スケナリの事
「どれ食っていい?」
シャワールームから出てくるとスケナリは冷凍庫を開けて嬉しそうに言った。
我ながら友人に甘いと思うが、俺はスケナリを泊めることにした。
「手作りじゃないやつ。早く決めて早くフタ閉めろ」
寝袋の上に寝そべってニュースをチェックしながら、俺は言った。
今のところスケナリは探されていないようだった。もっとも、トップニュースの目次を見ただけだが。
ニュースによると、世の中はいっそう『犯権会』の思いのままになりつつあった。
ブラッドが九州に移住したので東京ではタクトが繰り上げ当選したのだ。
しかも近々、九州でも領土復活後の国政選挙が行われ、そこにブラッドは立候補するらしい。
恩人ブラッドなら間違いなく当選するだろう。
他の地域でも同じカラクリで、移住からの繰り上げ当選からの、移住先での出馬、という犯権会の動きがあった。
どうして誰も『自作自演ではないことを誓えますか?』と追及しないのか不思議でたまらない。
「冷凍バーガーと冷凍寿司にする」
「どーぞ。早くフタ閉めてくれ」
「今日は昼飯、食いそびれたんだ」
バーガーを加熱しながら彼は言った。
「昼飯食いに行くふりして外に出て、そのまま逃げてきたから」
「半日歩いてきたのか?」
「うん。足にマメできた」
「どこから逃げたんだ?」
「職場」
「なんだ」
「仕事が嫌になったんじゃないよ。犯罪に片足突っ込んだ怪しい職場だったんだ」
解凍された10個入りの寿司をあっという間に平らげ、バーガーにかじりつきながら彼は言った。
「あれから俺、サンローの紹介でいろんな仕事してたんだ。
サンロー、覚えてる?」
「覚えてるよ。嘘っぽい人」
俺がサンローを見たのは何年前だったか?
彼はその頃から、ジョブマッチングの仕事をしている、とか言っていた。
彼はスケナリの、グループホームの義兄だった。
スケナリは本名をジューローという。
彼を預かったグループホームの、里親夫妻妻がつけた名前だ。
小学校二年生のとき、俺はホームの新年会に呼ばれて行ってスケナリの『きょうだい』たちに会った。
そこで俺は衝撃を受けた。
イチロー、ニロー、サンロー、ヨンロー、ゴロー、ロクロー、ナナロー、ハロー、キューロー。
そしてジューイチロー、ジューニロー。
これがスケナリことジューローの当時のきょうだいの名前だった。
その後、もっと数字は増えたことだろう。
里親夫妻妻は、男女を問わずホームに迎えた順番に『ロー』をつけて子供の名前にしていた。
こんなにおおぜいの子供が楽しく暮らしているよ、というアピールだったのだろうか?
おかしいと思ったが、彼らを非常識とは言えない。
モンローという外国人がいることから、ローがつく名前を世界に通用すると感じる人もいることだし、ローの由来が『郎』であることを知らない人がほとんどなのだ。
とはいえ、伝統的には例えばニローではなくジローと名付けるべきだ、という日本の名前の法則くらい知っておいて欲しかった。
で、俺が言いたかったのは名前の話よりも新年会に(病気で早く亡くなったイチローは別として)きょうだい全員がそれぞれ友人や恋人を連れて集まっていたことだ。
じつはそのとき、ニローからゴローまではすでに16歳以上で、独立したり他の場所に住んでいたのだ。
つまり、そこは卒業生も集まる良いホームだった。
でも、残念ながらスケナリとは相性が悪かった。
彼だけは翌年からホームを卒業するまで、ホームのパーティーを避けて俺の実家で新年を過ごした。
里親は三人の女性が『夫妻妻制度』を使って結婚した夫妻妻だった。
陽気でとても楽しそうな人たちだと思ったが、スケナリは『三人の魔女』と呼んで苦手がっていた。
俺が古典『曽我物語』の主人公兄弟より、兄のほうの曽我十郎祐成にちなんでジューローをスケナリと呼ぶようになったのはいつからだったか覚えていない。
だが、彼はあだ名をつけられて喜んでいた。
「サンローに偶然再会したのは運が悪かったよ。
あいつに会ったから、ちょうど職を探してた俺はつい仕事の紹介を頼んでしまった。
だけど、サンローはいつからか『犯罪者の権利を守る会』って変な団体に入ってたんだ」
「そうなのか。
『犯権会』だろ、知ってるよ」
「え?どうして知ってるんだ?まさか…」
「何を言ってるんだ?
