「説明会」
3
都心の一角にある、巨大なビル。ガラス張りでいかにも都心に合わせた造りになっている。
桐原由美は、カジュアルにジーパン、白のハイカットとジャケットという格好をしている。腕にはその服装に合わせたセカンドバックをぶら下げていた。
手には「セカンド・ライフのご説明、ご注意」という用紙が握られている。
桐原は正面玄関からビルに入ると、広々としたホールが視界に入った。正面に「インフォメーション」とフロントがある。
桐原はまずそのフロントに向かった。
「SAコーポレーション サービスセンターはここで良いですか?」
桐原はメモ用紙に走り書きした会社名を読み上げながら聞く。
「はい、当ビルの13階になります。こちら左手のエレベーターをご利用下さい。」
笑顔で答えてくれた受付にお礼を言い、エレベーターを探す。
SAコーポレーションはビルの13階から最上階の15階までを占めており、サービスセンターは13階にあるようだ。13階にに行くには直通の専用エレベーターに乗って上がるらしい。
エレベーターを待つ間、桐原は今朝の事を思い出していた。
セカンド・ライフ。
眼が覚めた時、机に置かれていた通帳や、印鑑、そしてセカンド・ライフの手引き。全て鞄の中に入れてある。殺風景な部屋が、逆に印象的だった。
心なしか、説明会に行く自分に緊張していた。しかし、何故なのかは分かっている。分かってはいるが、その気持ちは抑えられなかった。
しばらくして到着したエレベーターに桐原は乗り込む。何故かエレベーター内の照明は切っており、かなり薄暗くなっている。桐原は中に入って13階のボタンを押した。
がこんっ
扉が閉まる前に、一人の男性が入り込んできた。
「す、すいません。乗ります!」
扉に挟まれながら、男は言う。桐原は急いで開ボタンを押す。
「何階ですか?」
扉に挟まった肘を擦る男性に聞く。
「あ、13階で。」
そう言って男性は階数表示されたボタンを見る。すでに13階が押されているのを確認し、軽く会釈して隅に移動した。
見た目は40歳後半だろうか。手入れのされていない無精髭がなければもう少し若く見えそうだが。室内が薄暗く、さらにニット帽を被っていてため顔がよく見えなかった。
この男性も説明会を受けに来たのだろうか…。
桐原は横目で男性を確認しながら、エレベーターが13階に到着するのを待つ。
扉が開くと、先程の男性が手で扉を押さえてくれる。桐原は会釈し、先にエレベーターから降りる。
エレベーターホールを抜けると「Secundus Aevum Co.」という文字が打ち込まれた受付があった。やはりこの部屋も薄暗くなっている。おそらく説明会の参加者が互いの顔を認識できないための考慮だろう。
受付には二人の女性が座っており、その先は白い壁が広がっていた。
「午前中にお電話しました桐原と言います。」
受付の一人の女性にそう伝えた。先程の男性は、もう一人の受付に用件を伝えているようだった。
「伺っております。まず、IDカードをご提示願います。」
桐原はポケットからIDカードを取り出して見せると、女性はIDナンバーを確認して「こちらにどうぞ。」と立ち上がる。そのまま案内されながら、奥の部屋に通された。
「こちらでまず記入して頂きたい書式がございます。書き終えましたら提出して頂き、この奥の部屋へお進み下さい。」
手渡された書式を見ると、氏名や住所の記入欄、他にいくつかの質問が書かれていた。
桐原は近くにあった椅子に腰掛け、用意されていたボールペンを手に取る。自分の名前も書き慣れていないため、IDカードを取り出して書き写していく。
質問内容は、「朝目覚めた時、どのような気持ちでしたか?」、「どういったことに不安をお感じですか?」、「このことを誰かに相談しましたか?」、「あなたのこれからのセカンド・ライフをどうお考えですか?」といった内容だった。
中にはなかなか応えられないものもあったが、15分程で書き終え紙を提出した。
「あと10分程で説明会が始まりますので、しばらく奥の部屋でお待ち下さい。」
