22.「努力して真摯な姿勢で真面目に生きていく主人公が魅力的です」
「努力しないでそこそこに生きてそこそこだらしない人間」のほうが好きな人には魅力がない主人公ということ
少し前に「売れるラノベの主人公は努力をしていない」ということが話題にあった。
それに対して「ラノベ以外」を持ち出して反論するなどが起こり、概ね記事を切り抜いて使った者の意図通りに踊らされ、いや、盛り上がったのだろうなと思う。
アフィチルじゃなくても「自分で確認を取らないラノベ読者」が多いんだなと感じたりもした。別の言い方をすれば、煽り記事に釣られやすい人がまだそれだけいるというか。
(元の記事は読売新聞系のオンライン記事で、人工知能の話だ)
主人公が努力しているか、していないか。
僕はそこにあまり関心がないせいか「どっちでもいいじゃん」となっている。「必死に頑張った」とか「努力してる」とかファンに書かれていれば、「今はこれで努力なのか」となるぐらいだ。
結局は「キャラクター」である。努力していようとしていまいと、作者に動かされるにすぎない。
そんなことよりも「物語」ではなく「キャラクター」を見ているという無自覚なままで「物語」を評している人のほうがどうなんだろうなと。「あなたがキャラを好きになったから物語が良く見えているだけではないでしょうか」と思うことが、増加に次ぐ増加というほどに多々ある。
キャラで売る商売が終わらないわけだよな、と。どうでもいいことか。
◇
10年前後昔、「努力が報われる社会かどうか」みたいな記事で2chにスレが立っていた。
うろ覚えなので記事にあった中身は忘れている。
そんな中でも覚えているネタがあった。
「努力って特別なこと? なんでみんな努力を特別視してるの? なんで努力したら報われないといけないの?」
というような感じのものだったと思う。
僕はこの価値観に近い。
みんながみんな努力を評価されて報われるなんてあったら、阿呆みたいな社会にしかならない。というか、ディストピア以外の何物でもない。
自己中心的な人間が努力し続ければどうなるか、努力して評価された人間が道義的に問題のある人物だったらどうなるかなど、「努力」に価値を与えている人たちはなぜかそういったことまで考えてくれないようだ。今のどうしようもない世の中だって、上に立っている人達は(苦楽の差はあれど)なんの努力もしないで成功しているわけではない。
「努力」なんてのは、自分で自分を本当に認められるときにだけ使えばいい言葉だと思うのだけど。駄目だろうか。
他者依存の世の中になったのものだ。




