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ビジネス

「『カラ移籍』の話、マサコはどう思う?」


5月29日。

ようやく東京でも厚いコートを着ない季節になった月曜日、事務所で朝ソウさんが俺に話しかけた。


毎週月曜日と水曜日の朝、顔を合わせるたびに雑談はしていたが、『犯権会はんけんかい』に対する考え方の違いを感じて以来、ソウさんと俺がニュースについて話すのは久しぶりだった。


といってもそれは俺が警戒していたからで、ソウさんは気にしていなかったと思う。


そんな中で久しぶりに話題に上ったのがカラ移籍だった。

俺はヒヤリとした。それは俺が恐怖を感じつつ注目しているニュースのひとつだったからだ。


「怖い話だと俺は思う」


「そうか?」


「三万円法でゴタゴタした時と同じで、カラ移籍も法の抜け道だし主旨と違う」


「そうだな、僕もおかしいとは思ったんだ。

しかし妻に、どうしてカラ移籍しないのか、みんなやってるのにやらなきゃ損だ、と言われてさ」


「いや、まずいよ。やめた方がいい。

政府はダメと言ってないけど、いいとも言ってない。たぶん怒ってるよ。

急に罰するとか言い出されたら危ない」


「本当だ。何かあったら危ない。

あっせん業者の名前を聞いたが、連絡しなくて良かった」


さっき俺は、政府は怒ってると言ってから言い過ぎてしまったと思った。もしソウさんが手続きをした後だったらどうしようかと心配になったのだ。

だが、まだだとわかって安心した。



カラ移籍とは『在籍地』を他の地域に移すが、本人は移住しないことを言う。

昔の日本には戸籍とかなんとかいう制度があったが、今は所在地を証明するための『在籍地登録』というシステムに一本化されている。



で、例えば俺の在籍地は東京都・東区ひがしくだ。

いま住んでいるところだ。


そんな俺がどこかに移住して在籍地の登録を変更すれば、普通の移籍である。

しかし東京の自宅に住んだまま、在籍地だけを移してしまえばカラ移籍だ。


たしかに在籍地と住所は必ずしも一致しない。

引っ越しても在籍地を変えない人はいるからだ。いずれ戻るつもりだったり、手続きが面倒だったり、いろいろ理由はあるだろう。


でも逆はまずない。


600年以上前の明治時代には、徴兵に反感を持つ人やなんかが北海道に送籍した時代もあったと聞いたことがあるが、今どきそんな話は通用しないだろう。



それがなぜ『やらなきゃ損』かといえば、またしても犯権会のせいである。


4月後半のある日、ショウゴ総理が『移住推進計画』を発表したのだが、その『移住』の基準とされた指標が『在籍地登録』の住所だったのだ。


で、問題は補助金である。

10000文。これは大金だ。

俺はカラ移籍に考えが及んでいなかったが、嫌な予感がしていた。


思った通り、発表翌日のニュースサイトには『不動産各社、早くも嬉しい悲鳴』というタイトルの記事があった。移住の問い合わせが殺到したらしい。


三万円法事件のドタバタをもう忘れたのか?

どれほどおおぜい希望したって、空き物件の数も無限ではないし、期限の7月25日までに移籍完了できる人数は限られているだろう。

そんなことで一喜一憂して騒ぐとは、ばかばかしい。


そう思った俺はニュースの詳細を読まなかった。



だが移籍熱に世間は沸いていた。


家族を連れて引っ越すことはたいへんでも、手続き上だけ移籍するならいつでもできる。

その時すでに、カラ移籍ビジネスは始まっていた。


しばらくするとカラ移籍あっせん業者がニュースの見出しにちらほら現れるようになった。

個人が『カラ移籍したほうが得だ』と思って行動したというより、あっせん業者にすすめられて動いた人が多かったようなのだ。


ある人の体験談によると、『引っ越し前でも移籍の手続きは間に合う』『家を決めたらすぐ移籍できる』というグレーゾーン的な広告を見た人が、グレーな説明を受けてなんとなく決断したという。


