「朝田遥 過去」
6
「あなたは、SAコーポレーションの創設者ですから。」
その言葉が重く圧し掛かっていた。
自分が、セカンド・ライフを作ったのだと?だったら何故、会社を設立した本人が記憶を失っているんだ?
その答えに遥は首を横に振った。
すでに3本目となった缶ビールを飲み干して、滝本は4本目のビールを開けた。
あの後、滝本は携帯電話を渡された。部屋に置かれていた携帯電話は盗聴されている危険があるらしい。
現在、国内の携帯電話はすべてデジタル化されており、携帯電話本体から発信される通話内容が全てデジタル信号になっている。デジタル化された信号はアナログ変換をしないと人の会話として聴く事が出来ず、仮にデジタル化された電波を受信機で受信して聞いたとしても不快音のみ聞こえるだけで、会話として聞き取る事は不可能である。デジタル信号をアナログ信号に戻す事は各携帯電話会社しか出来ず、盗聴しようとしても一般的にはかなり手間がかかる。
しかし、会社から支給されたものである以上、何かしらの盗聴の策を施している可能性が高いと遥は言う。
遥に協力をしようとしたのは、下手な正義感からでも、一人で退廃主義者としてSAコーポレーションとやり合おうとしている遥に同情した訳でもない。
自分自身が一体何をしようとしたのか確かめるためだ。
始めは自分が創設者だとは信じられなかったが、遥が数週間前からSAコーポレーションに秘書として忍び込み、得てきた資料を見て認めざるを得なかった。
説明会では以前の記憶を取り戻そうとすることは、脳に障害を及ぼす可能性があると言っていた。しかし、それは思い出されては困る理由があるからだと遥は言う。確かに、それだと会社にとって余りにも都合の良すぎる話だ。
現在のSAコーポレーションの社長は、副社長であった九条寛樹という男が務めているようだ。かなりのやり手らしく、若くして副社長のステータスを手に入れたらしい。
遥にセカンド・ライフの目的が本当は何なのか聞いてみたが、秘書として得られる情報には限界があり、真相はいまだ不明らしい。協力するなら説明すると、見事にハッタリをかまされた訳だ。
しかし、正直今はセカンド・ライフの目的がどうであれ、自分自身の答えを知りたい。自分は一体何者なのか。セカンド・ライフを作り出し、自ら記憶を失った訳は何故なのか。
遥に協力することで、その答えが分かるかもしれない。
滝本は4本目の缶ビールを飲み干すところで、ふと疑問に思った。
そういえば、何故遥が退廃主義者になったのか聞いていなかった。退廃主義者ということは、自分と同じ様にセカンド・ライフ施行者なのだろうか。
それ以前に、朝田遥こそ一体何者なんだ。
説明会の後別れて、自宅に戻ったらひたすら酒を飲むように言われた。どういう魂胆なのか分からないが、滝本は言う通りにしている。
盗聴器が仕込まれているのはおそらく部屋の中にもある筈だと言う。こちらから動き出す前に、逆にその盗聴を上手く利用しておくと言うのだ。
滝本は空になった缶を片手で潰し、あの褐色の瞳を思い出す。
遥と次に会うのは、5日後。こちらから連絡を取らなければならない。そこで今後の詳しい計画を立てるつもりらしい。
これで自分も退廃主義者か。犯罪者の仲間入りだ。いや、元々犯罪者のようなものだったのかも知れないが…。
先日、遥に連れられてきた珈琲店が待ち合わせ場所となった。
言われた通り、遥に購入された盗聴器のついていないブルゾンを身にまとい店内へと入っていく。
相変わらず店には客がいない。見渡さなくてもカウンター席から離れた奥の席に遥が座っているのが確認出来た。滝本はマスターにブルーマウンテンを頼み、遥の前に座る。
「早速ですが、これからの計画についてお話しします。」
滝本が座ると同時に、遥は話を進めた。
「いや、ちょっと待ってくれ。」
鞄から資料を取り出そうとしていた遥は、眉を細めて滝本を見る。
「確かに俺は君に協力すると言った。だが、俺は君の素性も、何も知らないんだ。」
遥は資料を取り出す格好のまま動かない。
「協力して欲しいのであれば、君のことを教えて貰わないと不公平じゃないか?」
店のマスターが豆を挽く音が聞こえてくる。
「なるほど。では、質問して下さい。」
手にしていた資料を鞄に戻し、座り直す。
質問して下さい、と言われても難しい。余計なことは自ら喋らないつもりなのだろうか。
「…まず、君は退廃主義者と言った。ということは少なからず、セカンド・ライフに関係していたことになる。」
遥かは黙って滝本を見ている。やはり自ら話し出すつもりはないらしい。
