88.現実の問題を考えたいなら現実社会を見てればいいのでは?
エンタメというのは結局のところ、平和で自由な生活の上でこそポテンシャルが発揮されると思っている。
文化は大衆のある程度の平穏で幸福な自由があってこそ栄えていくものだ。だから日本のオタク文化というものはここまで発展してしまったとも思う。良くも悪くも、それだけ日本という国が寛容な場だったとも言える。
大きな災害や災禍、事故や事件があるとエンタメというものは後回しになるし、心の底から楽しめなくもなる。健全な人は不幸な人の横では素直に笑えない。
身近な例で言えば何かしらのセンセーショナルな事件が起きたときに、その事件と酷似した内容のアニメが近い内に放映された・されるとなったケース。これは所謂「自粛」を考えなければならなくなる。何処かの誰かが起こした事件のせいで言いがかりのような批判を受けてきた作品は多くあるだろう。
自論になるが、犯罪は創作の敵だと思っている。
確かに現実の事件をベースにして創作する方々もいるが、事件のせいで作品の芽を塞がれてきた人らもいる。
クライムサスペンスなんかを書きたい人には切って離せない問題だろう。「この作品のせいで事件が起きた」「あの作品の犯罪を真似したんだ」なんて難癖のほうが多いかもしれない。こちらは後からの問題になるが。
創作というのは想像の産物であり、現実の事件が起きなくてもそういったことを創作することは可能であり、現実の出来事がなければ創作出来ないなどというのはおかしな話だ。想像力の低さを現実で補うタイプの人には嫌味になるだろうけれど。
これまでに時折書いてきたが、現実をトレスしているだけのような創作を好むなら、現実の問題に目を向ければいいだけのことだ。わざわざフィクションにする必要もない。
とはいえ現実のその先を描けているなら、それはそれで凄い作品にはなるが。
それと日本国内だと2011年の東日本大震災の際には創作全般において多大な影響を与えたばかりか、出版にも被害を出したのは忘れられない人もいまだにいるのだろう。
あの頃に出るはずだった作品の中には、震災のせいでズレたり遅れたり日の目を見なかったりというものがあったという。創作の内容でも辛気臭い内容が拒まれ、映像表現では震災当時を連想させるような描写は自粛されたり、表現を抑えられたりしていたとか。
創作者にとって他者の不幸に繋がるものは絶対の悪であろう。提供したものを十全に楽しんでもらえなければ作った側も損になる。常に平穏な世界であってほしいものだ。
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先日知った話題で「社会性のないエンタメはダメ」だか「社会と無関係のエンタメはダサい」だかで今盛り上がっているらしいのを知った。1つ前で書いたがネットが常時ではないので話題が過ぎたやつなのかもしれない。
そういう考え方もあるよね、程度の話ではないのかなと。別に誰がどう考えて作ってようと、申し訳ないがあんまり興味はない。
エンタメなんてのは創作者の意図や思想がどこにあろうと面白ければ良いだけである。
作ったら後は消費者が勝手に決めるものだ。




