100.おわり
「100.」まできた。これでようやく終わらせることができる。
と言っても実際には100は書かれていない。僕の判断で「これを載せておくのはよくないな」と思ったものが幾つか削除されている。これの投稿後、気分で幾つか消すかもしれない。
と書きながら読み返す気もないので今あるものは消さないと思う。
本当は2025年の内に「100.」まで書いてしまえていれば、なんとなくキリがよかったのだがどうにも間に合わなかった。猫のこととか、SIMカードのこととか、正月とか、書くことが思いつかなかったこととか、猫のこととかで忙しかった。
約10年前、このエッセイを書き始めた頃とは時代がかなり変わった。「なろう」にしろ世間一般にしろ。まさかカクヨムがWEB小説界のメインになるなんて誰が想像したか。いや、誰かしらは考えてただろうけど。結局は資本主義社会なり。
なろうに投稿し始めてだいぶ早い段階で、自分には物語を書く能力なんてものはないなと見切りをつけた。大した努力をすることもなく諦めた。熱意も執着もなかった。
それでも、あの頃の数年間は精神状態が不安定だった時期なので、才能なんてなかろうと何かを吐かずにはいられなかった。その結果のこのエッセイ。
自分の中でも整合性もなく、まとまりもなく、深く考えているでもなく、とくに強く思うこともなく、ふと思いついただけの、どうでもいいと切り捨てられることばかりを書いてきた。
いや、ご託はいいか。
僕には書き始めた辺りの、人生30数年生きてきた頃から、特筆するようなことも、他人を惹きつけるような言葉も何も持っていなかった、それだけだ。
10年過ぎた今でも変わらない。口惜しさ、悔しさ、羨望妬み嫉み、そういった感情も湧かせることができぬほどに無だ。空っぽな箱男。
生きてきてすべてが虚しい。虚無しかなかった。人生に何も明るい展望を見い出せなかった。ヴァニタスヴァニタータムエトームニアヴァニタス。コミーはすべてが虚しいニャ。
人はなぜ生を望むのか? どうせ死が待っているのに。滅ぶことでしか人類全ての幸福、救済は訪れない。なのになぜ? 他者を不幸にしたままで幸福を感じられるのはケモノより優れた生き物か? なぜ視野を拡げず己の欲望だけを追い求めるのか? 人類全てが満たされなければ人の幸福など成し得ないのでは?
そうした幼少期からの思想を持ちながら、東北大震災での知人の死や、介護していた身内の死を経験したことによって正反対の思想も持つようになってしまった。あの頃の喪失感が今の価値観の半分になっているかもしれない。命の尊さなどとは言わないけれど。
ついでに自分の意志によらない唐突な死はダメだという考えは補強された。
兎に角にも、僕は人類に早く滅亡してほしい、消えて欲しいという願いを持って、小学生の頃より数十年今まで生きてきた。人間がいる限り悲劇が起きる。不幸や悲劇を失くすには人が生きていてはいけない、そう子供の頃に思い至り未だにその答えを覆すほどの解を得られない。
こんな中高生が言いそうなことを、四十をとうに過ぎた氷河期世代がネットに晒して恥ずかしくないのか? というのも頭の片隅にはちゃんと持っている。一応は社会性というやつがあるのでネットで恥ずかしいことを書くにとどまっている。