そう言ってさらに奥の部屋に通された。
室内は薄暗く、正面に大型のスクリーンが見える。その前に並べられたいくつかのパイプ椅子が目に映った。すでにそのパイプ椅子に座って説明会が始まるのを待っている人も数人いるようだ。
周囲を見渡して、空いている近くのパイプ椅子に腰を掛ける。
しばらくして、スクリーンの前に背広に身を包んだ一人の男性が現れた。
「皆さん、こんにちは。私、国家精神衛生サービスセンターの工藤と申します。本日は皆様にセカンド・ライフについてご説明させて頂きたいと思います。」
分厚い縁の黒眼鏡をかけており、いかにもインテリ風の男性だった。
「本日お越し頂いた方は、丁度今日からセカンド・ライフを施行されたばかりの方々です。いや、素晴らしい。通常、このサービスセンターに来られるまでに数日を要する方が多いので、皆様の行動力には感心致します。きっと素晴らしいセカンド・ライフをお過ごし頂ける筈です。」
大袈裟に手を広げてアピールをする。
桐原はこのワザとらしい振る舞いに嫌気が差した。しかし、工藤はそんなことに気付く素振りもなく説明を続ける。
「それでは、皆様が疑問に感じられている『セカンド・ライフ』とは何なのか…ということからご説明してきましょう。まずスクリーンをご覧下さい。」
部屋の照明が完全に落とされ、スクリーンには「セカンド・ライフって?」という文字が表示される。
「皆様の新しいお部屋にご用意させて頂きました案内用紙は、すでにご覧頂いていると思います。そこにも記載しておりましたが、セカンド・ライフは2005年に成立された国家精神衛生法に基づいて樹立された法案となっております。このセカンド・ライフが施行されたのは去年の2008年9月となっております。」
スクリーンには国家精神衛生法についての説明が細かく表示された。
「国家精神衛生法とは、近年増加する自殺者を防ぐために立案された法律であります。国民の精神的健康、健やかな生活を軸に考えられたものです。」
スクリーンに投影された説明の一文を読み、さらに工藤は言葉を繋げた。
「日本政府にはいくつかの国家機密機関が存在します。その中のひとつ、厚生衛生省という行政と、私達SAコーポレーションが数年前から取り組んで参りましたのがセカンド・ライフとなります。」
それまで黙って聞いていた男性の一人が手を挙げる。
「国家機密機関って、他には何があるんですか?」
「それは、お答え出来ません。」
工藤は口元に笑みをつくり、そう答える。
「まぁ。お答え出来ないというより、私も担当をしている厚生衛生省しか存じ上げないのですが。噂によると、宇宙人とコンタクトを取る機関があるとかないとか。あ、いや。喋りすぎましたね。」
おそらく冗談だったのだろうが、笑えない。
「説明を続けましょう。」
咳払いをし、工藤は話を続ける。
「国に認められた行為であることを、皆様にご理解頂きたい。まずは、ご安心下さいということです。それでは、何故このセカンド・ライフが誕生したのかをご説明していきましょう。」
スクリーンに別の表が映し出される。
「こちらは、2008年9月までに自殺を図られた方々の人数となっております。このストレスの多い社会、色んな悩みを持っている方々が多くいるのが現状です。こちらをご覧ください。1998年から自殺者の推移が上がっております。そして、そのまま減少することもなく2008年まで続いています。日本が、時代の流れとともにストレスの多い社会になっていることがお分かり頂けると思います。それ故、無意味な自殺を企図する方が増えているのです。」
桐原は「無意味な自殺」という言葉が気になったが、黙っておくことにした。
「自殺の動機をまとめたものが次項になります。ご覧の通り、自殺の動機の約半分が健康問題に関すること。続いて経済、社会問題。男女問題となっております。このように毎年、世界的に約100万人の自殺者が確認されているのです。この自殺によってもたらされる経済損失も莫大な金額となっており、何か予防することは出来ないかと議案に出されました。そこで発案されたのがセカンド・ライフということです。」
