27.読まれないエッセイだが『8.「最近のラノベ」は文章力が下がっているらしい』だけ読まれやすい
これは単純に、「最近のラノベ」について「肯定したい派」と「否定したい派」どちらも気にするタイトルになっているからと推察できる。どちらにせよ自分の価値観を他者の意見で補強したい人がいるのだろう。
もしかして「文章力を上げたい。なにかヒントになるようなことを書いているのか」というような理由で読まれた人がいたとしたら、本当に申し訳ない。余所で勉強してほしい。
あの話題は「ラノベ叩き」の一環に「文章力」を持ち出したにすぎない。丁度食いつき易い餌であっただけだ。騒いで文句を垂らしていた人はいたのにその批判が真っ当かどうかを精査しようなんてしっかりした動きがなかったことを鑑みるに、そう考えられる。
とはいえ、折角なので関連することを書く。
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以前の『8.』では「スタイル」として3つほど特徴的なものをあげた。
「なろう」であれば「速度/読み易さ重視」が大事なんてことは今更書くまでもないが、ぶっちゃけ、そればかり気にする必要もないというのが本当のところだろう。「面白いならどんな文章でも読まれるのは当然だ」なんて話でもない。
ランキングを気にするならば「速度/読み易さ」よりも「理解し易さ(わかりやすさ)」のほうが「人気」では重要という話だ。
賞などに応募したことがある人のほうが思い当たるのではないだろうか。どんなに面白い作品が書かれていようと、理解出来ない人はスルーである。はっきり書けば、面白さなんて二の次なのだ。「理解し易さ」と「面白さ」のバランス具合を熱心に研究した新人のデビュー作品が既存作品と似通ったものばかりになるのも仕方がないのである。それでもデビューしてしまえば模倣とは(表立っては)言われない。
話が逸れかけた。
この「理解のし易さ」が同等で、「面白さ」もまた同じほどであった場合、「簡単な文章」よりも「硬い文章」のほうが評判は高くなる。内容が一緒な作品であってもこの現象は起こるだろう。(どこかの作家がそんなようなことをやっていた気がするのですが思い出せません。心当たりがあればお教えください)
これは若年層にも配慮された簡易化されすぎなラフな文章よりも、しっかりと勉強を学んだ硬質的な文章のほうが「高尚」だと思われるからではないかと考えられる。「文章が簡単な作品よりも、難しく書かれたほうが高尚だ」のような意識が根付いており、高尚であることに価値を見いだしているのかもしれない。
簡単に書くと「それっぽい文章のほうが、同等の支持率であっても評判を良く言う人の「そういった部分」が満たされるようになる」ということ。これは熱狂的ファンの声だけが響きやすくなる理屈にも繋がる。
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僕が今書いている『insanidea』という作品がある。
これは一人称で無駄な情報を必要以上に書いて、主人公の気持ち悪さを出そうとしている。「面白さ」よりも主人公への「嫌悪感・忌避感」を持ってもらえるようになっていればいいのだが。この書き方は電脳紙芝居、いわゆる美少女ゲー・乙女ゲーなどのノベルゲー系ではよくあったものだ(気がついてもらうために「…」を全部「‥」にしようかとも思ったが世代によって通じないのでやめておいた)。文章のみの一人称でこうした気持ち悪さを書くなら、もっと理解し易い人物像(あるいは行動で示す)のほうが適していたりする。あるいは「独白」のような語り掛けか。
「ノベルゲー」と(最近の)「ラノベ」や「なろう」が決定的に違うのは情報(発信)量と、ゲームにはある絵(背景絵含む)の有無だ。文章以外の情報が多いことによって受け手が得るものが別物になる。それを文章だけにしてしまえば不足が起こる。『8.』で「このゲームテキストというのはただ「抜き出した」ものではないのがポイントだ」と書いたのはこのことだ。




