063「復帰(1)」
復帰は、思いの外呆気なかった。
何がトリガーなのか明確な答えはないが、とにかく当たりを引き当てたのだ。
これは今後広めていけば、何かの役に立つかもしれない。
一方、現実でのその日は、「これからはシズでいい。私もショウと呼ぼう」と、もったいなくも仰られた常磐さんと友誼を確認しあった後、成り行きで天沢の犬の散歩に付き合った。
昼間から寝ても無駄だろうし、目的を予想はるか上で達成して懸念も消えたという予感もあった。さらに時間も余りまくっていたので、その日一日を楽しんだ。
犬の散歩がてらではあるが完全なデート、陽キャもいいところだ。
オフの天沢も制服とは違って私服だったので、普段の数倍可愛く見えた。二人きりだったせいか、こないだタクミと一緒に会った時よりも可愛く見えた。
というよりも、天沢は普通にしていれば十分に可愛い、と思う。
それにオフの彼女は、ワンピースやスカートではなくパンツルックばかりだ。2回目となると、たまたまという事もないだろう。学校以外では、活動的な姿を好むみたいだ。
だから余計に、普段はおどおどした態度が多く、自ら存在感を消しているから、それが本来あるべき彼女の魅力を消してしまっているのだと気付かされた。
天沢の場合、現実世界での対人スキルの修行が必要だというのが、その日のオレの結論だった。
とはいえ天沢のことよりも、まずは『夢』への復帰だ。
そう、本当なら天沢と楽しく過ごしている場合ではないのだけれど、寝て向こうに行かないと何もできないという半ば開き直りで遊んでいたのだけど、むしろ気持ちはすっきりしていた。
これで変化なしだったら、さらに大きく落ち込んでいただろう。
しかし、不思議とそういう焦りや不安は感じなかった。そして誰かに会いたいなど個人的な事ではなく、行うべき事をできるだけ明確に考えながら、意気揚々と寝床についた。
寝るのに意気揚々もないのだけど、久しぶりに動き回ったおかげかすぐにも眠りに、多分かなり深い眠りに落ちることができた。
そして目が覚めると、初めて見る天井だった。
(そういえば、知らない天井ってフレーズ何の話しにあったっけ?)
『アナザー・スカイ』復帰後に最初に思ったのは、相変わらずしょーもない事だった。
目覚めると目の前にハルカさんの顔がある、などというドラマティックな状況を望んでいたワケではないが、目に見える情景は拍子抜けもいいところだった。
目覚めた場所は、現代の視点から見てもかなり立派な部屋で、古い洋館の一室と言われれば納得いくイメージの部屋だった。
天蓋付きのベッドというほどではないが、藁を詰めたベッドではないし、シーツも毛布も素材が違う。体にかけられている布団も、この世界でもう慣れた簡素で薄っぺらい毛布とは大違いだ。
オレの服装も、簡素なものではなくかなり上質な寝間着といってよい服を着ていた。誰かに着させてもらったのだろうか。
上半身を起こして周囲を見渡すと、うちのリビングより広く個人の部屋だとしたらかなりの広さだと分かった。
しかも窓にはガラスがはめ込まれている。この世界で初めて見るガラス窓だ。
ベッド以外の家具も多く、すぐ側の彫刻が刻まれた小さな机の上には、洗面器とカップ、そして水瓶が置かれている。
どれもかなりの高級感を感じられた。
「来る異世界を間違ったとかないよな」
口にするとますます不安になってきた。
とにかく、見覚えてあるものを探すべく視線を動かす。
そしてしばらく目線を動かしていくと、懐かしさすら感じるものが視界に入った。
別の机というか何かの台の上に、オレが4日前まで身につけていたものが、丁寧に置かれていた。
それを見ただけで胸がぐっくときた。
(そう、戻ってこれたんだ。『アナザー・スカイ』に)
そう思ったところで、扉の向こうで人の気配を感じた。
小さな音だけど、規則正しく靴が床を踏む音が近づいてくる。わずか一ヶ月ほどだけど、その歩くタイミングだけで察しがついた。
そして扉に手がかけられ、一人の女性が姿を現す。
ハルカさんだった。普段と違い簡素ながら高級そうな布地を使った貴族風とでも言う感じの服を着ているが、見間違えようもなかった。
オレは感極まったような感情を覚えたが、口を開く前に大きな違和感を感じた。
オレと同様に感動していると思っていた彼女は、感動とはほど遠い感じだったからだ。
彼女は、部屋に入ってすぐに「おはよう」という言葉こそかけてくれたが、好意どころか感情ゼロな声だ。
それ以前に、扉を開けた時からこちらを一度も見ていない。
ほとんど俯いた状態で、少なくとも目が合うことはなかった。
