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保健室を出た僕は夕美と一緒に校舎三階にある中等部管理局の執務室にやってきた。部屋の入口には――中等部管理局――と書かれた表札が掲示されている。ドアを開けて夕美と一緒に中へ入るとホワイトボードの前に立つ藍梨栖の後ろ姿が見えた。彼女が今使用しているホワイトボードの脇――部屋の一番奥のデスクには『局長』と書かれたプレートが置かれている。さらにその手前には四つのデスクが配置されていて、それらは二列に二つずつ向かい合わせに並び長方形を形作っている。
「おっ、二人とも来たっちゃね」
――と言って左手を振るのは中等部管理局の会計を務める中等部二年の那珂有紗だ。いつも僕の右隣に座っている長身の女子で、そのモデルばりのルックスのおかげでNRS中等部女子に人気があり、バレンタインデーにはトラック一台分のチョコを受け取っていると専らの噂だ。その真向かいに座って黙々と仕事をこなしているように『みえる』のが中等部管理局のもう一人の書記――中等部一年の東村涼香だ。僕はそっと涼香の背後に回り、その仕事内容を確認してみた。
『この夏のモテカワ水着セレクション』という見出しのページが端末上で堂々と開かれている。
「あぁ~、一振がついにのぞき魔になったぁ。早くタイホされちゃえ~」
気付かれないようにそっと後ろから確認したつもりだったけどばれてしまったようだ。手の先から足の先まで体全体を目一杯使って、自分が私利私欲のために端末を使用していたという事実を覆い隠そうとしている。体が小さいと侮ってはいけない。この年ですでに出るところは立派に出ている。実は中等部でも一、二を争うセクシーバディの持ち主だ。
「ひぃ~とぉ~ふりぃ~。いったい、どこを見てるのかなぁ」
涼香のおっ……じゃなくって、涼香のことををしげしげと見ていた僕は左側から突然の悪寒を感じて瞬時に右へ二歩移動した。
ブンッ
――とさっきまで僕がいた場所を藍梨栖の振り下ろした指示棒が通り過ぎていった。
えっ、手加減無し!? これはさすがにシャレになってないんですけど……。
「まぁ、まぁ、ちぃと落ち着きぃ。ほんとにやきもち焼きやけんね藍梨栖は」
「やきもちなんて焼いてない!」
有紗に指示棒を奪われて手持ち無沙汰になったのか藍梨栖は腕をぐるぐると回しだした。このあたりの仕草にまだまだ子供っぽさを感じる。――とは言っても藍梨栖は中等部の三年生で中等部管理局では一応最年長なんだけど……。
「さぁ、事件のおさらいするんやろ。早くしぃ」
この中で藍梨栖の扱いが一番うまいのは有紗だ。二人は学年は違うものの本当に仲がよくて、見ているとまるで姉妹のように感じるときもある。藍梨栖は狂気の視線を僕に向けながらも有紗に促されてホワイトボードの前に立った。
僕はドアを閉めるとホワイトボードに視線を送り、何が書かれているのかを確認した。
そこには――
☆NRS中等部校舎内における連続傷害事件について☆
・犯人(容疑者)情報 ・名前 有働 修太
・所属 中等部三年クラスゼロ
・容疑 中等部生徒への傷害行為四件
・動機 能力開発の失敗への逆恨み
・事件の概要については配布済みの報告書を参照のこと
――と書かれていて、報告書らしき一枚の紙が各々のデスクに置かれていた。
「それじゃあ、始めるわよ。一連の連続傷害事件について、容疑者を拘束した保安局から報告書があがってきたの」
さすが保安局、仕事が速い……。
報告書に目を通すとそこにはホワイトボードに書かれている情報に加えて、容疑者の略歴、事件の発生日時、発生場所、被害者名、被害状況、容疑者と被害者の関係性、拘束したときの状況が書かれていた。
「さっき保安局の子に頼んで急いで作成したもらったんよ」
どうやら、有紗が保安局の局員に『見返り』というエサをばらまいて報告書を作成させたようだ。藍梨栖の場合は力ずくで解決を図ろうとする傾向があるけど、有紗の場合はあの手この手を使って『裏から』解決を図ろうとする。中にはいかがわしい行為もあるとかないとか……。
「今回はどんな手を使ったの? エサは金銭? デート? まさか、公言するのも憚られるような方法なんじゃ」
「けけっけっ――けけっけっ」
僕の問いかけに『奇声』と『変顔』で返す有紗。普段の彼女からは想像し難いその姿に僕は激しく脱力した。中等部管理局ではお約束ともなっているやり取りなんだけど、本当にいつもどんな手を使っているのだろうか……。有紗とそんなやり取りをしていると突然――
ばんっ!!!