「つまり、君もセカンド・ライフの施行者だったのか?」
「いいえ。」
表情も変えずに言う。
「では、SAコーポレーションと関係があるのか?それとも、まさか政府の人間とか…。」
「違います。」
マスターによってブルーマウンテンが運ばれてきた。話が一旦中断する。
「じゃ、君は一体何者なんだ?」
マスターがカウンターに戻ったのを確認して話を続ける。
「何度も言うように、退廃主義者です。」
「違う、そうじゃない。退廃主義者になった訳を聞いているんだ!」
多少声を荒げてしまった。ちらっとマスターを見るが、こちらを気にしている様子はない。
気を取り直して、小声で話す。
「すまない。…だが、君の答えは答えになっていない。」
「兄です。」
遥はここで初めて視線をずらし、ぽつりと呟く。
「え?」
「兄がセカンド・ライフの施行者でした。」
今度は滝本が黙る番だった。
「私は幼い頃に両親を交通事故で失い、養父の家で兄と暮らしていました。私が成人してその養父の元を出てからは別々に生活していましたが。」
遥は目の前にあるティースプーンをいじりながら話す。
「兄とは仲が良かった。いつも二人で出歩いて、よく色んなところに遊びに行きました。ですが去年の9月頃、兄は忽然と姿を消したんです。」
テーブルに添えていた手が微かに震えている。遥はその震えを抑える様に手を組んだ。
「連絡もつかなくなって、心配で警察に届出をしようと思った時でした…。」
顔を上げ、店内に備え付けてあるテレビを見る。
「一ヵ月後に兄の居場所をテレビで知ったんです。」
滝本も、今は何も映されていないテレビに眼をやる。
「テレビのニュースで、変死で見つかった遺体が報道されていたんです。遺体の頭部は鈍器のようなもので殴られ、顔は原型を留めていなかったそうです。体全体も焼かれていたそうで、衣類すら識別出来ない状態であったと。」
そこで一旦話を区切る。
「ですが、歯型やDNA鑑定で特定された人物は『白川武志』という男性だったと断定されました。」
「…それは…、偽名だったと?」
遥は小さく頷いた。
「SAコーポレーションはその人物の戸籍や、歯形すら偽造しています。」
確かに、滝本はここに来る前に市役所で自分の戸籍謄本を貰って来ていた。謄本に書かれていたのは、滝本耕一とその両親の名前。勿論、存在する筈のない両親だが。
「兄だと、どうして分かったんだ?」
「ブレスレッドです。」
そう言って遥は左手首にはめたシルバーのブレスレッドを見せる。
「このブレスレッドは鍵がないと開かない仕組みになっていて、そう簡単には外せません。その遺体の特徴に、ブレスレッドがはめられていたと報道されていたので確認しに行ったんです。」
「しかし、同じ様なものは他にも売っているだろう。」
「はい、私もそうであって欲しいと思いました。ですが、ブレスレッドには二人にしか分からない暗号を刻印していたんです。」
「そのブレスレッドだったのか?」
遥はまた小さく頷いた。
「警察は、歯型やDNA鑑定で白川武志と特定されたのだと…遺体は渡してくれませんでしたが。」
「そうだったのか。…しかし、それだけではSAコーポレーションには辿り着かないだろう。」
滝本は冷えてきたブルーマウンテンを一口飲む。
「仕事を辞めて、独自で色々調べました。兄の偽名は報道されていたので家を探すのは簡単でした。白川武志の家は自宅から2時間ほど離れた街にあり、管理人に親戚の者だと伝え鍵を貸して貰ったんです。」
「入ったのか、部屋に。」
「はい。ワンルームで本当に殺風景な部屋でした。」
滝本は自分の部屋を思い出す。
「そこで、これを見つけたんです。」
そう言って朝田は鞄から数枚の紙を取り出す。破けている部分もあったが、滝本の部屋にも置かれていたセカンド・ライフの手引きだった。
「それでセカンド・ライフのことを知ったのか…。」
「おそらく、兄は退廃主義者だったのだと思います。」
滝本の質問を肯定するように続けた。
「だとすると、相手は手段を選ばない。君が殺される可能性だってあるんだぞ。それに、そこまでわかっているなら、警察に通報する手段だってあったはずだ。」
「SAコーポレーションは政府の特別行政機関です。民間が知りもしない機関ですし、それに対して警察が動いてくれるとは限りません。」
「そ、そうかも知れないが…。」
「そして、部屋には盗聴器が仕掛けられていました。おそらく誰かが侵入したことはバレていると思います。ですが、白川の部屋には私を断定する証拠は残してきていません。」
遥は久し振りに滝本と眼を合わす。
「つまり、まだ動けるということです。」
