92.どこかのクリーパーTシャツを着たおじいさんを見たときはなんとも言えない感情が出た
小見出しで見かけた「おじさんのファッション云々」的なやつ。
中年男性として気になるのかと言えばまったくならない。
なぜならおっさんはおっさんでしかなく、ファッションがどうのこうのとかいう次元にはもういないのだ。
まだおっさんに成れてない精神が若い側か、おっさんという括りを理解できていない人間か、単純に服を売りたい人たちか。おっさんのファッションに難癖を付けるのはこの3種しかいないだろう。
一般的に平均的な価値基準としては「おっさんの服装なんてそこまで気にされない」のが解答として妥当だと思う。
おっさんのファッションにとって一番重要なのは、社会的な評価が死なない装いであること。
いい歳をして、おっさんというのが「不審者かそれ以外か」でまず見られることを理解できていないのは色々と危ういんではなかろうか。
2つ前の『90.』に書いたかもしれないが、中年男性は不審者に見られないよう最善次善に配慮することは大事。おっさんの服装の8割は配慮だ、そこから先はおまけみたいなもんだ。鳴海壮吉はこんなこと言わない。
どこかでまだ「かっこつけていたい」「良く見られたい」という自意識があるのだろう。それはまあよい。何歳だって悪く映るよう意識するより断然健全でよい。でも、いい歳したおっさん相手のアドバイスにモテる、モテたいってなんだよと。ろくでもないアドバイザーだとしか思えない。近年ちょくちょく見かけた「おぢアタック」とかいうのも、こういうのを真に受けてしまう人たちが起こしているんだろうか。
かつてよりも寿命が延びて、○○歳でもまだ若いといったような感覚からこうした方面にいったのか、あるいは、誰しもが芸能人のような気分で常に若々しい装いをすることが当然だと思うようになったのか。まあ、わかりませんが。
誰からも気にされないなら好きな格好をしていてもいいだろうと考える方々もいるが、僕はこれには賛同しかねる。
自身の容姿というのは残念ながら鏡で見た自身の眼だけではなく、他者からの「まなざし」が加わって確立するものだ。自己満足のが全てで文句なんか言わせないというのは公開オ○ニーを見せつけていることと同じようなものだろう。そういったことを理解し批判的な意見を受け入れてなおそうしたいならすればいいとも思いもするが、自分ではなく受け入れない周りが悪いと言い張る輩もいるので、あまりなんとも。
どれだけ孤独であろうと孤立しようと、人間というのは社会的な生き物であって社会の中でしか生きられないがゆえにそうなる。それが嫌なら死ぬまで他人の視界に入らないよう生きるしかない。
だいたいそんな考えが「好し」とされたら、極端なことを言えば小太り中年男性がレーズン透けたタンクトップと染み付けた白ブリーフでうろうろするのも問題無しとしなければ矛盾する考えなわけで、そんなの日常的に視界に入れたいかって話でして。僕はそんなの見たくないし、そんな格好で外に出たくない。




