「セカンドライフ」
22
長かった取調べもようやく終わった。また後日、出頭しなければならないらしいが。
遥は警察署を出てからすぐに、両手を伸ばして伸びをした。
下山拓馬への容疑は、正当防衛が認められた。監視映像に拓馬が手にしているナイフが映っていたそうだ。他には、秘書になりすましていたことやハッキングなどの罪に問われるかも知れないが、今の段階では「保留」ということらしい。
世間には公にはならなかったが、セカンド・ライフの目的を悪用した厚衛省の官僚達は見事に逮捕されたそうだ。それを踏まえて遥の刑罰を科すとのこと。上手くいけば、無罪とはいかないが軽い刑で済むかも知れないと弁護士に言われた。
セカンド・ライフの施行の問題が提唱され、今は凍結状態だった。修正案を巡って政府は大忙しなのだろう。
遥は腕時計を見る。まだ、洋介の面会時間にはたっぷり時間があった。どこかで昼食を取ってから行こうかと考えながら、警察署を後にした。
洋介は一命を取り留めた。今は都内の病院に入院しているが、来月には退院出来るとのことだった。
容体が落ち着いてきた洋介から、いくつか話を聞くことができた。
厚衛省の中にはセカンド・ライフの逸脱した目的に反対する役員もいて、洋介もその一人だった。セカンド・ライフの計画が可決した際に、厚衛省の役員と面識のない洋介が溝口と名を変えて送り込まれたのだ。表向きは厚衛省とSAコーポレーションの「パイプ役」、実際は「監視役」として。しかし肝心の記憶を復元する情報は戸神たちの管轄下にあり、降りてはこなかった。洋介は戸神、九条が自分を警戒しているのを薄々と感じていた。
そこで、SAコーポレーションで入手した「セカンド・ライフの施行予定候補者リスト」に記載されていた戸神の秘書、もとい恋人の斎藤美嘉を引き込むことにしたのだ。
斎藤美嘉は戸神が自らセカンド・ライフを施行した目的については聞かされていなかったようだが、記憶の復元方法が存在することは知っていたようだ。
美嘉は洋介に記憶の復元方法を探る協力を求められたが、すぐには頷かなかった。むしろ、九条に報告するつもりでいたのだ。しかし洋介に自分の名前が記載されている「施行予定候補者リスト」を見て愕然とした。美嘉も記憶を消される施行者に選ばれていたのだ。
戸神に秘書としても、恋人としても裏切られていることを知った。
なぜ戸神は自ら記憶を無くしたのか。なぜ、恋人である自分を施行者に選んだのか。その答えを戸神に問い詰めるため、洋介に協力することを決意した。
美嘉は自らセカンド・ライフの施行者に立候補し、戸神に続き記憶を抹消された。しかし、実際に記憶を無くした訳ではない。事前に洋介より記憶を喪失する方法を聞いていたため、施行中に目を逸らし、記憶を喪失した振りをしたのだ。正確に施行されたかはデーターが残るようになっているが、そのデーター自体は洋介が改ざんしている。
美嘉はセカンド・ライフ施行後、まずは説明会に参加することにした。今までの施行者の大半が説明会に参加しており、その方が自然だったからだ。
そしてYumiとしてメッセージを残していた理由。それは記憶を失った戸神を引き込むためだった。
洋介は九条の【企み】によって戸神は記憶を喪失させられたと考えていた。記憶を無くした戸神をこちら側につけるのは、記憶の復元方法をみつけるための鍵になると思ったからである。九条に元々マークされていた洋介、そして秘書であった美嘉がは戸神に近くことはできない。
九条に気付かれず、戸神だけに自分たちの存在を気付かせる必要があったのだ。しかし、完全に記憶を失っている戸神がメッセージに気付くことは到底不可能である。そこで考えたのが、遥に戸神を誘導させることだった。
白川の殺害を知った時、その死体にブレスレットをはめたのは洋介自身だったのだ。施行者リストに自分の名前を記載したのも、遥に信じさせるためだった。遥に兄は殺されたのだと思わせるよう仕向け、セカンド・ライフの手引きを隠した。あとは遥が戸神に辿り着き、メッセージに気付いて斉藤美嘉と合流すればまさに計画通りだったのだ。
誤算だったのは下山拓馬に美嘉が殺害されたこと。計画が露呈しているのだと思った洋介は、戸神と遥と合流することを決めた。しかし、九条から「会社に機密事項を調べているネズミがいる」と連絡を受け、慌てて会社に向かったという訳だ。
