057「憂鬱な報告会(1)」
「ゴメンね」というハルカさんの最後の言葉が、耳にこびり付いていた。
見上げてるのはオレの部屋の天井だったが、その天井以上に彼女の言葉の方がオレに現実を感じさせた。
(最低だ。ハルカさんの心を傷つけた上に本気で謝らせたんだ)
オレの気持ちは、まさにどん底だった。
けど、二度と悪夢は見たくない、いや『夢』の向こう、『アナザー・スカイ』には行きたくないという気持ちも強かった。
ハルカさんには心底悪いと思ったが、『アナザー・スカイ』に対するプラスよりもマイナスの方が大きすぎた。
ただ不思議なことに、向こうで行ってきた事の感覚はあっても、人を斬り殺した時の感情や感触はほとんどなかった。
その辺りの記憶も、他の事よりおぼろげにしか覚えていない。
オレの心がその辺の記憶を封じているのか、オレたちを喚ぶ連中が何らかの心のセーフティーを付けているのかだろう。
けど、あれも現実だった事はオレ自身が一番よく分かっている。
それが分っていて二重のどん底ながら、現実のオレは限りなくヘタレで小心者だった。
しかも人を殺した事より、親しい女の子に本気で謝らせた事の方がより重く落ち込んでいるんだから、さらに落ち込みたくなる。
そして何もしたくないぐらい落ち込んでいるのに、世間のしがらみから逃げ出すことはできず、登校拒否を敢行する勇気すらなく、いつものように親にせかされつつ学校に行った。
その日は流石に文学部の部室には行かなかったが、学校では終始無言だったと思う。授業内容もオレの中を素通りしていた。
ほとんど唯一心に止まったのは、時折オレをチラ見する天沢の視線だった。
いつもと違う様子に、心配してくれているんだと思う。
そこまで天沢と親しいという気はなかったが、そう思うと少し気分が楽になった気がした。
このまま天沢の好意に甘えて、『夢』からもどん底の気持ちからも逃げ出さればとすら思った。
けど現実のオレは、自分の心の内を誰かに見せる事すら出来ない小心者なので、天沢に何かを話すこともなく、何もせず、その日は文芸部員に見られないように気をつけながらさっさと下校した。
最近の習慣だった天沢と連れ添った下校もしなかった。
連絡があったら嫌なので、スマホの電源は切りっぱなしだった。
そしてその夜、『夢』を見なかった。
悪夢らしい夢を見た気はしたが、それはリアリティーの欠片もないただの夢だった筈だ。『アナザー・スカイ』での出来事とは違って、内容もほとんど覚えていない。
次の日の目覚めはまあ普通だったが、罪悪感に似た何かを感じていた。
これで病気としての鬱にならないのが不思議なくらいだ。
この一ヶ月ほどは、感覚的には一日おきに天に輝く二つの月を眺めていたので違和感は強かったが、あっちに帰りたいとは思えなかった。
そして今日も今日とて、現実だけで退屈な一日を過ごした。そしてその日は、登校はギリギリ、誰か来るのを避ける為、休み時間は必ず教室を出ていた。
しかし放課後、さっさと帰ろうとしたオレの眼前に、タクミが仁王立ちしていた。
その後ろには、隠れるように天沢の姿もあった。おそらくタクミに動員されたか、協力を強要されたのだろう。
「昨日、なんで部室来なかったんだ。活動日でみんな待ってたんだぞ。SNS、メール、電話、全部無視しただろ」
「いや、昨日は家の急用があって忙しかったんだ。報告しなかったのは謝るよ。スマホは電池切れてるの、ついさっきまで気づかなかったんだ」
「よし。じゃあ、謝罪の言葉は部室で聞くな。部員のみんなにも謝った方がいいだろ」
子供じみた言い訳に文句は言わない代わり、絶対に逃がさないぞという雰囲気の、何やら妙な使命感に燃えるタクミの言葉に、小心者のオレは二の句が継げなかった。
部室でのオレの内心は、まるで警察ドラマで尋問を受けている気分だった。伝統のカツ丼と丸い電気スタンドがないのが惜しいぐらいだ。
