「私」と『自分』の書き殴り。ひたすら、カキナグリ。
シッチャカメッチャカです。
なんになる?書いたところで何になる?なにかためになるのか?
………。
お前は何か助けられるのか?――否。
お前は何かに歯向かったことでも有るのか?――NO.
お前は何か地位でも持っているのか?――いいや。
卑下する自分、それに対して言葉を振り払いたいように首を振り怯えながら、私は「ちがう、違う、チガウ」と言い続ける。
卑下する自分は、次第に罵倒する言葉を吐き出し尽くし、沈黙する。
しかし、沈黙という静寂の中、自分は私に対し、確かな蔑みと怒気を孕んだ視線で刺殺してくる。
(何ができる?ナニガデキル?なにもできまい。ナニモデキナイ。何もできない)
視線に怖気づいた「私」は、うつむきながら独りごちる。
……出来ることなど何もない。そのとおりだよ。自分。
仮に、出来る地位や権力、金力……得たとして、どうだろうか?
出来ることは、やはりなんにも無い。
――何故って?
権力を得て……次は?其処に後から座る者へ渡さなきゃならんだろう?
次を期待する者がいるから、座った者は美味しい思いが出来る。だから次に渡さなきゃならん。椅子を維持することが、いずれ他の全てを吸い尽くすか、滅ぼすに決まっていても……。
結果、積み重なる遠くの死屍累々を眺めていながらも、近くの誰かと目配せする。『それでいいじゃないか……』と。その行動を醜いと感じて軽蔑しながらも、利得、権力、栄誉のためだと、我欲を肯定して、頭角を現す機会を待つだけになる。
世の中は、近くの誰かが"みんな"になって、積み重なって、老いて、腐って、衰退する。
だから、世の中で何かしようなんて思っちゃイケナイ。……違う?
幼少や青春時代の学校でも周りに気を遣って合わせてただろう?社会に出れば、尚の事それを強いられる。ずっと続くのさ。
精神とか心を動かす心臓を2つ持ってるなら、何か出来るかもしれない。けれど、変えようとすれば、むしろ周りに……"みんな"に殺されてしまうかも知れない。
それに、生憎と私が持ってる心臓は一つだけ。人を踏み潰すことに悦楽なんて感じない。誰かをないがしろに出来ない。それを見ぬふりも知らんぷりも出来なければ、偽善を働く気にもならない。
悪いなぁ、自分。出来ないことだらけなんだよ。気がついたら加害者になってたことがあるし、被害者に成った事もある。生きている事は、そんなもんだろう。
けれど、やっぱり自分から進んでは、そんな事をしたくはない。メンドクサイ。傍観者になるのがちょうどいいのさ。
私が出来ると言えるのは、こうして綴ってグチャグチャ、ドロドロを吐くだけさ。それだけが出来ること。世を変えるなんて出来やしないさ、人を救うなんてもってのほかだよ。
畢竟、私は最低限の税金を払うことすら億劫うだと言い切る、怠惰な社会不適合者なんだよ。わかったかな?期待しないでくれたまえよ。責めないでくれ給えよ。君の言う通りさ、自分……。
ふと『自分』の視線を感じない事に気づいた私は、うつむいた視線を上げた。
慌てて辺りを見回しても『自分』がどこにもいない。――残された「私」に在るのは寂寥感ばかりだった。
何を書いているんだろう……ストレスの爆発かな……。なんだか疲れた。それだけしかわからない。