050「樽のお風呂」
朝日と共に森一つ向こうの村に戻って状況を説明すると、ちょっとした英雄扱いだった。
そして何のお礼も出来ないと恐縮しまくりの村人たちだったが、ダメ元で「体を清めるため、全身が浸かれるお湯を用意できないか」と頼んだオレたちの小さな幸せだけは十分満たしてくれた。
「フ〜ッ、生き返る。ダメ元でも言ってみるもんだな。極楽、極楽」
「ン〜ッ! そ〜ね〜。ホント生き返る〜。お風呂万歳」
二人して、幸せいっぱいの顔で湯船の中に浸かっていた。
リアル混浴なら言うこともないのだけど、現状はそれに近かった。
野外で周りから視界を遮られた場所に、木工用の作業場で作られたばかりの二つの大きな空のエール(地酒)の大樽を並べて、そこに水を張って熱した岩を入れたものだけど、十分満足できるものだった。そしてそれぞれ首まで浸り込んでいる。
しばらくは二人湯を堪能するべく無言で湯船に浸った。
いちおう背を向けあっているが、彼女の悩ましい姿を見るには相応の覚悟が必要だ。
当然、ヘタレなオレにそんな度胸はない。
「ねえ、ショウ君は、この世界どう思う?」
パシャパシャと湯を跳ねるような音をさせながら、彼女がのんびりとした口調で問いかけてくる。
そのまま体を洗っているんだろうか。
ドラム缶風呂のイメージでよくある、派手に石けんを泡立てながら大きなブラシで体をゴシゴシとする絵図が思い浮かぶ。
「どうって言われてもなあ。まあ、予想の斜め上に大変な世界だよな。オレ、『夢』を見るまで、もっとお気楽なゲームみたいなファンタジーワールドかと思ってた」
「ウン、大抵みんなそう思うわよね。ネット上だと甘い事ばかり書かれているから。私も最初の頃はそう思ってた。
けど実際は、魔王も勇者も私にだけ優しいイケメン王子様もどこにもいないのよねぇ」
「アハハ。けどさ、アクセルさんは、ご要望通りのイケメン王子っぽいよな」
「そうなのよね。初対面の時は、私の内心が色々ヤバかったわ。すぐに幻滅させられたけど」
そう言うと、後ろで少し大きな水音がする。
ちょうど突っ伏した感じだ。ガックリ表現でもしていたんだろう。
「アハハハ、まったくだ。ところでさ、ハルカさんは『ダブル』歴どれぐらい。あ、これってタブーだっけ?」
「ウ〜ン、いいわよ別に。えっと、5年と8ヶ月ってとこね」
ベテランだとは思ったけど予想以上だ。
「5年以上か、そりゃ強いよな」
「そう? けど、ある程度の強さは召還の時に与えられてるでしょ。個人差はあるって言うけど、ショウ君も十分強いじゃない。私の知る限り相当よ。あっちで何か格闘技とかしてた?」
「ああ、中学のとき剣道してた」
背中の方で、また湯が跳ねる音がした。やはり体でも洗ってるのだろう。
そう言えば、何となく石けんの香りもしてくる。
オレもできないかと思ったが、石鹸を手元に持ってきていないことに思い至り、そのまま浸かり続けることにした。
後で借りればいいだろうし。
「へーっ。だから両手で剣を振り回すのね」
「どうだろ。剣道とこっちの剣術ってかなり違うからなぁ。西洋剣術っていうのかな」
「私達って、とんでもない身体能力で戦うから、ちょっと違うかもね。映画のVFXみたいな跳躍とか普通にできるし」
「そのへんはアニメやマンガみたいだよな」
音だけだと分からないけど、何かパシャパシャと音がする。
こっちにまで派手に飛沫が飛んできているような……。
「けど、こっちの世界の人でも、強い人は強いわよ。アクセルなんて近隣一って言われるくらい激強だから、後で模擬戦でも申し込んでみたら? 魔力総量はともかく技量が違うから、ボコボコにしてくれるわよ」
「えーっ、ガチはいやだな。稽古ぐらいにしてもらうよ。 って、何してんだよ!」
さっきからこっちに湯が飛んできているので背後をチラ見すると、樽の端に片手をついて微笑を浮かべる彼女が、別の手でこっちに湯を跳ねかけていた。
