30.たまには「なろう」の話、とソシャゲ
総合ランキングの作品を読むことは稀だ。あらすじ、1話2話だけで読むのを止めている。
良いと感じたものも読んでいない(読んでいる時間がない)。主流と違う部分で上がっているなと感じたものは後から読む。
基本的にプロ意識(あるいは「デビューしたるわ」という意気込み)を感じさせるようなものは、ほとんどない。「当たればラッキー」ぐらいの気分で書いている人が多いのだろうから当たり前かもしれない。それが悪いこととは思わない。
そんな中だからこそ「こういうの好きやろ? 人気出るやろ?」感がある上手いものは目立つ。目立っていると思う。
近年ではメディアミックス(MMと略)が前提の作品が求められている。売る側としては、読み物としてのグレードが下がっていてもMMで成功すればいいという話。
以前、僕がなろうに登録した頃すでに「小説ではなくて漫画のネームを書いているようなもの」という揶揄はされていた。実際そんなような作品が多いことは、幾つか人気作品を読めばすぐに誰でもわかることだった。
けれどMMが当然となった現状ではそれが強味となった。「漫画」という文章よりも手を取りやすい変化、「アニメ」という無料の映像化の際には「文章による文章らしい文章表現」が多過ぎては邪魔になる。文章による抽象的センスは具体化に対応が難しい。
最近のランキングに上がる作品は「漫画のネーム」でもなくなってきているな、とは感じている。
はっきり書けばソシャゲ・ブラゲのテキストでいいということ。ポイント層の主流からは読み物としての面白さなんて求められなくなっているのかもしれない。
エンタメ特化として大事なことは「気持ちよく騙されたい」を満たすことだ。
ソシャゲというのはこの部分をとても研究している。だから運営がひどかろうと課金もされる。なにも考えない人が言うような「射幸心を煽っている」「課金で充実感を得ている」だけではない。そんな理由だけで成り立つようなら、課金ゲーも産まれては消え、生まれては消えが繰り返されることはない。そういう点から見て某お花なんかは賢い人がチームにいるんだろうなと、蛇足的に書いておく。今後は知らんけど。
なので「読書」を「好き・楽しい」以外の「暇潰し」としている人に楽しめない文章は不要となってきている。その部分は「気持ちよくない騙し」だから。
ステータスやキャラ付けのフレーバーがいまだに好まれやすいのはわかりやすく楽しめるところだ。数字やランクというのは言葉だけで感覚を騙しやすいものである。
今年は多産と廃棄が繰り返されるんだろうなという旨のことを年始かそれくらいに書いたが、概ねハズレてはいない結果であってなんとも言えない。




