2
水の音が聞こえる。大きすぎず、喧しくもない。そう、これは紅茶を注ぐときの音だ。
ポッドを高く持ち上げて注ぐときの小気味の良い音。何を言うでもなくじっと見つめる私のために彼がいつもしてくれるパフォーマンス。俺も憧れてこっそりキッチンでやって盛大にお湯こぼしたっけな。
次いでやってきた茶葉の香りに誘われるように目を開けると、こちらの様子に気が付いたグレンがいれたての紅茶をワゴンに乗せて近づいてきた。
「お目覚めですか、お嬢様」
「目覚めましたけど、今から永眠いたします。おやすみなさい」
寝起きの心臓に悪い、低くてさわやかな声に思わず返事を返してしまった。ちきしょう、声がいい。
驚いたように聞き返す声が聞こえたけれど無視を決め込む。俺の寮にはこんなイケメンボイスを持ったイケメンは生息していなかったはずだ。いたら同室の座を巡って血を血で洗う取り合いになっていただろう。
男子校はいつでも刺激に飢えているのだ。舐めてはいけない。
「あの、お嬢様」
「なにかしら。……え、お嬢様?」
先ほどから聞きなれない言葉が聞こえる気がして目を開ける。眼前には知らない天井が広がっており、右を向けば見覚えのない大きな窓と高級そうな分厚いカーテン。左を見れば心配そうな顔をしてこちらを覗き込む灰色の髪に隻眼のイケメンとワゴンに乗った紅茶。その背景には開くとき絶対ガチャ……って音がする大きな扉があった。
「え、ここどこ」
「お嬢様は入学式のために王立魔法学園に向かっている際、校門の前でお倒れになられましたのでお屋敷にお運びいたしました」
「あ、そう。それはわざわざご苦労をおかけしました……。って、魔法学園?」
「はい。お嬢様は本日より王立魔法学園にご入学されるご予定でした。僭越ながらわたくしも従者としてお嬢様とともに入学式に参列させていただくため、馬車に同乗させていただいておりました」
魔法学園。入学式。従者。そしてイケメン。
次々に提示される要素が右から左に流されていく。
「……とりあえず、もう一回眠るわ」
俺は考えることを放棄して眠りの国へ旅立つことにした。人はこれを現実逃避という。
隻眼のイケメンがいれた紅茶は、冷める前にイケメンが美味しく頂きました。