43.「躾という字は自らを云々」という文句をあまり見かけなくなった、ような気がする
セルフネグレクト。言葉の説明は省く。
知らない方がここを読んでしまったのなら検索をしていただけると助かる。
簡単に書けば「健全で健康的に人並の生活で生きていく気力が起きない」。専門家ではないのでこれが適当であるかどうかはわからない。
僕は中学生の頃からほぼ人生自体がそんな感じだが、一番ひどい頃の話を書く。
自分語りであるので多くの方にとってあまり価値のある話ではない。
家族の介護が終わって、1年ほど経った頃だ。
自分の状態がおかしくなっているな、とは薄々気がついていた。(エッセイでいつだったかも書いたことがあるが「自分で自分がわからない」とき)
社会復帰を考えることも諦め、生きているのも億劫で生きていく理由もない。昼夜は逆転し、起きていてもろくな行動はとれず、布団とパソコンの前を行き来するだけの日々だった。
食事もほとんどしなくなっていた。食べても美味しいと思えなくなり、食べるのが面倒臭くなったからだ。口にするのは1日1食の半分と水分があったりなかったり。コーヒーぐらいか。
それまで48キロほどあった体重(身長177)が緩やかに減少していって、最後に確認したときは40.4~8キロだった。その後は確認しなかったが、おそらく更に下回っていただろう。
体重というのは食べさえしなければ動かなくても簡単に減ることがわかった。ダイエット知らずである。それと急激に体重が減っても外で仕事をしてさえいなければ、案外トイレに行くとか掃除とかくらいは動けるものだ。
空腹を感じない、わけではなかった。「腹が減ってるかもしれん」という感覚はあった。腹が減って腹痛を起こすていどに食欲はあったらしい(食欲が関係あるのかは知らないが)。しかし食べるのが面倒で、食べても美味いとも思わない。味がしないこともあった。
それなのに買い物に出る、仕度をする、食べる、片づける、ということをしてまで食事をする必要があるのか(いや、ない)? 食事して生き続けてなんの意味があるのか? 病院行って健康になっても社会復帰できないなら食事をする必要があるのか? ネットでだって無職の無生産者は死んだほうがいいと沢山書かれているものよな? そんなことだけで頭が一杯なので空腹は無視できる。
もはや自分の肉体がどうなっていくのか、このままではマズイのではないか、などと考えない。マズくてなにがマズイのかという話である(禅問答)。意識があるのがひたすら怠い状態だった。
食事をしなければ体力も落ち、免疫能力なんかも下がり、簡単に病気にもかかる(実際ちょっと面倒なものになった)。それでもこのまま死ねるなら一番望ましいなと。
もしかしたら鬱とかなんかそんなのだったのかもしれないが、それまでの思考よりも多少箍が外れてたんだなという印象がある。
おそらく同じような状況に陥った場合、友人や恋人などがいるようなとても恵まれた人間ではないと簡単には抜け出せないだろうと思う(自力でどうにかできる人はこんな状態に陥らないだろう)。セルフネグレクトのことを検索してみても大体そんなような感じのことが求められている。
残念ながらそうした人間関係を持ち合わせていなかった僕は数年かかって、ようやく健常になったり異常になったりを繰り返すくらいに回復している。
回復とは書いたが、これはそんなに異常なことだろうか? と思ったりなんだりもしている。
社会に害を為すようなことではないし他者が積極的に介入する問題ではない、んじゃーないかなって。
いわゆる「健康的で一般的な日常生活」という自称スタンダードの人たちが考える「理想的な普通」を出来ない人々に対して、「病理」という形で異常のレッテルを貼っているようにも受け取れるようなね。
小学校で授業内容に対応できない子供をただ「不出来」とする教育みたいだなと感じたりする。




