059「帰るための一歩(1)」
『夢』へ行かなくなって早三日目。少しずつ『アナザー・スカイ』の記憶も少し薄らいできている気がする。
今のところ行かなくなったのを知っているのは天沢だけだが、週明けの月曜まで『夢』を見なかったら、文芸部のみんなにもこの事を話さねばならないだろう。
夢の時間よ、さようならってわけだ。
けれどオレも、逃げてばかりではなかった筈だ。
天沢に「オウ」と答えた夜は、真剣に『夢』の事『アナザー・スカイ』の事、そして何よりハルカさんの事を思った。
謝りたい、戻りたいと思った。
こっちで何とか彼女を捜し出すと言う選択肢もあったかもしれないが、向こうでの事は向こうでケリを付けないと意味が無いと思えた。
けど、普通の夢すら見ないまま、朝の目覚ましが鳴り響いただけだった。
「見たり見なくなったり、『夢』の方も勝手だよな」
昨日の夜も、ネット上で何か情報はないかと調べていたが、特にめぼしい情報には行き当たらなかった。
『夢』の発生からもう二十年近く、一部のコアな連中と、恐らくごく少数の本物の『ダブル』以外、『アナザー・スカイ』への関心は年々下がる一方だ。
オレですら現実逃避を望んでいながら、たいして期待を抱いたことはなかった。
そうして『アナザー・スカイ』関連のサイトを巡っていると、ふと見覚えのある人物の写真に行き当たった。
小さな画像、以前タクミが見せてくれた和服の美少女だ。
多少アングラな情報サイトには、酷いことに個人情報がかなり暴露されていた。別の角度から撮った違う写真もあった。
それは全身像で、神社内を実に神社らしい装束に竹箒という古風な装備で佇む姿だった。
その写真の主は、隣町にある神社の巫女さんだったのだ。
「うっわ、ベタな展開。ガセだろこれ」
思わずツッコンだほど、ありきたり過ぎる展開だ。美人の巫女が『ダブル』など、あまりにも出来すぎている。
しかし、情報の中にオレが強い興味を向ける一文があった。
なんでも、ここ半年から三ヶ月ほどの間に、性格が激変したという証言を得たというのだ。
それ以外にも、中学生デビューで性格が一変。活発で自信に溢れていたという。
ところが今年の二月半ば頃に、性格が激変したというのだ。
このため、何らかの理由で『厨二病』を卒業したのではないかと、一連の書き込みは結んでいた。
他人のプライバシーを詮索するのは失礼極まりないが、今のオレには天上からの一条の光りのように思えた。
何か有益な話が聞けるかもと。
もしかしたら、何もかもが間違っているのかもしれないが、オレが本気で『アナザー・スカイ』に戻りたいのなら、何でも挑戦してみるべきではないかと思った。
間違っていても、一人の女性に恥をかいて軽蔑でもされれば済むだけの話しだ。
しかもお誂え向きに、次の日は土曜日。出かけるには丁度いい。
そして一度こうなったら、簡単には『夢』の向こうに戻れないと言われている。実際問題、今のオレがそれだ。
だからこそ、打開策を探すためオレは出来る限りの事をしたいと思った。
(今晩戻れなければ、会いに行ってみよう)
暑さを和らげようと開けっ放しの窓から外を見ると、ちょうど月が目に飛び込んできた。『アナザー・スカイ』と比べると随分小さな月だ。
けど、その時不意に思った。
(戻りたい、あっちでしか知らないハルカさんの顔を見たい)と。
そして昨夜よりも強く思うようにして眠った。
結局、その日の夜も『夢』を見ることはなかったが、できるだけ気にせず朝早くから隣町の目的の神社を目指した。
(そういやこの辺りって、もう天沢が降りる駅の側だよなあ)
隣町なので、時々スマホで地図を確認しながら自転車で目的地を目指し、少し迷うも10分もかからずにたどり着くことができた。
道さえ分ければ、歩いてでも行ける距離だ。
緑が多めな住宅街の、少しだけ高い場所。知名度の高い神社ではないが、けっこうお約束な場所にあった。
周囲には敷地が広く旧い家が多いので、昔の村の中心部だったのだろうと察しがつく。神社の隣には公園もあって、周囲に緑も多い。
それに、すぐ近くには旧街道のような路も通っているらしい。
神社の周囲は樹齢が長そうな大き目の木々に囲まれているが、鎮守の森と呼べるほどの広さはない。
それでも短いながら参道もあり、境内もそれなりの広さがあった。
氏子さんたちの尽力の賜物か、手入れも行き届いている。
入り口の大鳥居、少しの階段、そして大きい目の木々が迫る十数メートルの参道を抜けると、神社の建物に囲まれたテニスコートの半分くらいの砂利を敷き詰めた空間に出た。
神社の配置は、ごくありきたりだ。
正面に拝殿、左袖に社務所。手水舎や絵馬をつるす場所もちゃんとある。拝殿の奥には本殿の屋根の一部も見えていた。
奥の隅には倉庫か車庫のような建物も見えるが、そこに繋がる石畳などの感じから神輿などの倉庫だろう。
他にも何かの石碑などがあったりもする。日の丸や菊の御紋のような石彫りが見えたので、昔の戦争に関わるものだろう。
端っこの方には、木々に半ば隠れた中に小さなお稲荷さんのお社もある。
お稲荷さんは少し立派な感じで、10個ほどの小さな鳥居が短い参道に連なっていて、狛犬代わりの小さなお稲荷さんもいる。
しかし、一つの存在が、神社の情景をひとつのアートのように華やかにしていた。
広場の中心を貫く石造りの道のちょうど真ん中辺りに、定冠詞の「ザ」を付けたくなるような、凛とした静謐な雰囲気を醸し出す若い巫女が、静かに竹箒で掃除をしていたからだ。
ネット上の巫女好きオタクの一派から見れば垂涎の光景だろう。
全部ではなく一派なのは、目の前の若い女性には幼さやスキが感じられないからだ。
年の頃は二十歳前後くらいだけど、大人びて見えるので実年齢は少し分かりにくい。
身長は多分オレとそう変わらないくらい。モデルのような細身の長身ながら、巫女装束の上からも女性らしい柔らかな曲線を感じることができる。
ネット上での情報通り、モデルをしていると言われても十分納得できる。姿勢や歩く姿も凄く奇麗だった。
肌は画像で見たよりもさらに色白な印象で、巫女らしく真ん中辺りで細く結わえ腰まで長く伸ばした黒髪との見事な調和を作り出していた。
前髪パッツンに揃えていないのはオタクマインド的にはマイナスだけど、していたら逆に似合っていないだろう。
左右に分けられた前髪からのぞく眉は細く凛として、その下にある目は細く切れ長だが小さいと言うことはなかった。
睫毛が長いせいで少し小さめに見えるだけのようだ。静かな光をたたえる瞳は大きな黒曜石のようだ。
鼻筋は通り少し太いくらいの下唇が、女性らしさを引き立たせていた。細いおとがいは、奇麗な横顔を形作ると同時に大人びた雰囲気を醸し出している。
全体として少し鋭い印象を感じさせるが、彼女がこちらに視線を向けたとき思わず息を呑みそうになったほどだの美人だった。
もっとも彼女は、オレに軽く会釈しただけだ。





