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なんとか誤魔化し誤魔化しで午前の授業を終えた頃には、疲労困憊だった。有り余る時間を使って教科書には一応目を通してきたが、それでも初めて触れる'魔法'という特殊な力を使った授業についていけなかった。貴族の人間が多いSクラスの人間は入学前に事前にほとんどの基礎知識はつけているのか、知っている前提で授業は進められていく。進学校に迷い込んでしまったかのような錯覚にめまいがしそうである。
ため息をつきながら教科書を片付けているとふと手元に影が落ちた。
「本日の授業は先ほどので最後です。昼食後、校内を案内いたしますので中央庭園の噴水の前でお待ちしております」
シレイネだ。用件はそれだけなのか言うだけ言って教室を出て行ってしまった。
「まあ、バレット様がノイツ様をご案内するだなんて」
「たしかノイツ家とバレット家って……」
彼女が去った扉を眺めているとこそこそと噂話が聞こえてくる。肝心の聞きたいところが聞き取れない声量でささやかれるその話に興味がないわけではないけれど、気楽に聞き返せる雰囲気でもない。朝に挨拶した時からどこか遠巻きにされている現状にまたもため息がこぼれた。
◇◆◇◆◇◆
「シレイネ様っ!」
昼食を食べ終わり、道に迷いながらもなんとか中庭にたどり着くと金色の髪を風に靡かせながら佇む彼女を見つけた。というのも彼女の周りだけなぜか波が引いたように誰も近寄らないため嫌でも目に付くのだ。
待たせないように駆け寄ると、眉にしわを寄せた彼女が何かを射ようとして口を開ける。しかし、何を思ったのかその言葉は音になることなく口をつぐんでしまった。
「……校舎をご案内いたします」
朝のようにこちらを振り返ることなくすたすたと歩いていく彼女を追う。グレイが俺に道を案内するときは必ずと言っていいほど手をつないでくれる。逸れないようにするためなのか単なる癖なのか今のところは不明だが、俺は案外その時間が気に入っていた。
彼女は後ろを歩く俺がついてくることを疑わない。一瞥もしないし、歩調を合わせたりしない。おそらく普段は合わされる側だから、自分から合わせるという発想にならないのだろう。
案内一つでこうも性格が出るとは面白い。俺は無意識のうちに笑ってしまわないように景色に目を向けた。
王立の名にふさわしい敷地面積のこの学園を俺の小さな頭で一度で覚えきれるとは思えない。もとの世界の学校も負けず劣らず大きかったけれど、やはり覚えるまでに時間がかかった。こういうのは焦っても仕方がないのだ。迷って迷ってゆっくりと覚えていけばいい。
「こちらが、温室です。授業で使う薬草などは休み時間などを利用して自分で採集する必要があります。管理人の許可は必要ありませんが、奥の貴重種は採取の際に名簿に必要事項を記入しなければなりません」
「管理人さんは普段どちらにいらっしゃるのですか?」
「……管理人は管理人室にいます。貴重種が植えてあるエリアと反対の道、あの道をまっすぐ進んだ先です。訪ねるか、もしくはベルを鳴らして呼ぶように」
示された方向には草木が生い茂ったあまり舗装されていない脇道があった。おそらくベルを鳴らして呼ぶのがスタンダードなのだろう。ティスティアとして目覚めてからグレイしか使用人と呼ばれる人たちに会っていないため。自分がこの国の中でトップを争うレベルでお金持ちという自覚が全くわかない。当然人を呼びつけるという発想にもなかなか至らない。こういうところでぼろが出るんだろな、と呑気に考えているといつの間にかシレイネは温室の外へ出てしまった後だった。
その後も図書館や魔法薬学で使う実験棟など一通り案内してもらった。
「最後にここの門を抜けた先ですが、ここから先は普通科の生徒が使う校舎になります。用がないのなら立ち入らないように」
「普通科、ですか?」
「爵位を持っていなくても一定の魔法の素質があるものはこの学園に通うことを許されます。しかしトラブルを避けるため、よほどの事情がない限りこちらの普通科で学びます」
「そうなんですね、わかりました。用事がない時に行かないように気を付けます」
正直迷い込む自信しかないが、自分の意志では行かないよというのを強調しておく。それきり会話が途切れてしまったため、不思議に思って彼女を見るとまた眉を寄せて何か言いたげにこちらを見ていた。そしてまた口を閉じる。何か言いたいけれど我慢するようなその動作を、校舎を案内してもらう間に何回か目にしていた。
「あの」
思い切って声をかけてみると先を促すように目を細める。
「私に言いたいことがあったら、言っても大丈夫ですよ?」
「……え?」
「えっと、先ほどから何か言いたげに口を開かれるのに、結局何もおっしゃらないので。なにか遠慮していらっしゃるのかなあ、なんて」
こちらを凝視する目に居心地が悪くなって視線をそらすと、廊下で立ち話をしていた女生徒が何かを話しながらこちらを見ているのに気が付いた。
