ユウキさんは悪くないが
二日後(日曜日)、『ケント会』に参加した俺は美南洲島での事をざっと話した。
例によって議事録の上でこの部分は『雑談』という一言で済ませてもらっている。
俺は当日のハルキさんの言動を伝え、ケントさんからは翌日行われたマネジャーミーティングの内容を一部教えてもらった。
ハルキさんが当日、あたかも違法な『自白誘導ミュージック』を使ったかのような発言をした事を明かすと、ケント会のメンバーからブーイングが起こった。
「冗談で言って良いことではない」
と怒ったうえでケントさんは言った。
「ハルキさんはマネジャーミーティングでもその事を言わなかったし、嘘にきまっているね。
彼は自分がマサコさんに慕われていないとわかって、意地悪を言ったのかもしれない」
確かに俺が彼を慕っていないことはあの日、明らかになったと思う。
バースデーパーティーに呼ばれ、食事会に呼ばれても俺は彼を嫌っていた。
マネジャーミーティングで彼が都合の悪い事を報告しなかったことは、まったく驚かない。
しかし次の話は俺を驚かせた。
「ユキさんのマネジャーの、ヒメさんね。彼女からハルキさんにメッセージが届いたそうだ」
ケントさんがそう言い出したので俺は、おや?と思った。
「ユキさんとの連絡って、レイナさんが窓口してなかったっけ?」
「レイナさんだったよ、最初は。彼女はユキさん本人に連絡した。
ところがね、マネージャーのヒメさんが登場して食事会の日時やなんかを打ち合わせ始めたら、ハルキさんに窓口が移った。
そこからはハルキさんがヒメさんと連絡を取ったようだ」
それは乗っ取られた、という言い方がふさわしいように思えた。
ハルキさんがどのようにして人脈を広げてきたか、その一角を垣間見た気がした。
「彼はヒメさんから受け取ったメッセージの一部を僕たちに見せた」
ケントさんは言った。
「そこには、こんなことが書いてあった。
『さっきはありがとう。
うちのユキが、マサコさんの連絡先を知りたがっているが、断られたと回答して良いか?』」
「え!?」
「ハルキさんはヒメさんに対して、嘘はつかない方がいいと回答したそうだ。断られた事にするなんて、誰が聞いてもおかしいからね」
「そうそう。俺は断っていない」
「ハルキさんが言うには、ヒメさんは所属する事務所の考えとして、反政府的な政治団体つまりわれわれ当番派と、これ以上関わりたくないのだろうということだ」
組織のメンツのために、俺はせっかくのユキさんと連絡先を交換するチャンスを失ったわけだ。
俺は言った。
「だったら個人間の連絡に戻してくれればいいだけだ。
でも、知ってしまったからには見てみぬふりもできない、ってことか。
当番派は、反政府的なわけではないけど」
俺がそう言うと、ケント会の先輩たちは皆苦笑した。
俺はこの会話を何者かに監視されている可能性を意識してそう言っただけだが、ケントさんのようにうまく『本音は別にある』とみんなに伝える事ができなかったので、俺の意見とみなされたようだった。
「マサコさん、僕たちの活動についてね」
「うん」
ケントさんは言葉に気をつけながら言った。
「当番派はもちろん政府と敵対するグループではないよ。
でも君も知っての通り、選挙制度への疑問を口にするだけで、政権に対する脅威とみなされる風潮がある。
だから僕たちと関わりたくないと考える人はたくさんいる」
「ひどい話だ。それじゃ議論にならない」
「でも事実だよ。
だから僕たちにできることは、自分の意見を正々堂々と述べることだけなんだ」
彼は柔らかい表情で、ゆったりと語った。
「マサコさん、当番派には創立時から、ある不文律があるんだ。
それはね『勧誘するな、歓迎しろ』というものだ」
「どういうこと?」
「うん。
『勧誘するな』とは、当番派の考えに共鳴していない人を説得したり、考えを世間に広めようとしてはいけない。
しかし『歓迎しろ』つまり、当番派に近い考えを持っている人を見つけたら、放置せずサークルに加入させなければならない。
そういうことだ」
「そうだったのか!」
この不文律は、当時の政権から押しつけられたかまたは、当時の政権との妥協によって作られたものだろう、と俺は思った。
政府にとって、選挙制度に対して批判的な考えを持つ人をもれなく把握するためには、そういう人ができるかぎり全員同じグループに入っていると都合が良いわけだ。
一人一人チェックするよりも、一つのグループだけを監視するほうが簡単だ。
捕らえたければラクに、一網打尽にできる。
それに、みんなが同じサークルに入っているほうが穏健派の大勢を保てるだろう。
一人で考えるよりもディスカッションしたほうが、意見が過激になりすぎることを防げそうだ。
でもこれは管理をするためだけでなく、もしかしたらタダヒコ前政権の優しさかもしれなかった。
つまり、過激な反体制的組織のメンバーになるかもしれない人たちを、冷静な勉強サークルの活動にとどめておくことで、犯罪者になることなく『普通の市民』という立場を保てるように配慮したのかもしれない。
もちろん、一網打尽の危険は変わらないけれど。
それにしても、俺はユウキさんに見込まれて当番派に入ったと思っていたが、どうやらそれは間違いだったようだ。
彼は俺を気に入ったからではなく、ルールだから声をかけたのだ。
純粋にルールを守ったのかもしれないが、むしろ彼自身が『ルールを守らなかった』と非難されたくないためではなかったか?