犯権会といえば政権与党じゃないか」
「与党!?」
スケナリは絶句してそれから、もうだめだと言いたそうな諦め顔で弱々しく首を振った。
彼の態度のおかげで犯権会が、選挙のために急きょ作られたチームではなく、以前からあったということがわかった。意外だと思った。
俺は犯権会の勢力がいかに強いかを、簡単に説明した。
スケナリは非常に嫌そうな顔をした。
「最悪だ…。
そんなことになっていたとは知らなかった。ずっといろんな外国とかを転々としてたし、わりと通信遮断されてたから」
「外国にいたのか」
「うん。
昨日やっと東京に戻ってきたから、逃げられるチャンスと思ったんだ」
彼はバーガーを食べた後の空き袋にタンクからミネラルウォーターをくみ、器用に飲んだ。
「はー、補給された。ごちそうさま。眠くなったよ」
クッションを枕代わりに、タオルを敷いて俺が作った雑な寝床にゴロンと転がり、スケナリはもう休憩の姿勢だ。
「寝ていいよ。でもその前に一つ質問したい。
明日、作戦を立てるのに必要な情報だ」
「何だ?」
「通報するつもりはないようだが、なぜだ?」
「あー、それね。
俺が悪いことをしたわけじゃないよ。
通報しても俺は助からないと思うからだよ」
「助からない?」
「だって他人から見れば『緊急性』ないだろ。
怪我してるわけじゃないし、証拠もないし。
口封じされかねないくらい知りすぎてるから危険、なんて客観的には誰にもわからないから。
だから俺が警察に保護してもらうには、手続きが必要だ。
手続きには数日かかる。途中で犯権会に見つかったら終わりだよ」
「そうか。わかった。
じゃ明日も土曜日で休みだし、今日はゆっくり寝よう」
俺は照明を常夜灯に切り替え、寝袋に入った。
なんとなく今の状況に現実味を感じられない。
しかし不思議なことに、前にもこんなことがあったような気がした。
でもそんなはずはない。
そういえば彼がどうやってここの住所を知ったのか聞き忘れたが、たぶん俺の以前の住所に行ってみたのだろう。
そこには大学の後輩が住んでいる。
そして俺はその後輩に、新住所を教えていた。
そういう状態になっていることをスケナリなら予想できた。
というのも俺が大学生のときに住んでいた部屋は、彼に仲介されたものだったからだ。
『全科目飛び級』で3年早く大学に入学していたスケナリに、俺が同じ国立大学に行くことにしたと連絡したら彼は
「マサコは大学の近くに引っ越すだろ?」
と言い出した。
「ハイスクールに進学した時も、お前、学校の近くに引っ越したもんな」
「まあね」
俺は理由あって(主に姉が悪い)中学生のときから一人暮らしをしていた。
「新居はもう決めたか?まだなら、いいところがあるんだ。
今度卒業する先輩が使ってる部屋でさ」
「部屋はこれから探そうと思ってたけど」
「おー、じゃあここにしなよ。
今、ちょうど話してたところなんだ。誰か後輩が入らないかなって」
「話してたって誰と?」
「その先輩と、他の先輩とか友達」
「次の借り手はまだ決まってないってわかってるのか?」
「え?次の借り手がまだ決まっていないことは確認済か?…知らないって。
でも今日が合格発表日だから、まだ申し込んだ人いないと思う。
今日か明日にでも大家さんに言えば大丈夫だろ」
「せかすなよ。
もし見て気に入らなかったら俺は遠慮なく断るし」
「いいよ。まずは見てみて。画像オンにしていいか?」
「いいよ。おー、みなさん、はじめましてー」
そんな風にして、俺は遠隔で部屋の様子を見たり先輩たちと話をして、住みかをそこに決めた。
たまり場にしていた場所を今後も使い続けたいという理由で、まだ卒業しない友人たちがその部屋を後輩に引き継がせたがっていたのだった。
部屋を去る先輩にとっても、いらない家具などを置いていけるメリットがあった。
その流れで、俺の新しい住みかは大学から一駅まるまる離れていたが、先輩たちや友人たちの休憩所となった。
俺が一年生のとき四年生だったスケナリも、卒業するまではちょくちょく顔を出した。
「『国立鳥類保護センター』も『アジア爬虫類研究所』もダメだったよ。
あ、『トーキョーマイクロバイオティクス』も『タイワンバイオラボ』も不採用だ…」
卒業後の進路について彼は、少し苦労していた。
18歳の彼は、3つか4つ、場合によっては10以上も年上の、しかも世界中から集まる応募者たちと競争し、負け続けてなかなか仕事が決まらなかった。
(もっと極端に若ければ、若さが有利になったかもしれないと思う)
しかし生物学に関しては世界レベルのセンスがあるという自信を持っていた彼は、募集の少ない狭い業界の採用試験に挑戦し続けた。
そして、そのような募集が見当たらなくなってから、ようやくあきらめて他の仕事を探し始めた。
その後どうしたかな?と思っていたが、こんな風に再会するとは。
『全科目飛び級』したことが彼にとって良かったのか、俺が疑問に思ったのは一度ではなかった。
飛び級および落第のシステムは小学校四年生から始まる。
三年生の期末に総合テストを受けて、結果に応じてAIに選択肢を示される。
スケナリは四、五、六年生を飛ばして中学校一年生になった。
飛び級はあくまでも権利なので、しなくてもかまわない。
でも彼は『三人の魔女』に、ホームの宣伝に使うため中学校へ進むことを強制されたと言っていた。
俺には二つの選択肢が示された。
小学校六年生に進むか、『科目飛び級』するかだ。
科目飛び級は二科目までできる。
俺は『日本語』なら中学一年生、『歴史』なら中学三年生に進級可能だと言われた。
担任の先生は、中学校の歴史の授業を受けても、小学校の社会科を修了したことにならないと説明した。
小学校のカリキュラムに歴史の単独科目がないからだ。
両方を受講しなければならず忙しくなるからよく考えて決めて、と言われた。
家族には、やりたいようにしていいと言われた。
俺には(今では不仲な)姉が一人いるが、彼女もかつて俺と似たような選択を迫られた。
彼女は友達と離れたくなかったから、科目飛び級にした。
俺と同じく日本語と歴史で中学の授業を受ける権利があったが、授業時間が増えるのはたいへんだと言って、中学一年生の日本語と、小学六年生の社会科に進んだ。
それはあまり良い選択ではないように俺には思えた。
事実その後、姉は学校がそれまでより楽しくなくなった様子だった。
しかも五年生に進むとき、一番仲良しだった親友は落第して結局一緒のクラスでいられなくなった。
すると
「今から全科目飛び級に切り替えたいってママからも先生に言ってよ」
と彼女は言い出した。
「今度から?