また、とりあえず手続きを行い後で引っ越すつもりだった人が、安さのために条件の悪い物件を借りたことを後悔して引っ越す気がなくなり、そのまま放置した人もいた。


あっせん業者はその道の専門家なだけに、中にはえげつないところもあった。

倉庫や厩舎を堂々と移籍先住所として貸しに出したのだ。人間が普通に住めない場所を使うとは悪質だ。


さすがに、それはおかしいと非難されていた。


しかしあっせん業者がニュースに何度も取り上げられたことで、わざわざ引っ越さなくても10000文の補助金がもらえることをより多くの人が知った。


10000文あれば、安い家なら二年くらい借りられる。

7月4日まで二軒の家を無駄に持ったとしても、もうけられる。


だからカラ移籍ビジネスは盛んになる一方だった。



ソウさんの妻の友人か知人にまでカラ移籍をした人がいるのかと思うと、この問題が本当に身近に迫っていると感じて俺は恐ろしくなった。


「妻は『損したくない』という気持ちが強すぎるんだよ。

でも、そういう人がきっと多いのだろう。だからこれだけカラ移籍が話題になる」


ソウさんは言った。


「こんなことで僕は家庭の雰囲気を悪くしたくなかったのだけどね」


彼は急に話の方向を変えた。

ハンナさんがエレベーターを降りて事務所に近付いてくる足音が聞こえたせいかもしれない。


「まったく、もうすぐ『更新時期』だから妻の機嫌を損ねないように僕は気を遣っていたのに、トラブルが向こうから舞い込むとはね」


「うーん」


「妻も更新するつもりだろうと思っていたが、どうかな」


「この先も一緒だと思うからお金のことをいろいろ言うんじゃないか?」


「そうかな。

10年前に『結婚契約』した時は、僕も若かったよ。こんなに冷や冷やするとは思わなかった。

マサコも結婚する時は、契約期間を長めに設定した方がいいぞ」



「そうよ。好きな人がいたら、勢いで100年とか200年とかって契約したらいいのよ!誰も文句言わないから」


ハンナさんがルミエル君を連れて事務所に入り、ついたてを組み立てながら楽しそうに言った。


「100年とか長すぎるよ。寿命超えるし」


「長すぎるなんてことはないの。

若いから怖いもの知らずなのよ、マサコさんは。

私は前の夫となんとなく10年契約して、更新しなかったの。

お互い、新しい人生を送ろうかなっていう気持ちになったのね。そのときは、私そんな気分だったのよ。

更新時期って怖いわ。後悔しても遅いの」


「僕も妻が同意すればだけど、次はもっと長期で契約するつもりだ。

10年は過ぎればあっという間だ。10年ごとにスリルを味わうのはごめんだね。

20年にしようかと思っていたが、思いきって100年と言ってみようかな」


「それがいいわよ。マサコさんも覚えておいて。

でもね、もしお相手が100年は嫌と言ったとしても『無期限』に同意してはダメよ」


「そうなんだ…。

無期限はリスキーだなと俺も思う」


「そう。

そして、無期限がダメな理由は不安定だからというだけではないの」


「どういうこと?」


「それは結婚詐欺が、ほぼ必ず無期限を提案してくるってことなの。

私の友達で実際に被害にあった子がいたのよ。

犯人はね、毎日愛し合っていることを確認しよう、みたいなことを言って無期限契約を求めたらしいの。

カッコいいことを言って無期限を要求する人は、本当にカッコいい人ってこともなくはないけれど、結婚詐欺かもしれないから気をつけて」


「あー、そうか。詐欺にとっては無期限が都合いいんだな。

いつでも契約終了して逃げられる」


「本当に、どんな人がいるかわからないから気をつけてね」


「わかった」


ソウさんとハンナさんは結婚契約の話題で盛り上がっていた。

俺は適当に相槌をうっていた。


「昨日介助用ストレッチャーのリースを契約したお客さん、去年離婚したと言ってた…。

4年前だったかしら?

