「裏切り者」
20
滝本の運転する車に乗り、遥が拓馬から得た情報を話しながら会社に向かっていた。
下山拓馬が退廃主義者の桐原の他に2名殺害していたこと。それと、下山は他にも気になることを言っていたという。
下山は遥に仲間がいるということに気付いていた。下山がそれに気付いたのは、遥の自宅に侵入した時、部屋にあるコルクボードの写真を見てだそうだ。
しかし、生憎滝本は遥と写真に写ったことなどない。コルクボードに張ってあったのは大学時代の友人や、旅行した時の写真、幼い頃の自分の写真などだそうだ。その友人の中に、SAコーポレーションに関わりのありそうな者はいないと遥は言う。下山の思い過ごしなのかも知れないが。
SAコーポレーションのビルに到着したのは、時計の針が真夜中の1時を過ぎた頃だった。
駐車場に車を停め、夜間専用出入り口に向かう。正面玄関は夜間だと閉めてあるのだ。
駐車場から通路を通ると、夜間専用出入り口の前に警備員室があり、常時2人体制で警備している。
「お疲れ様。ちょっと仕事を思い出したんでね。入るよ。」
滝本は警備員室を覗きこんだ。一人の警備員に許可を取り、ビルへと入る。
以前侵入した時の裏口はしっかり閉まっているため、そこからは入れなかった。どちらにしろ、湯澤がいないので監視カメラを掻い潜ることは出来ない。
滝本と遥はエレベーターで14階を目指し、CPU室のあるフロアに入る。
下山のパソコンは第一CPU室にあり、遥に案内されながら向かう。
「これが下山のパソコンです。」
そう言って遥はパソコンを起動させる。同時に隣のパソコンも起動させた。
遥は二つのパソコンのキーボードを叩いて、Second Lifeのログイン画面を表示させた。
「Second Lifeへようこそ!」という文字が流れている。
下山のパソコンでまずマウスのポインターをアカウント名というところに持ってくる。そこをクリックすると、いくつかの●が入力された。
「パソコンにはパスワードを記憶させておくことが出来るんです。自分のパソコンであれば、毎回入力するのは面倒なので、記憶させておけばワンクリックで表示出来るようになってるんです。下山の警戒心が緩くて助かりました。」
そう言いながら、ログインする。画面には下山のアバターが映し出された。アバターの頭上には、「Messenger」と名前が表示されている。
同じように遥のアバターもログインさせる。テンキーを使って拓馬のアバターを移動させて遥の日記帳を開かせる。
「これで、足跡が付きました。」
「後はその足跡を見ればいいんだな?」
そう言う滝本に、遥は「ちょっと待って下さい。」と制する。
「下山の言うことが本当であれば、この先を覗けば記憶が失われてしまいます。」
「分かってる。だから、これは私一人で見る。」
下山のデスクに座る遥を立たせ、代わりに滝本が座った。
「私が映し出されたものを君に伝えながら見ていこう。」
「初めから…そのつもりだったんですか?」
「私は一度記憶を失っているからね。もう失うものはない。」
そう言って滝本は笑ってみせる。
「別に映画のヒーローになったつもりはない。これは私自身が始めたことだからな。」
滝本は遥を画面の見えないところに促す。あの褐色の瞳が心配そうに見つめている。
だが、どちらかがやるしかないのだ。
「さて、始めるぞ。」
そう言って滝本はマウスをクリックした。
「…黒い画面になった。それ以外…何も起こらないな。……いや、待て。薄らと黒い画面に濃淡がある様な気がする。…微妙だが、その濃淡の淡い部分に文字が見えてきた。…一見、パソコンが壊れたかのように感じるな…。その文字は…くそっ、読めない。見えるが、読みづらい。」
見たままを伝える。小さなものも見逃さないように、確実に遥に伝えなければならない。
滝本は頭がぼーとしてくるのを感じる。酒に酔ったような、陶酔していく心地良さを感じる。その感覚も、口に出して言葉にする。段々と、瞼が重くなってきた。もう、眼を開けることが困難だった。
「滝本さんっ!!!」
遥は滝本の傍に寄り、ディスプレイに向けられていた顔を自分に引き寄せた。
「しっかりして下さい、滝本さんっ!!」
滝本は眼も口も半開きの状態で遥のことを見ている。だが、視線が合っていない。遥が見えていない様な気がする。
「滝本さんっ!!」
遥は掌で滝本の頬を叩く。何度か同じように頬を叩き、今度は揺さぶりながら声を掛け続ける。
「た…すぎだ…。」
ぼそりと滝本が呟いた。
「滝…本さん?」
力の抜けた滝本の体を支えながら、遥は細い眉毛を折り曲げていた。
「…叩き過ぎだ、朝田さん…。」
叩かれていた頬を自分の手で擦り、滝本は言う。
「朝田って…覚えてるのね!?忘れてないのね、滝本さん!?」