「で、今週前半の話しを一日遅れだけど聞きたいと思いますが、皆さん問題ないですよね」
今やオレ専門のまとめ役となったタクミが、部員に視線を投げかける。皆さんの中にはオレも含まれている筈だけど、オレには余計な発言権も拒否権もなかった。
少し離れた位置では、天沢がおどおどした感じ、多分心配しているであろう視線を送ってくれているが、残念ながら何の援護射撃にもなっていない。
そしてこちらも今や総元締めの感すら漂わせる、ちょっと体育会系入った鈴木副部長が、妙に偉そうに、いや重々しそうにタクミの言葉にうなづく。
ギャラリーの数は、多少の入れ替わりはあったが一時期より少し増えていた。三年が少し来ているだけでなく、何人か部員以外の者がいる。
それでもネット上などに話は出ていないようなので、最低限の秘密は保持されているようだ。まだネット上に噂が漏れていない事は、この後に確認した。
とはいえ、このままだと来週には解散ということになるだろう。けど、まずは目の前の状況をやり過ごさないといけない。
十名以上の若者——オレも若者だけど——の視線を一身に浴びつつ、オレは仕方なく口を開いた。
そうできるようになっただけでも、オレにとってはすごい進歩だ。
「あ〜、話すのは、そのやぶさかではないんですが……」
「何かあんのか?」
鈴木副部長の視線と言うか表情と言うか、雰囲気が不穏当だ。
否定的な言葉は言わない方がいいだろう。
「その、話しの終盤というかクライマックスはX指定なので、苦手な人は席を外す方がいいと思うんですけど」
「X指定って、道連れの女の人、神官戦士の人に月待が乱暴したとか?」
「いや、そんな事したら、未遂でも強制退場だろ」
なぜそうなる。とタクミの突っ込みに思ったので、即座に否定した。
「じゃあ何?」
「えーっと、その辺りだけ端折るのはアリ?」
「できるだけなしで。ていうか、マジ18禁なのか」
「ご想像の別の方のX指定の話になる。他の部分は話してもいいけど、ダメかな」
オレが何度も否定するので、しばらくはオレを放置して中心人物たちを中心とした話し合いとなった。
そして再びタクミが話をまとめてオレと向き合う。
「できるだけ正確で詳細な話が聞きたいってことで、よろしく。でないと、わざわざ直に聞く意味がないからな」
「で、何があった?」
副部長が、今までにない真剣な眼差しで聞いてくる。
概要だけでも言わないわけにはいかないようだ。
「襲われてた村に二人で助けに入りました」
あえて相手が何かを抜いたが、そこで何名かがオレが話したがらないのを察してくれた。
それでもまだ察することができない者の方が多数派だ。
「ショウ、それって人と戦ったって事か?」
なるべく真剣な顔を浮かべたオレを見て、軽く息を呑んだ。
「ウワッ、洒落なんねえ」
何、なんなんだ、もったいつけんなよ、などのヤジも飛んでるので、それをタクミが両手をかるく上げて制した。
「ボクの推測だけど、『アナザー・スカイ』でのショウ達は、人助けのために人と戦ったって事だと思うんです。だよなショウ」
「ああ。相手は傭兵崩れの集団で、しかも場所は村の中だ」
それでかなりの人が内容を察し、バツの悪い顔を浮かべる。
そして「マジか」など在り来たりな言葉が飛び交うが、中には「人を殺したって、あっちの世界はゲームみたいなもんなんだろ」「そう思うなら、聞きに来る必要ないだろ」と言った言葉まで出ていた。
その後は収拾に少し手間取ったが、タクミが裁いてその手の話しが苦手な人は後日談をかいつまんで聞くと言うことで落ち着き、部室には胆力に自信があると自認する数名が残った。
意外というべきか、天沢も自分の意思で残っている。ただし、いまだ隅っこに。他には、タクミと鈴木副部長ほか2名。
オレをのぞく全員から醸し出される雰囲気は、ほとんど怪談話の時のようだ。
「おう、やってくれ月待」
副部長の第一声とともに、何度目かの「『アナザー・スカイ』オレ様独演会」が始まった。





