17.「本当に好きなら○○できるはず」という個人の願望による思い込み
こんなのは子供の理屈だ。
この理屈でいう「本当」と「好き」は誰基準、どこ準拠、いつの規定なのか?
この細かさが子供の理屈だと思っただろうか?
だとすれば僕が言わんとすることの半分は理解できている(と期待する)。
自分のものとして語るなら問題はない。
「これ本当に好き」
本当でも嘘でも、好きでも嫌いでも、本人のことだから他人が口を出すことでもない。
好きだったものを嫌いにもなるし、嫌いだったものを好きになることもある。心変わりや成長などと言われる類のことだ。
「本当に好きなら○○できるはずだ」を他人に用いている大人を見ると「?」となる。
例えば本当に好きな伴侶(いなければ彼氏・彼女)から、
「本当に好きなら自分の要求に応えてくれるはずだ」
と厳しい要求を迫られたらどうか。
大体の人は「そんなもの要求の内容によるわ」と思うだろう。
なので、断る類の無理な要求だったとしよう。
その場合は「本当に好きではなかった」ということになるだろうか? ならないだろう(嫌いになる理由にはなるかもしれない)。
好きでスポーツをやっている若者らに「本当に好きならプロになれるはずだ」といちいち口を出しにいくおっさんがいたらどう思うか?
好きな陸上で挫折しかけている選手に「本当に好きなら走りきれるはずだ」なんて精神論で叱咤する監督がいたらどう思うか?
冷静に考えれば「いや、その理屈はおかしい」となる程度の文句であるのがわかるのではないだろうか。
いくらキャラや作品が好きでも、二次元と三次元の壁を越えられないように、本当に好きでもどうしようもないことなど幾らでもある。
現実はフィクションではないのだ。苦難は乗り越えられる試練ばかりなわけじゃない。