それが九条の罠だと知らずに。
美嘉が暗号をローマの諺にしたのは、おそらく真っ先に戸神にこのメッセージに気付いて欲しかったのだろう。
「Si vis amari,ama.(もしあなたが愛されることを望むなら、あなたが愛しなさい。)」。
今なら、最後のメッセージが戸神に向けられていたものだと頷ける。
携帯電話のコール音が鳴る。遥は立ち止まって鞄から携帯を取り出した。
「はい、朝田です。今から?はい、お伺いします。」
指定された場所は、表通りに面するメジャーな珈琲ショップだった。
店内に入ると、店のカウンターに一人の男が珈琲を飲んでいた。
「滝本さん、お待たせしました。」
そう言って、遥は隣の席に座る。
「取調べ、終わったのか?」
「ええ、やっと。」
遥はカウンターで注文してきたブルーマウンテンを一口飲み、そう答える。
滝本は、遥の証言により「滝本耕一」として取調べを受けることになった。遥と同じく、下山拓馬・九条への容疑は正当防衛。その他の刑罰も、保留となっていた。
「君に…助けられたな。」
「助けられたのは私達も一緒です。」
手に持っていた珈琲カップを両手で支えながら、滝本を改めて見る。
「でも、どうして記憶を取り戻したにも関わらず私たちを助けてくれたんですか。」
滝本はそう言う遥を見て微笑んだ。そして珈琲カップに口をつける。
「湯澤君のブルーマウンテンの方が旨いな。」
セカンド・ライフのプログラムを作ったのは湯澤だったのだと滝本は言う。彼は本人の意思によりまだ記憶を無くしたままだが、ただのSAコーポレーションの社員ではなかったようだ。遥は滝本と同様、湯澤のことも警察では触れなかった。ハッキングという行為が自分の罪になってしまったが、それなりに湯澤には感謝していた。
「もうひとつ腑に落ちないところがあるんです。滝本さんは…、いえ、戸神はどうしてわざわざ記憶を失ったんですか?斉藤美嘉のように失った振りもできたはずなのに。」
セカンド・ライフを施行はどのパソコンでも可能だが、正確に施行できたかを解析しながら行う必要があった。解析するには網膜センサーや体温を測る器具と合わせて本来は施行する。実際に施行する時には厚衛省から機具を運び、データーを解析しながら行うものだった。
斉藤美嘉が施行した際はこのデーターを洋介が書き換え、確実に施行したものと誤魔化すことができた。もちろん、戸神と九条であれば同様の方法が行うことができたはずなのだ。
「もしかすると、俺は本当に第二の人生を送りたかったのかも知れないな。」
視線を落としながら言う滝本を見ながら、遙は心の中で首を振った。おそらくそんな理由では九条が納得しないはずだ。戸神にとって記憶を失うことにメリットがあったのか、もしくは何かの記憶を守りたかったのか…。遥は反論しようとしたがやめた。
「お兄さんは、もう大丈夫か?」
「はい、これからお見舞いに行くつもりです。」
「そうか…。私も、一度行ってもいいのかな。ちゃんと謝らなければならないと思ってね。」
滝本はずっと洋介のことを気にしていたようだ。体調のこともそうだが、滝本耕一としてこれから生きていっていいのか、それを悩んでいるようだった。
「兄も待っていると思います。」
そう言って遥は兄の入院している病院を教えた。
「これから、私は本当の意味で第二の人生を送っていくつもりだ。」
滝本は病院の住所をメモして呟いた。
「そうですね。私もそうします。」
手に持っている珈琲を飲み干して、滝本は口を開く。
「送っていくよ、近くの駅まで。」
遥の肩をぽんっと叩き、椅子から立ち上がった。
第二の人生。誰しもが憧れそうな言葉だが、白紙に戻して今を生きることは簡単なことではない。
人は全てを失うことは出来ない。必ず、誰かの心に記憶されているものなのだ。
「まだ疑問に思っていることがあるんです。」
店を出た遥が言う。
「セカンド・ライフの情報は、Second Lifeの付加サービスにはありませんでした。では、一体どこに隠したのでしょうか?」
滝本はポケットに手を入れ、「記憶の中じゃないか?」と答えた。
視線を落とした滝本のポケットの中で、折りたたみ式のナイフが握られていた。
完