「どうしてシレイネ様が」
「ノイツ家なんておこぼれで爵位がある家じゃない」
「……私とシレイネ様が一緒にいるのは変、なのでしょうか」
断片的に聞こえてきたのは俺と彼女が一緒にいることを否定する言葉。案内されている間もすれ違う人にこそこそ何か言われていたことには気が付いていた。そのほとんどが彼女を擁護して、俺を俺の家を貶すものだった。
「私は今日、シレイネ様に校内を案内していただけて本当にうれしかったです。とても広いので当分は迷ってしまいそうですが、丁寧に教えてくださったから不安はないです。……迷惑、でしたか?」
彼女の説明はとても丁寧だった。教室や設備の使い方から、困ったときの対処方法、入ってはいけない場所、一年生が使えない設備。説明を一度で済むように、という効率を重視した結果なのかはわからないが、そのおかげで俺の不安は一つ除かれたのも事実だった。知らない場所で自分一人なのはとても怖い。身の振り方がわからず、結局縮こまっていることしかできない。しかしティスティアの身分でそれはできない。だからたとえそれが彼女の役目だからでも、授業が終わった後にこうして連れ出してくれたのはとてもうれしかった。
俺の言葉に固まったままの彼女はまた開いた口を閉じてしまう。意地のようなもので俺は彼女の次の言葉を待った。
「……あなたは私のことをシレイネ、と名前で呼ぶのですね」
「あ、いけませんでしか!?」
「ふつう貴族はお互いが名乗り合い、名前で呼ぶことを許した後に呼ぶのです。……私の記憶では、あなたに名前を呼ぶことを許した覚えはありません」
「も、申し訳ございません! 優しくしていただけたのがうれしくて、つい……」
やってしまった。グレイに基本的な所作は教えてもらってはいたが、細かい貴族ルールまでは聞いていなかった。あれで実はのんびりしたところがあるから、学校だし固いマナーはいらないかなって思ってのことだろう。愛称で呼ばないだけまだセーフだと思いたい。
「それに」
血の気の引いた頭を抱えて悶々としていると、シレイネがさらなる爆弾を投下してくる。
「我がバレット家とノイツ家は端的に言えば犬猿の仲です。あなたは、私に校内を案内されるのは、嫌ではないのですか」
同じ武力を誇る家同士、バレット家とノイツ家は仲が悪い。建国当初からある名家のバレットと同盟を結ぶ形で傘下に入ったノイツではそり合が悪いのだ。長年続いた確執はなかなか取り払えず、現在まで続いている。だからラブラビの主人公であるノイツの一人娘のライバルがバレット家のシレイネなのである。
確かに家同士の確執は知っていた。
「シレ、いえ、バレット様はお嫌でしたか? 私の案内をすることは」
正直家同士の争いに興味はない。俺がシレイネのことを好きか、嫌いかが大切だ。
確かにそういう親の元で育ったのなら俺の中にもシレイネを含むバレット家を嫌う気持ちが根付いていたかもしない。けれど、俺は最近目が覚めた、言ってしまえば赤ちゃんである。ティスティア0歳としては、今のところシレイネの好感度がバク上がりすることはあれど、嫌う要素はどこにもないのである。
「私は、」
「私はバレット家だからと言ってシレイネ様を嫌いにはなりません。でもこれは私の勝手な考え方です。人が人を嫌うのに理由は様々ですし、その理由を第三者が良いか悪いかなんて判断をつけることは不可能ですから」
人には人の事情があって、置かれた立場と背負うべき役目によって好いたり嫌いになったりしなくてはならない。それを俺の勝手な考えで曲げることはできないし、おかしいと断罪することもできない。ただ、俺はゲームの中のシレイネが好きで、この学園で一番最初に声をかけてくれて親切に接してくれた彼女をもっと好きになった。彼女がどんな気持ちを抱えて俺に接してきているのかはまだわからないけれど、俺は彼女が好き。それさえ分かっていればいい気がした。
「何度も言いますが、私はあなたが好きです。今日一日のたくさんの親切で、私はとても救われました。明日からもなんとかなりそうです。だから、ありがとうございます」
挨拶とお礼は自分から、はっきりと、が俺のもっとうだ。正しく伝わるように、俺が今できる精一杯の笑顔で思いを伝える。
「でも、私が近くに入るせいでバレット様に迷惑がかかるのは本意じゃないので、明日からはなるべく一人で頑張ってみますね」
今日は本当にありがとうございました、ともう一度礼を言って彼女に背を向けた。
依然としてこそこそ話は終わらないし、彼女はあれから口をつぐんでしまっている。それでも俺の今の気持ちはちゃんと言葉にできたからよしとする。これで嫌われたら陰ながら彼女を見守っていくし、もし万が一にでも友人になれたのなら
「そのときはこの学園でたっくさん思いで作りたいな」
人間関係なんてゲームのシナリオ通りにはいかない。
はやく、明日になって、また、教室でシレイネに会いたいな。
そんなことを思いながら寮に帰ろうとして、俺は盛大に道に迷うのだった。




