最下層の獣王は
身体の表面に隙間風が容赦なく当たる。
石の壁に寄りかかり、自分の体を抱き込むように両腕をさすった。
「さ、むい」
アーバルの言った通り、寒くて凍える。
床は寝る場所なんて無い。
唯一寝れるスペースはわらで作られた茣蓙のみだ。でもこの上で寝るつもりなんてない。
「でも寝ないと体力持たないだろうなぁ。なんかないかな……ん?」
横縞尻尾がこれでもかとブンブン振ってくれている。どんな場所でも可愛い尻尾を撫でてあげると、すりすりとしてくれた。わたしを励ましてくれるのかな。モッフモフに毛並みを膨らませて、ここに座れとアピールしてくれる。
「あなたの上に座ってもいいの? 痛くない?」
横縞尻尾は大丈夫だと一つ頷き、モッフモフな状態で巨大な尻尾ベッドになってくれた。自分の体を沈み込ませると、上質な柔らかさとモフモフ加減に心が癒される。あなたが居なれば、わたしは狂っていたかもしれない。
「ありがとう、尻尾ちゃん……、……っ、う」
明日から頑張るから、横縞尻尾にも不安になんてさせないから――いまだけ、泣かせてね。ごめんね、横縞尻尾。
***
「ん?」
横縞尻尾がモフモフ尻尾をフリフリして、わたしを起こしてくれた。遠くから足音が聞こえてくる。きっと、わたしを起こしにきた奴隷さんかもしれない。
横縞尻尾をロールケーキ状態にしてスカートの中に隠し、来訪者をそうっと見つめた。
「あなたを迎えに来ました。一緒に来てもらえますか」
「うん、わかった。わたしの名前は玲奈っていうの。あなたは?」
「真奈です……アーバル様の前ではぜったいに番号で呼んでください」
豹獣人のアーバルが200番と呼んでいたショートカットの女の子だ。やせ細って今にも倒れそう。髪もボサボサで手足がとても汚れている。
「200番……だっけ?」
「そう。あなたは281番だから、間違えないでくださいね……目が、赤いです。昨夜は泣いていたのですね」
はっと気づいて目をゴシゴシと擦ったら、真奈ちゃんにそれ以上擦らないで、雑菌が入るからと注意される。
「気のせいだよ、でも忠告ありがと…真奈ちゃん……あ、200番さん?」
「……奴隷に名があると毛嫌いするアーバル様のことです。暴力を振るわれますから、くれぐれも気を付けてください」
牢屋の番人に言うと、鉄の扉を開けてもらえた。
労働に駆り出されるからだろう。
でもその前に朝食を食べさせてほしいな。
「わたし達の朝ごはんは、アーバル様の御前でともに食べさせてもらえるの」
「へ、へぇ」
「床でしか食べさせてもらえないけれど、大丈夫、目立たなければ暴力は振るわれないから……」
二人で階段を上ると、すでに大勢の奴隷が立っていた。
わたしと真奈ちゃんが壁際に立ち並ぶと、テーブルの上にはごちそうが。わたし達が食べるんではなくて、椅子に座ったアーバルが食事をすでに食べ始めていた。くちゃくちゃと音を鳴らしてすごく汚い。食べかすが飛び散っているじゃないか。
上座の向かい側に座る……確か、クロゼスと言われてたかな? その男性が嫌そうな表情で露骨に顔を逸らしている。考えることは同じだ――と、目が合っちゃった。
「……」
真奈ちゃんに目立つなと言われたばかり。
目を伏せてやり過ごさなければ。
何か言いたげなクロゼスに、わたしは何もありませんよという空気感を漂わせた。
しばらくすると、アーバルが豹獣人に何かをつぶやいている。
コック姿の豹獣人は頷き、外へ向かって扉を出た。
ガラガラと小さな車輪を転がす音がする。
目線をやると、大量のお皿をカートに乗せて入室してきた。
「そら、お前たちの朝食だ。ぞんぶんに食え」
アーバルのお許しを得た奴隷達は、床に置かれた皿に向けて犬のようにおじやを掻っ込む。人間の尊厳を踏みにじられたような振る舞いに、わたしは茫然とした。
(もしかして、3番棟より酷い――?)
豚獣人のディップはまだマシだったのか。
帰ったら存分に暴れてやろうと、横縞尻尾とともに誓ってみる。
「お、281番は2番棟初めてだよな。どうだった、寝心地は?」
「( 尻尾ベッドは超快適だったけど )……部屋は最悪でした」
「ほおー。それはそれは。おい、281番の飯を取り上げろ」
「!」
豹獣人のコックがわたしの分のお皿だけ取り下げた。不味くても貴重なエネルギー源だったのに。こいつムカつく。
「いいねいいね、その勝気な目がそそる。その生意気な目が無気力に変わるのが待ち遠しいぜ!」
ほんと趣味悪い!
