39.自分のエッセイにブクマはつかないでよいと思っている(修正)
極端にポイントを気にする人はいる。
ある面から見ればその作品の客観的価値になるので、そうおかしいことではない。
しかしそれが全てではないことはすぐにわかる。所詮数字は数字で、実の不明な虚の表現だ。そういうの当てにならんねと、散々見てきた。
僕はいつごろからかエッセイではポイントは閉じている。エッセイのランキングに載るのは僕の指針にならんなと思ったのと、ポイント入らないから閉じてなくても同じだなと思ったのと、ランキングをぱっと見たときに自分のがあっても読まないから邪魔だなと、そんな理由である。「エッセイのランキングて(一時流行った)オタサーの姫の現象とたまに似てるんだよな」と感じたとかは関係ない。
このエッセイは現在(2017/3/12)ブックマークが5だ。
5人にブクマされているので読者が5人だけかといえば、そうではないとわかる。
UAの機能が正常に動いているのであれば、ブクマの5人と、ブクマはしていないけど読んでいくれている方が2~7人と、そう算出している(この数字の誤差はBOTを一応考慮した)。多くのブクマ(読者)を抱えている方だと数値が大きく、こうした隠れた方々を見つけるのは難しいだろうが、ブラウザでもアプリでも、別の機能を用いて読んでくれている方がいるのをちょっと頭の隅にでも置いておくとよいと思う。(こんなことを書いてから他の数字が全部無人だったらそれはそれで面白いのだけど)
そこに新着から間違えて開いた方が即ブラバせずに一読して去ってくれれば、それだけでこのエッセイの価値として充分すぎる読者数(手応え)だ。
こんなんを20人30人も継続して読んでいたとしたら、むしろ不気味である。観察でもされてるのかと疑う。
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エッセイでの「なろう」指南には新規の読者数を増やすための方法(クリックしてもらい易くする工夫)を書かれている方々がたくさんいらっしゃる。タイトル、投稿方法(更新頻度)、投稿時間、文字数などなど。
沢山あるのだが、なぜそれが効果的で、どんな人(層)にどんな価値/意味を与えられて、どうしてその対象には価値/意味があると思わせられるのか、といったところまで書いているものは、あまり見かけなかった。その手の指南的なものに目を通さなくなったので今がどうだかは知らない。
(修正)
対象者に「極平凡で平均的な普通の生活をしている一般人」を想定してみれば解り易い。
朝起きる。仕度をしてさっさと会社に行かないとならない。
時間はないが、社会人としてテレビでもネットでもとりあえずニュースをチラ見する。
このとき、朝っぱらから、精確性や深みはあるものの長ったらしく全部を把握するには時間がかかるような見出しの解説や記事があっても、まず読まない、聞かないだろう。
「いや、興味を持ってもらえていれば、時間が取れたら目を通してもらえるはずだ」なんて期待はしないほうが良いだろう。朝の急いでいるときに見聞きした関心の薄い情報を、仕事をした後の夜まで覚えているほど頭に暇がある人は、滅多にいないのではなかろうか。他人が雑談で持ち出しでもしない限り忘れられると思う。
じゃあ朝の忙しい時間にも報道に関心を持たせられるやり方はどういう手段があるか? ということで。
こういう人間心理、生活サイクルを計算した方法が「なろう」でも通じているだけなんだよなと感じたりなんだり。数値が欲しいなら人を見るのは避けられないよねと。
一部に誤解・語弊を招く表現がありました。訂正してお詫びします。(3/14)




