48.「抽象的」をファジィの意味だけで扱う人は多い
一応書いておくがここでのファジィというのは「曖昧」「漠然」としてだ。ふわっとしてる、と言われやすいもの。
「抽象的でわかりにくい」
この場合の多くは「抽象的」が「曖昧」の意味として使用されていたりする。
本当に抽象的であるならば簡潔でわかりやすいものだが。
言葉を額面通りに受け取れば「抽象的」なのに「わかりにくい」というのは、説く側か聴く側のどちらかが問題点を理解していない、または注視している問題点に相違がある、ということになる。その場合「わかりにくい」ではなく「(情報が)足りない」か「示しているものが不明瞭」というくらいが適切になるのではないかと思う。
抽象化というのは物事の本質を抽出して象としたものだ。だから抽象化されたものは余計な部分──大部分を削ぎ落した形となっている。ゆえに一見しただけではわからないようにもなってしまう。
抽象画が解り易い。事象の一側面だけを抽出しその部分を拡大解釈、個人の思想で装飾、または真逆を、あるいは変質、となにかしらさせたものとなる。
自分をというものを初対面の相手に説明することを考えてみるのもわかりやすい。
名前、身長、体重、年齢、学歴、職業等を言うのは具体的な情報だ。これは外的な、客観的な情報となるので初対面の人間でも理解しやすい。
対して能力、長所や短所、性格や評判を言うのは抽象的なものとなる。初対面の人間にこれらの情報を伝えても納得、理解はされ難い。
ここに「明るく活発で周囲を和ませる」性格をした人物Aがいるとしよう。
人物Aをよく知り、理解している者たちはこのような抽象的な説明であっても言わんとしていることを把握できる。「あいつは場を良くする」「空気が読める」「人付き合いが上手い」、そんな風に。
しかし人物Aを知らない者たちは上記のような抽象的な情報では理解、納得ができない。だから具体的なデータが欲しくなる。こんな資格を持っているとか、こんな実績があるとか、そうした客観的な評価から人物Aの内面を予想することになる。
これは面接という形で知られているものだ。面接官は外側から判る能力(具体的な情報)でしか量る材料がないのだから、抽象的な情報(個人の本質・資質)を知ることは能わない。だから信憑性、精確性を足すことができるような話術や振る舞い、容姿が面接では必要となる。ある意味ではブラッシュアップとも言い換えることができる。