無視というより反応するだけ無駄という感じだし、敢えてオレの姿を見ないようにしているように見えた。
意図して、視線を逸らすというか合わせないようにしている。
おかげでこっちまで、感情の反動で一気に脱力してそのまま声も出なかった。
そして状況を飲み込めずに呆然としていると、彼女はこちらを見ずに俯いたままベッドの側にまで近づいてきて、今度は少し感情を含んだ声が飛んできた。
静かに怒りを込めた声だ。顔もかなり怒っているようだけど、俯いているのであまり見えない。
その声も、オレではなく床に向けられている。
「もう、返事ぐらいしなさいよ。このポンコツ!」
言葉には、僅かに感情が込められていた。しかし言葉とは裏腹に、怒りではなく哀しみを感じる。
(あまりに無体なお言葉。オレ、やっと復活したんですけど)
心では話しているのだけど、予想していた状況とのギャップで呆然としすぎていて何も身動きができなかった。
一方の彼女はぐっと顔を上げ、しばらく形の良い眉を少しつり上げて呆然とするオレを睨み付けていた。
けど、少しすると少し目が潤み、そのままオレが寝ているベッドに半身を突っ伏してしまう。
「もう返事すらできなくなったの。本当に戻ってこないの。もうすぐ、この身体も動かなくなるのよ。息もしなくなるのよ。他の娘と同じで、また置いてかないでよ。ねえ、ちゃんと返事してよ。身体があるのに、心がないなんてヒドイでしょ」
少し涙声で静かに話し続ける。
しかしつっぷしたままで、オレを見ている訳ではない。当然声もくぐもっている。
(オレに話しかけてるけど、オレに話してるんじゃないんだ)
視線を下げたオレは、彼女がベッドに上半身を突っ伏したままのなのを、少しの間ぼんやりと見下ろすかたちで眺めていた。
そして思考より先に身体の方が反応して、彼女の素直なダークブロンドの髪の毛を、半ば無意識に右手が軽くすいた。
それに彼女が気付いた様子はなかったので、今度は意志を込めてハルカさんの小さな頭を軽く撫でる。
それで、小さく震えていた彼女の細い肩が一度ビクンと反応した。そして、恐る恐るという風に顔をゆっくりと持ち上げ、オレの顔と正対させる。
すぐ近くにお互いの顔があった。
オレは目の前の顔に向けて、とにかく出来る限りの笑顔を向けようと努力した。
それでも彼女は、怪訝な顔をした表情と声だった。
静かに泣いていたのだろう、目にその名残がある。
「……戻ってきたの?」
まだ声は半信半疑な感じだ。
「多分。あと、ポンコツは酷いんじゃないか」
オレの言葉に、ハルカさんの瞳がこれ以上ないぐらい見開かれた。瞳と表情にも一気に生気が蘇る。
けどすぐにも、不機嫌なような怒っているような表情へと変化する。
「モウっ! 戻ったなら戻ったって早く言いなさいよ!」
「いや、ハルカさんがあんまり無反応だから、忘れられたんじゃないかと思って、頭が真っ白になった」
「そんなワケけないでしょ。で、いつ戻ってきたの?」
キッと真剣な眼差しが、目の前のオレに注がれる。
「えっと、たぶん今朝かな、とにかく目覚めた時から」
オレの話を聞いて、表情がクルクルと変わっていく。
「えっ? えっ? じゃ、じゃあ、なに、今の全部、ぜぇ〜んぶ見てたの。頭撫でてくれた所からじゃないの?!」
ほとんど悲鳴で、頬に両手を当て顔も普段は拝めない首元まで真っ赤だ。
「そうだな、多分全部でいいんじゃないかな」
「よ、良くないわよショウのくせに! イジワル! 変態! 放置プレイ男! いや違うわ、この逆放置プレイ男!」
しばらく、上半身を使って両腕を縦にブンブンと振る大きくリアクションして、最後の言葉と共にオレに顔を向け、左腕がうなる。
右腕じゃないのは、すでに首と上体をひねっていた気遣いなのだろう。
予想通り悲鳴と共に恥ずかしさに任せたハルカの平手打ちがオレの頬を見事に打ったが、それすら「ゴチです」って感じだった。
いつもながら、絶妙に痛みを感じる痛さの平手打ちだ。
それに再開の感動でガバッと抱きしめてくれる展開より、オレたちらしい気がした。
「いったいなー。ハルカさん、どこでそんな言葉覚えたんだよ。品が下がるぞ」
一応、はたかれた頬を自分でなでなでしておく。
しかし、そんなリアクション程度で許してくれそうにはなかった。
「ショウ相手だったら、これくらいでちょーどいいのよ!」
「しかも呼び捨てになってるし」
「私を置いていったんだから、君なんて付けてあげない!」
そこまで彼女が怒鳴り散らしたところで、ごく控えめにコンコンコンと軽快に扉を叩く音が聞こえた。
その音に彼女の顔がサーッと青くなる。表情もシマッターという顔だ。





