34.生きるための労働しか知らない人もいる
先日(2017/01/20)見かけた話題。
ある芸人が出版した絵本を、お金がなくて買えない人のためにWeb上で無料公開すると宣言し、それに対して批判が起きたという。
ざっと検索しただけの感想としては「上手いな」というのと「この芸人(の言い方)が気に入らないだけじゃねえの?」だ。
単純に「炎上商法」で、この文章もその「宣伝」に乗っかっただけの話である。
批判の中で「他のクリエイターが困る」というような言い方で批判をしている人を数人くらい見かけた。
芸人の絵本の内容や炎上商法よりもこちらを気にしてしまう。
率直にきついことを書けば「困ったらなんなのだろう」だ。そういう競争社会を国民が民主的に望んできた。たぶん、「困る人」もそれで構わんと支持してきただろう。
他人が困ってるからといって救済するどころか、弱ったところを叩こうとするのが現在の風潮である。
僕は毎日心身の状態に困っているし、現状の打開策もなく困窮にあえいでいるのだが、これを他人に伝えたところで「探せば仕事なんか他にあるだろ、甘えんな」か「貧しいのは自己責任」か「×ね」か、そんな感じに思われるだろう。
残念ながら「他のクリエイターが困る」とは、この程度のことでしかない。
冗談はさておき。
そもそも人間が無駄な労働から解放されるのが先進的文化発展のスタートベースにある。そのために様々な技術や学問が進化してきた。「技術の発展は戦争の為」という言い方は多いが、それだって根本的には「楽を得るため」であることを忘れてはならない。
それなのに「労働」ありきで物事を考えるから、構造的に越えられない壁が出てくるし、「労働」に執着するから人間の存在意義自体が歪んで、仕事がないだけで生きる価値や目的を自発的に見いだせなくなる始末だ。
人間なんて食って寝て、無為に生きているだけで充分な存在である。向上心などを持つこと自体は悪いことではないが、それが偉いだの優れているだのと拘って考える者は愚かだというような話は2000年以上昔にされていたりもする。
近年にわかに騒がれているシンギュラリティの話題で「仕事が奪われる」という表現があったりすると、「仕事をなくすために人類は発展してきたのになんで時代を逆行したがるの」と感じるのだ。別に働くのが人間である必要はない。なんのための発展かと。いつまでも「働くことが正しい」を押し通すのは無理があるのだ(この文章に正しさを求めるのは無理があるのと同じくらいには)。
データ化できる実体を持たない創作的な商品というのはいずれそのほとんどが無料公開になっていくだろう。これは「なろう」もだが、既に漫画、音楽、番組などでも起きていることだ。この増加を力で防ぐことは不可能に近い。昔(15~10年くらい前)は既存メディアや旧い価値観が時代の流れにもっと抵抗していたように感じたが、今はそれも薄まった。現状の「著作権」関連も、技術の発展があれば自然に変化を起こすと思っている(阻害する運動がなければより早く)。
よほど機密的(あるいはプライバシー的)なもの以外の情報──映像、文章、絵画、音楽、ゲームなどデジタル化されるすべての「創作」という情報──は無料のオープンデータとするのが人類の求めてきた高度で完璧な未来の一部であろう。
SF系の人だと詳しく書けそうな話だけど僕にはこれが精一杯。
蛇足。
じゃあ仕事を無くしたらどうやって生活するんだよという話。
さっさとBI的な制度を作ればいいだけのこと。
あるいは金銭以外の良心による価値基準の物々交換の時代に戻るか。(ベーシックインカムのことを知らない人は検索してください)
必死に働いても低賃金で消費の少ない労働者を増やし続けるよりも、気楽にさくっと消費をしてお金を回してくれる人間を増やすほうが、より多くの収益に繋がるのでは? と。
月18万の正規を100人雇用させるために色々と環境を整備し、そのためにそこへはさらにコストが掛かり、そのコストを雇用無関係な国民全体で賄うのだとしたら、ただの無駄遣いだと思うのだけど、どうなのだろう。
調べたわけでも、得意な分野でも、書いていて楽しい話でもないのでここまで。




