97.根底にあるのは「自分がどうしたかったか?」でしかないことにも人は名前をつけてきた
新年の抱負というものがある。
その年の初めに何かしらの目標なり指針なりを掲げるやつだ。
具体的な言葉を発する、文字として形にすることによって達成しようというやる気が起こりやすくなるという。自分で口にすることによって、目標に対して一層自覚が強まる面もあるだろう。一種の自己暗示みたいなものだ。
スピリチュアルなことで言えば、言霊とか引き寄せの法則とかそういった見方も可能であろう。
スポーツなんかの競技に関することであれば、目標を誰かに聞かせることで自分を追い込むことだってできる。メンタル強い人ならではか。
一方で、「事を為すまでは何も語らないほうが吉」とする考えも昔からある。不言実行というやつ。
簡単に口にすることによって、ネットで文字にしてしまうことによって、熱意や想いが下がってしまう。
他にもなろう作家未満の僕から経験的にわかりやすく書くと、「妄想をするだけで書かずに満足してしまう」「設定を書いただけでやり切った感を出してしまう」「批評しているだけで自分が何者かに成れた気がしてしまう」とかそういう感じだろうか。具体的すぎたか。
有名なスポーツ選手の中には、余計なことは言わずに結果を出し続ける方々も多くいると思う。それがストイックさも感じさせてかっこよくも映るわけだ。
別にどちらが正しい、正解ということでもないだろう。
他のことでもわりと書いてきているが、自分がどうなのかというのをちゃんと解っていることが大事なだけだと思う。僕自身は他人に何も言わず、何も言われずにいたほうが継続できるタイプだ。そして何も言わないで行動するからコミュニケーションに難があるとされてきた。「そうするならするって言っといてよ!」て怒られてきた。難しいですね、人生。
ところで新年の抱負だが。
これはいつ頃からの慣習なのか。誰が何のために広めたものなのか。なぜか現代人は当たり前のように受け入れているが。僕の子供の頃は当然だったろうか。
今思えば新年の抱負というのを真面目に挙げたことがないかもしれない。ぱっと思いつかない。中学大学受験の年でも合格が新年の抱負にはなっていなかったと思う。というか、2月3月に結果が出るものがその年の1月の目標だと残りはどうなるんだ?
新年の抱負どころか、人生での目標とかやりたいこととか、そういったものすらない人生だったのは確かだ。小学校高学年の頃からとにかく早く○にたかったくらいで。今はそうでもないけど。
祈願では健康と厄除けがほとんどだったが、余計な何かを望まずに生きてきたから今まだかろうじて健康で無事に生きているのかもしれない。歳をとらないと無病でいられる健康の重要性がわからないのは人生の罠なんよ。