有期契約の下限が一年に下がったじゃない?」


「ああ、その影響で結婚する人が増えたらしいな」


「そう。

でも、あれで『離婚』に対して世間の目がますます厳しくなったわよね」


「若い人は『離婚』のリスクを避けるために短期契約をする傾向があるらしいな」


「どうかと思うわよね。

一年契約を更新しないのも、十年契約して一年で『離婚』するのも同じよね」


「そうだ。でも、同じととらえない人が多いのだろう。

契約満了は計画性があって、期間中の離婚は計画性がないと思われがちだ」


「そういうことを言う人は、いるわね」


「だから今、離婚した人が転職活動において差別されているという指摘がある。

計画性がない、つまり仕事の段取りも苦手、という論法がはびこっている」


「決めつけね」


「一年で契約しても何も言われない。無期限でも何も言われない。

十年でも、100年でも」


「そうね。個人の自由だもの。

でも、本当に自由だとはいえない。あとで批判されてしまうなら」


「僕たちはこういう仕事をしている以上、差別的な多数意見に惑わされずにいたいものだな」



その日の帰り、俺は少し遠回りをして街を歩いてみた。


夫婦で連れ立って歩いている人は少ない。

すれ違い、通り過ぎる彼らはそれぞれどんな生活をしているのだろうか?


とはいえ、俺には関係ないことだ。


こんなデータがある。

3学年以上の『全科目ぜんかもく飛び級』の経験があり、しかも『偽装落第ぎそうらくだい』経験もある人の約90%が、性のあり方に関わらず一生結婚しない、と。


俺はその条件にあてはまる。


『全科目飛び級』経験者は、要領がよくて孤独を苦にしないと言われる。

『偽装落第』経験者は、計算高いが目先の利益に捕われがちだと言われる。


その二つが合わさったらば…

うん。たしかにそういう人は、共同生活が苦手そうだ。



というわけで俺にとって目の前の問題は、カラ移籍事件である。



カラ移籍した人が何人いても、街の人通りが少なくなることはない。

どいつもこいつもカラ移籍しやがって、とイライラさせられるのがせいぜいで、物理的な害は何もない。


しかし東京の在籍人口ざいせきじんこうが大きく減れば、選挙で選べる議員の定数は減る。


それは東京の発言力が減るということだ。

発言力が弱くなった東京は、首都の世知辛さだけを負担し、利益を逃すのだ。


補助金も総額いくらになるのか、考えたくない程だ。


それでもカラ移籍の問題は俺にとってまだ他人事だったし、期限までにはうまくおさまるだろうと思っていた。


ルールの作り方を間違えたショウゴたち犯権会の手落ちによって起きたトラブルとはいえ、あげ足をとられた事を彼らは許さないはずだ。

それに、彼らは無駄な補助金を払いたくないはずだ。


たぶんショウゴは、本当に移住したい人だけが残るように、締め切り直前に動くだろう。

三万円めあての立候補者にさっと手を引かせた、選挙のときのように。



俺は『三万円法』下の選挙において、立候補の締め切り直前に『立候補した人の個人識別情報が漏れている』と噂を流したのは犯権会だったと考えている。

三万円めあての新人たちがいなくなって得をしたのは犯権会だからだ。


犯権会は全員が新人で、知名度ゼロだった。

いくら美男美女をそろえたからといって、もし膨大な数の立候補者ライバルがいたら、こんなにスムーズな当選はできなかっただろう。


だからあのときと同じように、逆転があるはずだと俺は思った。

逆転があれば、あれは犯権会がやったことだという俺の仮説も証明される。



『締め切りまであと一ヶ月だ』


6月25日の朝、ショウゴは会見で言った。


『移住推進計画に、みんなが興味を持ってくれて俺は嬉しい。

でも、正しく理解していない人が多すぎる』


ほらきたぞ。でも予想より早かったな。

中継を見ながら俺は思った。


『俺は、対象地域の街をにぎやかにしたかったんだ。

在籍人口を増やしたかったわけじゃない』


彼は落ち着いた親しみやすい口調で言った。


『そうだろ?

持ち主が遠くにいる空き家ばっかり増やしてどうするんだ?意味がないだろ?

こう言えばみんな理解できるはずだ』


記者たちは何も言わなかった。

彼らの中にも、カラ移籍をした人がいたかもしれない。


『勘違いしてた人は、この会見を見て自分の間違いに気付いて欲しい。

俺は補助金を、本当に移住した人だけに渡したいんだ』


あれ?