わたしはぐっと堪えて自分と横縞尻尾を諫めた。
ロールケーキ状態の尻尾を撫でるとブルブルと小刻みに震えている。堪忍袋が折れたらどうしよう。元も子もない。
「……」
まただ、またクロゼスがこちらを凝視している。
うざいから無視して我慢を貫くべし。
「じゃぁ、飯を食べたら各々仕事に就け! 200番、281番を豹共のねぐらに連れていけ」
「かしこまりました」
「無事に生き残ってりゃいいな、281」
「……」
アーバルとクロゼスの二人とすれ違う。
ここでもやっぱりクロゼスの物言いたげな瞳とかち合った。
言葉を交わすことはできないけれど、奴はわたしのお尻の方を凝視している。ボロを出さないうちに、わたしと真奈ちゃんは建物内の庭へと歩き続けた。
獣化していない豹達のねぐらは広々として、大量の芝生と疑似的な岩とプールのような水たまりが設置されている。
「これからあの子たちの体を綺麗にしてあげないと。でも難しいよね……」
「そうだよ、どうやって……!」
「グルルル……」
「ウゥゥゥ……」
わたし達を獲物だと捕らえた豹達が、じりじりと近寄ってくる。本当の意味での生存の危機だ。横縞尻尾を出し惜しみしている場合じゃない。
「うーん、ここにはアーバル達もいないし、横縞尻尾を使ってもいいよね?」
「え?」
ロールケーキ状態の尻尾の出番だ。
モッフモフな特大尻尾で豹達を威嚇して欲しい。いてこませ! アライグマ尻尾よ!
「あ」
「きゃあっ」
「ギャンッ」
横縞尻尾のフルスイングが決まって、豹が一匹打ちのめされている。彼らを見ると、頭を低くして体を震わせているではないか。
「キュ、キュゥゥ~~ン……」
あの肉食な豹達が、腹を見せて服従している。
特大なアライグマ尻尾は効果てきめんだった。
「やったね! 尻尾ちゃん♪」
尻尾がフリッフリッ!
「あ、あなたは何者なの?」
「実を言うと、わたしもわからなかったり?」
てへ、と舌をぺろりと出しておいた。
真奈ちゃんに、3番棟で起きたことを掻い摘んで話してみる。ブタ獣人の番人が、この尻尾に触れ伏したことを説明すると、真奈ちゃんの瞳がだんだんと輝きだした。
「すごい、すごいよ。玲奈さんが獣王だなんて!」
「わかなんないよ、ディップが勝手に言ってるだけだし」
照れながら豹達に水をぶっかける。
嫌がる素振りを見せつつも、わたしの特大尻尾に恐れおののいて大人しくしてくれる子たちばかりだった。
布で毛並みを乾かしてブラッシングすると気持ちよさそう。この子たちはこんなに可愛いのにアーバルときたら、天と地ほどの差があるって。
「いや~、仕事がはかどって助かるわ」
「こんなに楽な仕事は初めてでした。ありがとう、玲奈さん」
「えへへ、大したことしてないけどね」
真奈ちゃんと一緒に今日の仕事を終え、食事をした場所まで戻るとアーバルが悔し気に口をゆがめた。
「なんで、五体満足に生きている……?」
「へ? なんでって言われても」
「豹共に水浴びとブラッシングさせたのか、俺様直々に確かめてやる。お前も来い。クロゼスもだ」
「いたっ、掴まないで!」
大股で歩くから、わたしは躓いてしまった。
打たれそうになって、ぎゅっと瞼を閉じても衝撃がいつまでたってもやってこない。
「あれ?」
「何のつもりだ、クロゼス」
「庇いたかったから暴力を防いだまでだ。他意はない。さぁ、立って」
わたしに言ってるの?
優しく、確かな力に抱き寄せられて身体を立ち上がらせてくれる。
「紳士面を発揮してどうする気なんだ、クロゼスよぅ?」
「俺はこの娘が気になるんだ。今にわかる」
「チッ、こいつは2番棟の奴隷なんだ。お前でも好き勝手に庇い立てるな」
クロゼスによって、わたしを引っ張り続けることはされなくなった。うれしけど、この心境の変化はいったい――
「ま、豹共の毛並みを見るとわかるだろ……と」
豹達のねぐらに到達。
アーバルは豹の体を一匹ずつ検分して、毛並みを調べている。
「……全部の個体に、ブラシしたのか」
「えぇ。そうよ。この子たち、とってもいい子だったわ」
わたしが近づくと腹を見せて服従してくれる。
この物わかりの良さを、アーバルも見せてくれるだろうか。
そしてクロゼス、あなたの意図を明かしてもらう。
百回詫びてくれるかな。
ね、横縞尻尾ちゃん。