俺は遠慮なく、今空いたばかりの椅子に腰を下ろした。