なんだ、そんな遠回しなお願いだけか。


『期限まであと一ヶ月ある。

移籍した人が本当に引っ越したかのチェックをするか、まだ決めてない。

みんなの様子を見てから決める。

罰金が必要かどうかも含めてこれから検討する。

みんながもし動かなければ、俺は厳しい態度で臨まなければならない。

だからもう一度言う。

移住する気がないなら移籍しないで欲しい。

あるいは、移籍を取り消して欲しい』


ショウゴは正しいことを言っているように見えた。


そして彼への信頼からか、人々はカラ移籍を取り下げ始めた。

俺は良かったと思った。


だが、そう単純な話ではなかった。

翌日から一週間は毎日この問題がニュースのトップを飾った。悪い意味で。


『移籍申請、取り下げ7割超。現場は混乱』


『賃貸キャンセル料もめ訴訟に』


『返ってこない家賃、誰の責任?』


『信州からの移籍ほとんど無し』


『現地に行ってビックリ!契約時の動画は嘘だった』


『九州・沖縄は大人気、北海道は伸び悩み。冬の不便さ敬遠か』


『移住に伴う転職困難』


『不正な多重契約。悪質あっせん業者、すでに連絡つかず』


『カラ移籍に伴う罰金を要求する詐欺に注意!罰金は未決定!』



見出しを見ただけで雲行きが怪しくなり続けていることはわかる。


年末からずっと自宅でリースしているウォーキングマシンの上を歩きながら俺は考えた。


犯権会は、もしかしてわざと世の中を引っかきまわしているのだろうか?


だとしたら何のために?


不動産がらみの詐欺が得意な人たちを助けるために?


いやいや、そんなことをして何の得がある?

やっぱり彼らは、より多くの人に本当に移住してもらって、対象地域に住む人を増やしたいと考えているのだろう。

何かのビジネスのお客さんになってもらうために…?たぶん。



水曜日、事務所に行くとその日も一番に来ていたソウさんが


「カラ移籍しなくて良かったよ」


と俺を見て言った。


「妻とは喧嘩になったけどね。

一昨日も彼女が、カラ移籍を取り下げた友人がキャンセル料の支払いに困っているからお金を貸したいなんて言い出した。

だからまた喧嘩だよ」


「えー」


「その人の自業自得じゃないか、って僕が言ったら妻が怒ってさ」


「そうなんだ」


「薄情だと言われても困るじゃないか」


「うん。そう簡単にお金を貸すことはできない」


「迷惑なあっせん業者のせいでとんだとばっちりだ。

住宅がらみのこんなに大きなトラブルは『ニセ大家おおや事件』以来だな」


「本当だ…」


カラ移籍あっせん業者たちは抜け目なかった。

彼らはおおかたカネをとるだけとって逃げた。

彼らに仲介手数料を払っていた大家たちは、損をしたくないのでほとんどが高額なキャンセル料を求めた。


ソウさんの妻もかわいそうだ。


意志の強い夫がいたおかげで、彼女は踏みとどまった。

そのことを友人たちから羨ましがられて、お金を貸してとか何とか言われているのだろう。

自分だけ助かった彼女は後ろめたいので、それを断りにくいのだろう。



ケント会でもカラ移籍の話題は出た。

嬉しいことに、ケント会に犯権会を大好きな人はいない。

ケントさんが言った。


「あのカラ移籍というのは冗談じゃない。ショウゴ総理もすぐに禁止すればいいのに、訂正の発表が遅かったな。

彼は自分たちの失敗に気付かないふりをした。そして、自分たちが見くびられたことにも気付かないふりをしたよね」


俺たちはいろいろなことを話した。

犯権会は信州の定数を減らして、改革党に打撃を与えようとしたのかもしれない、といった突っ込んだ意見も出た。


俺はソウさんの発言がヒントになって、カラ移籍あっせん業者と5年前の『ニセ大家事件』の黒幕とは、つながりがあるのではないかという意見を述べた。


だからラショウモン君が議事録に


『カラ移籍あっせん業者がいなければ、移住推進計画は初めから目的に沿って進んだかもしれない。

政府はこの政策で人気がますます高くなることを予想していたはずだが、そうはならなかった』


と書いたときは驚いた。

彼はリスクヘッジアドバイザーによる議事録の添削を意識しているのか、それとも本気でそういうふうに解釈したのかわかりかねる。


おそらく前者だろうが、どっちなんだ?と俺は今回も質問しそびれた。


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