「…ああ、大丈夫のようだ。」
そう言って、体を支えてくれていた遥の手を解く。
「良かった…。」
遥は微かに滲んだ眼を擦って微笑む。
その時、手を叩く音が室内に響いた。遥は音のする方に視線を向ける。
「いやあ、無茶をしますね。お二人は。」
開いたドアに寄り掛かって手を叩いている男が視界に入った。
「九条副社長…!?」
「ちょっと感動しましたよ。」
独特の笑みを溢し、九条は言う。
「意外な組み合わせでしたね。」
手を叩くのを止め、背広のポケットに手を入れる。
「ゆっくりお話ししたいので、場所を移動しましょうか?」
九条はそう言ってポケットから取り出したものを二人に向けた。手に握られていたのは、黒光りする小型の拳銃だった。
15階の屋上からは、眼下に広がるネオン街が見渡せた。そこはイルミネーションに彩られた街を見下ろすには最高の場所だった。しかし、今はそんな景色に感動している気にはなれない。
拳銃を突きつけられたまま、滝本と遥は屋上に連れ出されていた。
「ここ、お気に入りの場所なんですよ。素晴らしい景色でしょう?」
九条はそう言って街並みを見渡した。
「ですが、いくら明かりを灯したところで夜の帳を支配することは出来ない。暗闇を支配することは出来ないんですよ、あなた方のようにね。」
月明かりに照らされた九条の口元が笑みを作る。
「おや、どうしてバレていたのか不思議そうな顔をしていますね。」
九条は二人に視線を戻して言った。
「戸神社長が記憶を戻していなかったのは、初めから分かっていました。」
「なんですって…!?」
「社長は私のことを【九条君】とは言わないんだよ。」
眉間に皺を寄せる遥を見ながら含み笑いをする。
「…初めから分かっていたのに、どうして何もしなかったの…。」
屋上に吹く風に髪が流され、それを九条は片手で掻きあげる。
「社長一人で会社に戻ることはない。共犯者がいると思うのが自然でしょう?」
そう言って遥に銃口を向ける。
「社長秘書の君がその共犯者だったとは想定外だった。秘書の雇用情報をもいじるとは脱帽しましたよ。それに、まさか記憶が戻った振りをして戸神社長を連れて来るとはね。あまりに大胆だ。」
ビルの屋上の出入り口の前に九条、その先に滝本と遥が立っている。時折ビルの間を風が通る音が響く。
「あの男にそっくりだな。」
そう言って滝本達の後ろを指し示す様に拳銃を横に振る。遥は九条を視界に入れながら、ゆっくりと後ろを振り向いた。ビルの貯水タンクの陰に一人の男が倒れていた。
「溝口専務、彼にね。」
九条が溝口専務と言った男は、うつ伏せに倒れていて背広は赤黒い染みで汚れていた。滝本が近付き、その男を仰向けにする。
遥はその男の顔を見て、愕然とした。
「に…兄さん…?」
滝本がびっくりしたように遥を見る。
「兄さん…?どうして…、どうしてっ!?」
溝口に駆け寄り、滝本の代わりに抱きかかえる。間違いなく、死んだはずの兄だった。
「彼は、君と同じように専務として会社に潜入していたんだよ。」
辛うじて息をしている溝口は、苦痛に顔を歪めていた。
「君の兄だったというのは驚きだったが、今なら合点が行く。よく似た兄妹だ。」
遥は溝口の腹部から出血している箇所をみつけ、圧迫して出血を抑えようとする。
下山拓馬が遥の家で見たコルクボードに写っていた人物、それは兄の洋介だったのだ。
溝口が薄らと眼を開けた。口を動かしているが、何を言っているのか聞き取れない。
「厚衛省、それが彼の本来の配属先だ。」
遥は驚いた。思わず抱きかかえている兄を見る。
「彼はセカンド・ライフを施行された者が記憶を取り戻す方法を探していたんですよ、何食わぬ顔で専務になりすましてね。ただ、どうしても辿り着かなかった。私が先ほど教えてあげるまではね。」
溝口はそう言う九条を睨みながら遥の肩を掴み、口の端から血を溢しながら言葉を発した。
「に…げ…ろっ…。」
「あなたはお気付きですか、記憶を取り戻す方法を。」
遥がそのことを知らないと分かっているのだろう。九条はからかう様に、敢えて濁して言う。
「記憶を取り戻すにはね、【もう一度セカンド・ライフを施行】すればいいんですよ。」
九条の言葉が体に電気が走ったように伝わる。遥は隣に立ち尽くしている滝本に視線を移し、ゆっくりとその視線をあげていった。
滝本は…笑っていた。
「滝本…さん?」
「これが、真実だ。」
滝本はそう言って九条の方に歩いていく。そして、遥を見据えて滝本は口を開いた。
「…悪いね、朝田君。さぞかし、悪夢だろう。」
九条からもうひとつの拳銃を受け取り、滝本は遥の方を振り返る。
「なんならこの悪夢をセカンド・ライフで消してやっても構わないが?」
「滝本さん…、どういうことですか…?」
