40.他人に期待しないというのが当たり前の社会になるといい
僕の中では当たり前なのだが、あまり一般的ではないらしい。
多くの人がどうしても他人に期待をし、期待は裏切られない前提のものとして思考しやすい。きっと過去に他人を自分の期待通りに理解をさせたり、思った通りに動かした経験が数多くあるのだろう。
期待という「願望」は感情によるもので、おおよそ論理的、合理的でないものだ。だからなるべく排除するものとなる。論拠となるものが無く「そうなるといいなぁ」だけで企画を通すところがないのと一緒だ。昔から言われていることだが感情は眼を曇らせる。眼が曇れば思考が鈍る。思考が鈍れば判断が誤る。判断を誤れば結果はどうなるか、という話である。
あるていどはそうしたことを理解していても、「自分は正解を選んでいる」という思い上がりを持つがゆえに信ずる道を間違え、多くの人間は小人に止まる。
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論拠のない勝手な期待というのは一種の甘えでもある。
自分を他人が理解してくれる、というのは最たるものだろう。幼児期の子供が顕著だ。「言ってること、考えてることを理解して(思ったように動いて)くれないのは親・世間が悪い」なんていうのは代表格な言い方だと思う。
1を言っても100を言っても、誰しもが理解できるものではない。伝わらない相手には絶対に伝わらない。だから僕は伝える努力を(最低限程度にしか)しない。
伝わる相手の選別を自分で可能とするにはまず自分が他人を、人間を理解できるようになっていなくてはならない。自分の視る目を鍛えず、自分がなんの労を負わずに自分の我だけを通そうというのは、甘えというよりも愚かさにもなる。その努力はきっと一生必要になるものであって、死ぬまで考え続けろという話だとも。
神頼みに近いのかもしれない。勝手に期待して、期待通りにならなければ自分勝手に失望したり、文句を吐いたりとなるのが。