いいけど、何年生になれるかわかってるの?」
「わかんない」
「去年なら、六年生に進めたわけでしょ。でも今度二学年上がったら中学生よ」
「うん」
「明日ママが先生に聞いてみるわね。でも、あなたに中学生はまだ難しいんじゃないかしら?」
「だったら六年生でもいい。
少しでも早く卒業したい。
アイと一緒じゃなくなったから、私あと二年も小学生やるメリットないもん」
彼女は結局、六年生に一年上がることになった。
すると六年生の社会科だけ修了済の状態になった。
そこで彼女は科目飛び級の権利を使って、中学一年生の歴史の授業を受けることにした。
もはや、なりゆき任せという感じだった。
俺は、姉の二の舞は避けたかった。
俺は歴史の授業に興味があったので、国語と歴史の二科目で最大限飛び級することに決めた。
「わーい。それなら国語の授業は一緒だね」
先生に進級届を提出する前日、家族に俺の希望を伝えたが、そのときスケナリもうちにいた。
「キューローも同じ中学にいるけど二年生だし、同じ学年に知ってる人がいなくて心細いと思ってたんだ」
「一緒って言っても俺は遠隔だけど」
「遠隔受講者用の席が用意される。
授業中に質問できるし、授業前の休み時間なら他の生徒と会話できるんだよ」
「へぇー」
実際に四年生になると、たしかに忙しくてたいへんだったが新しい仲間に出会えて楽しかった。
中学の時間割に合わせるために、俺は算数や体育を他のクラスで受講した。
それでもはみ出した音楽の授業(どうやら音楽がはみ出すように計画されていた)は放課後、他の学校の、俺と同じように飛び級で授業時間が足りなくなった仲間たちとオンラインで一緒に学んだ。
国語の前の休み時間には、スケナリが待っているので毎回オンライン学習室まで走って行って急いでログインしなければならず、少々負担になった。
しかしそのおかげで中学生の友達もできたし、五年生や六年生の、オンライン学習室仲間とも親しくなった。
俺は飛び級のおかげで世界が広がった。
でも、姉やスケナリはそうではなかったと思う。
スケナリの場合、もし得意な生物学と何かだけの科目飛び級にしていれば、生物学ではもっと早くから大学のゼミなどに参加できただろうと思う。
でも彼は学年まるごと進級してしまったので、全体的に勉強が難しくなりそれが彼の負荷となった。
だから彼はその後、飛ばすことなく一年に一学年ずつ進級していった。
一方俺は中学とハイスクールで二年生をどちらも飛ばしたので、スケナリとの差は結局、一年に縮まった。
スケナリは『三人の魔女』からとにかく早く卒業することを求められていたが、俺は恵まれていた。
両親が、飛び級しなかった場合の年数分までなら学費や生活費を出すと言ってくれたので、俺はハイスクールで二年間『偽装落第』することにしたのだ。
ハイスクールは授業料が無料だが、大学は私立なら有料だ。
だから俺は、ハイスクールに在籍しながら日本全国の私立大学の教授の講義やゼミに、飛び級の権利を使って参加し続ける選択をしたのだ。
そして俺はあえて、行きたい大学以外の、日本史よりも外国の歴史を専門にしている教授の授業を選ばせてもらった。
そのほうがより得だと思ったからだ。
ハイスクールの卒業試験にわざと落ちれば簡単に偽装落第ができる。
先生もそれを推奨していた。
二回とも、落としたのはイングリッシュだった。
落第点を取った科目だけは、再履修または補修を受ける必要がある。
どうせなら楽しい授業を再履修したい。
イングリッシュの先生は面白く、毎年違う小説をテキストに使っていたので何度も授業に参加したいと思えた。
そういう俺のやり方をスケナリは、ずるいと言って羨んだ。
彼は大学在学中16歳でホームを卒業して、一人立ちを支援する施設で二年間生活し、大学卒業とともに一人暮らしを始めた。
彼は仕事を探しながら短期のアルバイトなどで家賃を賄うようになり、まだ大学生だった俺とは次第に連絡を取り合わなくなった。