俺は複雑な気持ちになった。
俺の気持ちを察したかのようにケントさんは
「ユウキさんを悪く思わないで欲しいんだ」
と言った。
「彼は、もちろん不文律に従ってマサコさんに入会をすすめたのだろうけれど、もちろん君に対する友情も持っているはずだよ」
友情はどうだか知らないが、仕方ない事だ。ユウキさんは悪くない。
俺は頷いた。
翌日、俺は事務所に出勤した。
その日ユウキさんが所用のためとはいえ不在なのは、タイミングが悪いと感じた。
日中ずっといなくても、終了前の30分程度だけでも来てくれれば、帰り際など二人になった時に美南洲島のことやそれをケント会でどこまで伝えたか話せたのに。
だが、当番派の話をするために職場まで来て欲しいとは言いにくかった。
受付を始めて間もなく、ハルキさんのバースデーパーティーで会った、旧友の父親が連絡をくれたのは素直に嬉しかった。
彼は興味のある商品についていくつか質問して、資料の送信を希望した。
問題の問い合わせがあったのは、昼過ぎだった。
「こんにちわ。介護用品のお店・アプソルファンタス、本日はハンナが受付を担当します」
ハンナさんがいつもの通り、応答した。
その会話が途中からいつも通りでなくなった。
「お客さん、当社では『ブレインアクセス系』の製品を取り扱いしていないの」
ソウさんと俺は、それぞれ自分の仕事をしながらハンナさんの通話に聞き耳を立て始めた。
「理由は、誤作動のリスクが0%ではないから。
これは各メーカーが発表している商品説明にも明記してあるわ。
わずかな確率であっても誤作動が起きた場合に、脳に直接誤った信号が伝わり、事故につながることがあるの。
当社はそのリスクを重大ととらえたため、取り扱っていないの」
相手はどうやら、どうして希望の商品を購入またはレンタルができないのか質問したようだ。
「リスクに対する判断はお客さんの自由だから、当社はその商品を取り扱っていないとしか言いようがないわ」
相手は、希望が通らないことに納得できないようだ。
「いいえ、私は営業妨害をしていないわ。
私は正しい説明をしたのであって、メーカーを侮辱したのではない」
きたか、と俺は思った。
前任のエリカさんから聞いたことがある。うちが取り扱っていない商品を購入・レンタルしたがって何故か粘る人がいるそうだ。
たいていの商品はメーカーから直接借りることができるし、オンラインなどで販売する店もたくさんある。
さっさと他を調べればいいのだが、安心な店を探す手間が煩わしいのか、うちにこだわる人が時々いるという。
ハンナさんはしばらくやり取りを続けていたが、急に『はい』と投げやりに言って通話を保留にした。
「どうした?上司に代われって?」
ソウさんが言った。
「そうなの。『ダイレクト・フィンガーズ』を何故レンタルできないのか、って」
そう答えてハンナさんは、通話中に調べたメーカーのサイトを俺たちに見せた。
なるほど、こういう商品か。
「マサコ君、代われる?」
ソウさんが言った。俺は頷いた。
「わかった。上司ではないしハンナさんと同じ事を言うだけだけどね」
「それでいいよ。聞かれたらはっきり断って」
「マサコさん、ありがとう。
通話の相手は若い男性で、6歳の息子にこれを使わせたいそうよ」
俺は頷いた。
「こんにちわ。介護用品のお店・アプソルファンタス、マサコが通話を代わりました」
「僕の要望は聞いたか?」
挨拶もなく相手は話を始めた。
俺は少し緊張した。
「はい。6歳の息子さんが『ダイレクト・フィンガーズ』を使えるよう、レンタルを希望と」
「そうだよ。だいたいさっきのは何だ?失礼だよ。敬語も使わないで」
「あなたは、お問い合わせ頂いたお客様に対する敬意を表すために、敬語を使うべきとお考えでございますね?」
「その通りだよ!