頭の上にタオルと一緒にダークブロンドの髪を束ねた姿が、かなりの艶めかしさを醸し出している。
こっちからは見えていないが、うなじは絶品だろう。
「アハハハ、やっと気付いた〜」
「お前、羞恥心あんのか。せっかくオレが我慢してるのに。それともそんな趣味してんのか?」
さすがのオレもガチギレだ。思わず妹に怒鳴るみたいになってしまった。
「酷いわねえ。こっちじゃ、このぐらい羞恥にならないわよ。特に連れ添ってるとね」
「そうなのか。っていうか、連れ添うって? エッ、何、そういう事にされるの、オレたち?」
思わず赤面してしまう。
確かに今までも、村に滞在すると二人一緒の部屋とか普通だったけど。
対する彼女は湯船で火照ってこそいるが、表情は普通だ。
「二人連れだし、主従とはいえ周りはそう見るのが普通ね。神官でも、この世界じゃ女の一人旅は大変なの。
だから神殿じゃあ、若い女性の神官にはできる限り信頼できる男性を連れさせて、世の男どもの『魔除け』にするのよ。昔話に、伝説の聖女が去勢した男性を連れてたって話もあるわね」
「ほー、なるほどね。けど、オレたち一応そう言うのとは違うだろ。嘘ってバレたらヤバくないか?」
オレの言葉に、彼女が少しムッとする。
こういう言葉の駆け引き分からないから、大目に見て欲しい。
「一応って何よ。それに大丈夫よ。私とショウ君の主従の仮契約は成立してるから。お互い魔法や魔力の恩恵も強いし、それ用の魔法で関係性も証明もできるわよ」
彼女が少し赤面しているのは、湯で上気しているせいだけだろうか。
「そうなんだ。で、仮契約って何?」
「出逢った最初に、おでこに祝福のキスしたでしょ。あれで私とショウ君は、魔法的に主従契約を施した事になるのよ」
「えっ? 魔法の効果を一時的に高めたとかじゃなかったんだ。それでオレは、ガチな従者なの?」
「そ、従者よ。不服?」
「い、いえ、仰せのままに。……けどダメだろ、そんな大事な事簡単にしちゃったら。それに言ってくれないと」
「仕方ないでしょ。契約結ぶと魔法の効きが全然良くなるし、あの時は直せるか自信なかったもの。もしショウ君があのまま死んだりしたら、寝覚めが悪いでしょ。
それに仮だから契約の解除も簡単だし、ホントはそのうちコッソリ解除しておこうと思ってたの。
……それに同郷、同世代の旅の連れ合いは欲しかったから、丁度よかったのよ!」
オレも湯に関係なく赤面していただろうが、早口でまくし立てる彼女も確実に赤面していた。
今や耳と胸元の辺りまで真っ赤っかだ。
(なんだ、やっぱ、恥ずかしかったんじゃん)
それを見ると、少しおかしかった。
そしてそれよりも嬉しかった。
「オレの事、初対面なのに信頼してくれてたって事? それなら、その、ありがとう。マジ嬉しい」
内心とは違う事を思いつつも、それに彼女は素直にうなづいた。
「ウン。あっ、けど、勘違いしないでよ」
「分ってるって、一目惚れとかじゃないんだろ。あの時は助けられた側のヘタレだし、自分が性格含めてイケメンじゃない事くらい分ってるし、そんな自惚れ全然ないって」
「そこまで自虐しなくてもいいと思うけど。……まあ、そんなワケだからこれからもヨロシク」
「オウ。任せろ」
言葉の最後に彼女が湯船から乗り出して右手を差し出してきたので、こちらも身を乗り出してガッチリ握手を交わした。
握ったその手は、やっぱり女の子の繊細な手だった。
(もうちょっとで、魅惑の頂上が見えるところなんだけどなあ)
ほぼ同時にそう思ったのが顔に出ていたのか、恐らく鼻の下でも伸びていたのだろう。
「ニッコリ」と迫力のある満面の笑みを浮かべた彼女が、握った右手をそのままめい一杯力を入れて引っ張った。
その後の顛末は、彼女の喉の奥が見えそうなほどの笑い声でお分かり頂けるだろう。