滝本は椅子にもたれかかった。この娘は一人でも続けるだろう。何を言っても無駄だ。
「分かったよ。君のことは分かった。だが、まだ疑問がある。」
「何でしょうか。」
「君の目的は何だ?セカンド・ライフの根絶か?もしくは世間に公にすることか?」
軽く握った手を口元に当て、遥はしばらく考え込む。
「社長の殺害。」
滝本は固まった。遥の褐色の眼が、一瞬光ったように見えた。
「冗談です。…どちらかというと、前者ですかね。」
ふぅ…と滝本は息を吐く。自分に社長であった記憶はないが、それでも威圧感を感じられた。
「…セカンド・ライフの本来の目的は何なのか。人の記憶を失くし、罪の無い者を殺害した。自殺を予防するための機関が、逆に人を殺している。その目的は何なのか私は知りたいんです。なぜ兄が命を落とさなければならなかったのかを。」
そう言って視線をテーブルの上のカップに移す。珈琲は完全に冷え切っていた。
「私の考えでは、セカンド・ライフはまだ実験段階なのだと思います。」
「どうしてそう思う?」
「不自然な箇所がいくつかあるんです。」
そう言って遥は鞄の中から資料を取り出した。滝本はその資料を受け取り、軽く眼を通す。
「自殺志願者にセカンド・ライフを施行するとすれば、相当の人数になります。その全ての施行者に盗聴器を仕掛けているものなのでしょうか?全て監視していると?」
滝本は説明会での話を思い出した。自殺志願者が減少していると言う話だったか、全ての者に施行しているとなれば確かに相当な人数になる。思えばあの資料自体、本当のデーターである根拠はない。
「それに、説明会にしても疑問があります。説明会を行なっているのはSAコーポレーションの会社内のみ。つまり、セカンド・ライフ施行者はその近辺にしかいないのではないかと思うんです。広くても関東圏内に。」
資料のひとつに関東圏内のマップがあった。数十箇所、赤い点が記入されている。
「この赤い点は、私が調べた施行者が住んでいる位置です。」
確かに都心からどこも1~2時間離れたところのようだ。
「つまり、特定の人物にのみ施行し、それを現在の段階では監視しているのではないかと思うんです。」
そこまで言って、遥は椅子にもたれた。
確かに大人数の『記憶』、いや、『人生』を消し去って問題が起きない訳が無い。
「…何故俺に協力を求めた?いや…その前に、どうやって見つけたんだ?」
「今、私はSAコーポレーションに秘書として勤務しています。」
「なんだってっ!?」
また声を上げてしまった。遥の冷たい視線を感じ、肩を落とす。
「まあ、私がSAコーポレーションに辿り着いた時には社長は入れ替わっていましたけど。」
「…あ、ああ。九条という男か。」
「そこで、前社長であったあなたがセカンド・ライフの施行者となり、記憶を無くしたという情報を得ました。」
なるほどね、と滝本は腕を組んだ。
「で、まんまと記憶を無くした元社長とコンタクトを取ったという訳か。人の背中に珈琲を溢して。」
「根に持ってます?」
「勿論だ。」
遥はやれやれといった感じで首を振る。
「俺がなぜセカンドライフを施行されたのかは情報はないのか?」
「事故とは聞いていますが、詳細は不明です。」
社長自らがなぜそんな事故に巻き込まれたのだろうか。
例の説明会の話では記憶を戻すことは不可能と言っていたが、記憶を戻すこともできないならば社長も研究材料にしてしまおうということなのか。
「では朝田さん、あんたはどうやって秘書になったんだ?」
SAコーポレーションはただの会社ではないはずだ。そう易々と入社出来るものではないだろう。
「社長である戸神が退任した際、専属の社長秘書も何らかの理由で退職したそうです。その後に秘書に選ばれたのが井川沙織という人物でした。それで、井川が会社に接触する前に私が入れ替わってSAコーポレーションに入社したんです。」
滝本は脱帽した。あまりに危険すぎる行為だが、驚くべき行動力である。
「SAコーポレーションの社員は、厚生衛生省の判断で選出されているようでした。ですので、厚生衛生省からSAコーポレーションに送られてきた資料を必要な部分だけ私の情報に摩り替えておいたんです。」
そう言って井川沙織と書かれた社員証を見せる。確かに写真は朝田遥になっていた。
「それじゃ本物の井川沙織はどうしてるんだ?」
「おそらく、会社で門前払いを受けたでしょうね。」
それは間違いなく犯罪じゃないか。という言葉をなんとか滝本は飲み込み、別の質問をした。
「…それで?本題だ。俺に何をして欲しいんだ?」
「今晩、社長に戻って頂きます。」