話が通じる人が出てきて良かった」
「失礼ながら申し上げます。
弊社では通常、業務において日常語を用いておりまして、敬語はご要望頂いた場合のみ使っております。
その理由は、『敬語が難しくて理解できない』『敬語を使った言い回しが誤解を招きやすい』という指摘が、約10年前に『日本商業組合』から発表され、取引において日常語を主とするよう通達が出されました。
その通達に、弊社も従っております」
「なんだ?僕が時代遅れだと言っているのか?」
「そうは申しておりません。
でも、そのように感じられましたか」
「まあいいや、で、いくら?
いくらならレンタルできる?」
「レンタルはできません。弊社では『ダイレクト・フィンガーズ』を取り扱っておりません。
取扱い店をご自身でお探し頂くか、または、弊社でできることをご提案させて頂きたいと思いますが」
「提案?手指を思い通りに動かせる他の方法は無いよ」
「お客様のご子息は、手指があって動かない状態でしょうか?それとも手指がない状態でしょうか?」
自分で質問しておいて不思議なものだが、そのとき俺は初めて相手を客として認識した。
それまでは客ではなく『どうせ契約しないのに対応の時間を取られる相手』だと感じていたのだ。
でも、その後の疲れる会話は省略しよう。
俺も疲れたけど、お客さんも聞き慣れない敬語にとても疲れたようだった。
今さら日常語に戻せとは言えずに、最後まで俺に敬語を使うことを要求したお客さんだったが、途中で敬語の回りくどさに『こんなはずではなかった』と、うんざりしたのが空気でわかった。
しまいに彼はもう疲れきって、レンタル商品の選定を俺に任せると言い出した。
だから俺は二つの選択肢を示して、主治医のアドバイスをもらうよう薦めた。
彼はもしかしたら本当に、うちのお客さんになるかもしれない。
「マサコさん、ありがとう!」
通話を終えるとハンナさんが、俺以上に疲れた様子で言った。
「適当に断ろうかと思ったけど、つい真面目に対応したよ」
「15分休憩しよう」
ソウさんが言った。
そこで俺たちはルミエル君との間の仕切りを開けて、飲み物を飲んで休憩した。
「敬語は疲れるね」
ソウさんが首をひねりながら言った。
「お客さんは放送業界か政治関係の人かな?敬語を求めるのは」
「いや、本人は敬語に慣れていないみたいだった」
「あら、じゃあ親とかがそういう業界なのかしらね?
もしくは敬語を使う『家政師』がいる家庭か。
それにしてもマサコさん、すごいわね。私だったらそんな、敬語でずっと話すなんて無理」
「実はところどころ『旧語』だった。誰も違いはわからないだろうと思って」
「そうなの!?わからなかったわ」
「正式な敬語って、本当に誤解を招きやすいんだ。だから危険と思ったところはあえて旧語で凌いだよ」
『旧語?』
大人たちは笑ったが、まだ小学生のルミエル君から質問がボードに表示された。
「そう。旧語っていうのは、明治時代から2300年頃まで使われた日本語のことだよ。
日常語は今とほぼ変わらないけど、敬語が今よりもシンプルなんだ。
例えば、今なら『バツバツして頂きたいと私は考えますが、お願いしてよろしいでしょうか?』と言うところ、かつては『マルマルして下さい』と言っていたんだ」
『言い切っている。責任取る?』
「その頃はそれで責任を問われなかった」
『いいね』
「そうだね」
『旧語の前は?』
「旧語の前は『文語』。これはいわゆる『武士時代』つまり1180年頃から1945年までの言葉だ。一部旧語と年代が被っている。
その前は『古典語』。いわゆる『貴族時代』の言葉だね。そしてその前が『古代語』。記録が残っている限り最古の日本語だ」
『マサコは全部話せる?』
「文語以前は、辞書を見ながらなら話せると思うよ。
ネイティブスピーカーがもういないから、そんなものだね」
『何か話して』
「言はむとてえ言ふまじ」
『?』
「何か話そうと思っても難しいかな、ってことを言ってみたけど、合ってるか?
あまり自信がないから、あとで確かめよう…」
『(^_^)』
帰宅後、辞典などのデータを壁に表示したらスケナリが
「勉強?懐かしい」
と言い出した。
俺は、自由に調べものができない状態にある友人への配慮が足りなかったと反省した。
「俺も読みたい論文があるんだよね…だけど検索なんかしたら、ここにいるよと言っているようなものだ」
彼は言った。
その通りだ。
あいにく俺の専門は歴史で、彼の専門は生物学だ。
もし俺たちが同じ分野の学科に進学していたなら、俺の名前を使ってスケナリが調べものをしても怪しまれないのだが。
「悪いね。
スケナリが早く自由になれるように、作戦をもう一度考えよう。
犯権会の正体を暴いて、政権から引きずり下ろすしかない」
「…それは長期戦になるよね」
俺は答えられなかった。
どうしたら犯権会に勝てるのか、考えようとすると眠くなるレベルの難しさだと思った。