――と藍梨栖がホワイトボードに平手で一撃を加えた。その場の空気が一変し緊張感が走る。皆の視線が藍梨栖に集中した。藍梨栖はすごく怖い表情をしていた。
「今回の事件はいずれも女子生徒の顔を刃物で切りつけるという非常に許しがたい行為だわ」
藍梨栖が憤りの声を上げた。そういえば、愛梨栖は普段から『悪は絶対に許さない』的な発言を真顔でするような人で、局長になって最初に掲げた目標が校内のいじめ根絶だったらしい。彼女は保安局が生徒同士の些細な争いに対して原則不介入を貫いていることにずっと不満を抱いている。そうした心情もあって彼女はパトロール中にケンカをみつけると例えそれが口論レベルであっても両者の言い分を聞きに行く。今回の事件はか弱い女子生徒ばかりを狙って一方的に傷つけるような行為だったから許せない気持ちでいっぱいなんだろう。藍梨栖の怒り具合は顔を見ればすぐにわかる。怒りレベルが高ければ高いほど顔が紅潮してゆでダコみたいになるんだ。
「容疑者――有働修太はクラス0(ゼロ)、能力開発の失敗に対する逆恨みが今回の事件の動機であると保安局は見ているようね」
能力開発――ここNRSは行政特区〝新東京〟多摩川新都心東南地区研究学園都市――通称『ネクロポリス』に創られた政府直轄の特別な学校だ。政府の立てたある構想に基づいて用意された能力者の卵を温めて孵化させる箱。NRSに通う生徒は皆そんなシステムに組み込まれたパーツの一部に過ぎない。
「今回の事件、NRSの能力至上主義が招いた問題やろ。うちはそう思っとる」
先ほどの変顔とは打って変わって真剣な表情の有紗。普段はおちゃらけた面を見せてはいるが、中等部管理局随一の切れ者と周囲からも一目置かれるほどの存在だったりする。
「同感だわ。あたしはNRSの方針だけじゃなく、政府が考えた構想に対してもむかっ腹が立ってるんだから」
「まさか……政府に盾突こうなんて大それたこと考えてないよね?」
僕の問いかけに『わが意を得たり』と言わんばかりのどや顔を決めてみせる藍梨栖。彼女なら本気でやりかねないとその場の誰もが思っただろう。
「ふふっ、あたしには壮大な計画があるのよ」
そういった藍梨栖の両目はギラギラと輝いていて、まるで獲物を狙う猛禽類か猛獣のようだった。その場にいる全員が息を呑んだその時――
ぐぅ~~~~~!!!!!
どこかで大砲が火を噴いた――のではなく何者かの腹から轟音が鳴り響いた。皆の視線がある人物に向けられる。
「ひゅーっ、ひゅーっ」
件の人物――涼香は明後日の方向に視線を泳がせながら、吹けない口笛を吹こうとしている。 つまり、腹の虫が大声で鳴いたのをごまかそうとしているわけだな……。
「ちがうもん。涼香じゃないもん。もぉ~、夕美ちゃんってほんと食いしん坊だよね~」
ええっ!? 夕美を犯人に仕立て上げようとするとはなんたる暴挙! でも、完全に涼香が轟音の主だってばれてるし……。
「もうっ、いつものことながら……ほんとしまらないわね」
その様子をみた藍梨栖は激しく脱力していた。有紗はニヤニヤしながら黙ってその場の状況を見守っている。そして、犯人にされた夕美はというと反論など一切せずニコニコしながら涼香のことを優しい視線で見つめていた。
これが、この雰囲気こそがまさに中等部管理局の全てといっていい。涼香も有紗も夕美もどこかしら『ゆるさ』を持っている。火山のような性格の藍梨栖に寄り添う存在としては、有紗も含め中等部管理局のメンバーたちのゆるさ加減はちょうどいいのかもしれない。このゆるさがあるからこそ、いつも仲良くわきあいあいと一緒に行動していられるのだと思う。
それにしても……夕美ってやっぱりいい子だよなぁ……。
「そこの一振! あんたは何一人でにやけてんのよっ。気持ち悪いっ」
「べ、別ににやけてなんかないよ」
「はぁ~っ……いい? あたしたちの使命は中等部管理局の地位向上なのっ」