自殺の主な原因は個人や社会に内在する多くの複雑な原因によってもたらされる。単独の自殺未遂は現在の日本の刑法では刑罰に科せられることもなく、反復して自殺未遂を行う者を予防することは困難であるとされていた。専門のカウンセリングも多くの自殺者に対応しきれなかったのが現状であったと、工藤は述べる。
「つまりは、悩みのある人の記憶を消して、新しい人生を送らせると?」
今度は女性の傍聴者が付け加える。
「簡単に言えばそうですね。自殺を企図する悩みは多種多様で、いじめ、心的外傷(PTSD)、倒産による自己破産、人間不信などございますが。」
「記憶を部分的に消すことは出来なかったんですか?」
同じ女性が問いかける。
「検討は致しました。薬剤を使用して、部分的に記憶を消し去ることも可能だったのですが、中には相当量の記憶を消さなければならない方もいらっしゃいます。そして、部分的な記憶の消去ではその方の人生観、性格が変わらないため一時的な手段でしかないことが判明したのです。その点、セカンド・ライフを施行された方のデーターをご覧下さい。」
桐原は次項をめくる。
「ご覧の通り、2008年9月10日『国際自殺防止デー』に合わせて施行されたセカンド・ライフは、ここ一年を過ぎて自殺者を最小限に食い留めているのがお分かりになると思います。施行者の多くの方から、新しい生活に満足しているとコメントを頂いております。」
「では、ここに座っている私達も自殺を考えるような悩みを持っていたということですか?」
「詳しくは述べられませんが、そうなります。」
室内に沈黙が訪れる。
「家族は…、家族にはどう伝えているのですか?」
五十代中程の女性が質問する。年齢的に子供がいてもおかしくない年だ。
「それに関しては申し上げることは出来ません。しかし、それを気にすることはないのです。皆さんは新しい第二の人生を送ることになったのですから。」
そう言って女性に笑ってみせる。
「あのう…。」
続いて、気の弱そうな男性が手を挙げる。
「注意書きには、以前の記憶を取り戻そうとしてはいけないって書いていましたが…。」
「はい、ご説明致しましょう。」
そう言ってスクリーンの表示が変わる。何やらヘッドフォンの様なものにケーブルがいくつも繋がっている機械が映し出される。
「こちらが皆様のセカンド・ライフをスタートさせる機械となっております。詳しいことは企業秘密となっておりますが、この機械を使用して記憶を消去致します。消し去った記憶を取り戻すのは不可能とされておりますが、何らかのきっかけで思い出す可能性もないとは言えません。全てをご説明しようとすると医学的な回答になってしまいますが、以前の記憶が脳に負担をかけ障害をきたすことが判明しています。また、何度も申し上げている通り、セカンド・ライフは国家機密となっております。記憶を取り戻そうとする行為、施行者と他人に話す行為は退廃主義者とみなし、厳正な処分が下されます。」
「じょ、冗談じゃないっ!!」
傍聴者の男性が声を荒げて立ち上がる。
「私はそんなこと頼んだつもりはない!!退廃主義者だと!?人様の記憶を消しておいて犯罪者扱いか!?訴えてやるっ!」
そう言い放ち、用意されていたパイプ椅子を蹴飛ばして部屋から出て行こうとする。
工藤は表情も変えず、部屋を出て行く男性を眺めている。
室内のざわつきが納まるのを待ってから、工藤はゆっくりと口を開いた。
「さて、皆さん。続きはVTRにまとめてありますので、そちらをご覧下さい。」
何事もなかったように工藤はVTRの作業を進めていく。
部屋から出て行った男性を気にするも、その後スクリーンに映し出されたVTRを各々観ていた。
内容はセカンド・ライフの施行者の今後をドラマ化したものや、仕事の見つけ方などを分かりやすく説明したVTRだった。
一通り説明が終わった後、質問のある人のみ残って説明会は終了した。
桐原は居残るつもりもなく、早々に部屋を出て行った。