深いため息の後、脱力状態から気を取り直した藍梨栖はこう話を切り出した。いつしか藍梨栖個人の目標が中等部管理局全体の使命となっていたようだ。
「まずは計画の第一歩、NRS中等部校舎の保安任務を中等部管理局の専任業務として勝ち取るのよ!」
え? それって……つまり……。
「愛梨栖は保安局二課の仕事を奪い取るつもりやろ」
「愛梨栖ちゃん、すごーい」
「さすが藍梨栖さんです」
皆、口々に賞賛の声をあげる。でも、そんなこと本当にできるのかな? それこそ、保安局との本格的な抗争に突入しかねない。相変わらずとんでもないことを考えるものだ。
「そのためにはいくつかやらなきゃいけないことがあるわ」
――といって、藍梨栖は再びホワイトボードに向かい何かを書き始めた。
・目標 一 局員全員が今よりレベルアップする
二 中等部で発生する事件を一つ解決する
三 三週間後に開かれる「中央委員会」で中等部管理局の力をアピールする
(最終)四 中等部校舎の保安任務を中等部管理局の専任業務にする
「まずは、局員みんながもっと力をつけてレベルアップしないといけないわ。全員、まずは基礎体力の強化から始めるのよ」
ペンを置き指示棒を有紗から取り返して、ホワイトボードを指し示しながら解説を始める藍梨栖。それに聴き入って『うんうん』と頷く局員一同。
「それから、実績は大事よ。今回の事件も保安局二課に手柄を横取りされたし、次の事件こそは中等部管理局で解決するのっ」
次の事件って……。そう次々に事件が起こるわけもないし、起こってもらっては困るよ。
「そして、三週間後にはNRS中央委員会が開かれることになっているわ。事件解決の実績を手土産に、あたしがそこに出席してうちの力をアピールするのっ!」
天井を見上げその小さな胸の前にガッツポーズを作りながら仁王立ちする藍梨栖。それに見入ってまた『うんうん』と頷く局員一同。
「そして必ず、中等部校舎の保安任務を中等部管理局の専任業務にしてみせる!」
ばんっ!!!
藍梨栖は決意の一言を述べると再びホワイトボードに平手で一撃を加えた。
「おぉ~、愛梨栖ちゃんかっこいい~。がんばれー」
「頑張ってくださいね。藍梨栖さん」
涼香と夕美の声援に小さな胸を大きく張って『任せなさい』と言わんばかりに得意げな表情を見せる藍梨栖。そして、まるで人ごとのように声援を送りながら拍手する局員の面々――君たちも当事者なんだけど――と思わずツッコミを入れたくなる。
「一番目と三番目はよしとして、二番目が問題だよ」
僕がこの計画のそもそもの問題点を指摘すると、そこにいる皆の表情が強張った。
「そうかもしれないわね……。誰か、新しい事件の情報つかんだりしてない? 噂みたいなのでも構わないわ」
藍梨栖の問いかけ、そして訪れた沈黙……。一様に考え込むがそんな都合よく事件なんて起こるわけないし、考えたって解決できるような問題でもない。
「事件といったら、例の事件くらいしか思い当たらないですけど」
「最近多発してる帰還者の暴走事件ね? それに関してはあたしにも考えがあるけど……とりあえず保留……ということにするわ」
時間だけが経過していき、気まずい空気になりかけたそのとき――
ぐぅ~~~~~!!!!!
はは、これもお約束ってやつだね……。一度鳴き出した腹の虫がそう簡単に収まったりするわけないもの。
「このまま考え込んでいても埒が開かないけん、今日のところはもうお開きにせん?」
「そうね……みんなはどう思う?」
「そうですね。涼香さんをお腹すかせたままにしておくのも可哀想ですし」
「ああ~、さっきのは涼香じゃないもんっ。まったく、一振ってほんとに食いしん坊だよね~」
さっきは夕美に擦り付けていたのに、今度は僕を犯人にしようとするとは……。
涼香の腹の虫は全く収まる気配をみせずその後も喚き続けたので、僕たちはとりあえず涼香の空腹を満たすために近くのハンバーガーショップによってから帰宅することにした。