「ここまで私を届けてくれた君には感謝しているよ。」
そう言ってゆっくりと頭を下げた。横にいる九条が口を開いた。
「君が抱きかかえているその男は、厚衛省の職員だった。セカンド・ライフの創設に携わっていたんだよ。」
溝口は出血する腹部を抑えながら、体を起こす。おそらく九条に撃たれているのだろう。すでにシャツは血で染まっていた。
「元々セカンド・ライフは人の記憶の一部分を消すためのものだった。心的外傷などのトラウマを消すための手段として開発された、科学を使った治療法だったんだ。しかし、厚衛省の方からセカンド・ライフの【別の使い道】を持ちかけられてね。戸神社長と私はその話しに乗ったのさ。」
さらに九条は話を続ける。
「人の弱さ、心の傷は持っているだけ無駄なもの。いらないんだよ、そんな感情や痛みは。一部分だけの記憶を消したところで、本質は変わらない。ならば全て抹消してやればいい。人格そのもの、家族や恋人といった周囲の足かせも全てね。そして新たに教育し直せばいいのさ。そのための機関としてこの計画は機能していくべきなんだ。それに反対だったんだろう?溝口専務…、いや…厚衛省の朝田洋介君。」
九条に銃口を向けられ、朝田洋介は歯を食い縛りながら立ち上がった。
「厚衛省には本来の朝田洋介とし、SAコーポレーションでは溝口専務として出入りしていたという訳さ。裏切り者としてね。」
遥は立ち上がる洋介を支えながら、九条の話す内容に耳を傾けていた。
戸神と九条は、セカンド・ライフに関するデーターや情報に何者かが不正アクセスしていることに気付いた。
おそらく狙いはセカンド・ライフで失った記憶を復元する方法。記憶の復元方法については機密事項となっており、そのことを知っているのは戸神と九条、厚衛省の表に顔の出ることのない役員たち。そしてそのプログラムを開発した男だけだった。
記憶の復元方法が出回れば、本来のセカンド・ライフの計画自体が崩壊する。
会社に侵入している者が誰なのかあらゆる手を打って見つけようとしたがなかなか尻尾を掴ませなかった。そこで戸神は自らの記憶を失い、ネズミをおびき出すことにした。社長自ら記憶を失えば、必ず不審な動きをする者が近付いてくると考えたのだ。
戸神はその計画を副社長の九条と考え、実行に移した。
実行方法はこうだ。
まず、記憶を取り戻す方法を知っているプログラマーにセカンド・ライフを施行させ、記憶を抹消。万一、そこから情報が漏れることを防ぐためだ。
そして、厚衛省の役員にセカンド・ライフを施行する場面をプレゼンテーションする必要があると企画を持ち込んだ。
プレゼン参加者は戸神と九条、溝口専務に秘書の斉藤美嘉、厚衛省の役員を集めて行い、記憶の消去する実践方法のデモンストレーションを行った。しかし、自ら被験者に志願した戸神の記憶はデモンストレーションの予定だったにも関わらず誤って消えてしまう。すぐに記憶を復元しようと厚衛省が慌てるが、九条がそれを拒否をする。記憶の復元はご法度。通常の被験者として経過観察をするべきだと持ちかけた。そして社長が記憶を失ったこと、記憶の復元は不可能という情報を周囲に流した。
しかし記憶の復元方法は実在する。それを知っているからこそ嗅ぎ回っているネズミがいるのだ。必ず記憶を失った戸神に近づいて来る者が現れるはずだ。ならばその戸神を利用して会社に近づいて来る侵入者を捕まえればいい。これが戸神と九条の筋書きだった。
しかしすぐに動きがあったのは、戸神の恋人であった美嘉の行動だった。記憶を失った戸神を見て、真実を知らない美嘉は自らセカンド・ライフの施行を望んだのだ。想定外の出来事だったが、研究対象が増えるに越したことはないため施行することにした。まさか退廃行為を行うとは思いもよらなかったが。
「記憶を失った戸神社長に近付いてきたのがまさか厚衛省職員の妹の方だったとは…良くできた話だとは思いませんか。」
九条は鼻で笑い飛ばし、呆れた顔をする。
「まあ、おかげで君のお兄さんがようやく尻尾を掴ませてくれましたけどね。」
洋介が記憶を失った戸神にすぐに近付かなかったのは、九条の罠である可能性があり危険だと思ったからだった。
しかし、遥たちが一度会社に侵入した時、洋介は会社で滝本と鉢合わせしそうになった。あれは、洋介が自ら専務室に盗聴器を仕掛けていたのだという。盗聴していた会話を聞いて、戸神に記憶が戻っていないことに気付いた。それで、コンタクトを取ろうと会社に戻ってきたのだという。
「このSAコーポレーションに設置されている監視カメラは、警備員室にあるものだけではなくて、別にも設置されているんだ。」
そう言って、九条はポケットから携帯電話を取り出した。
「その監視映像は、この携帯電話に送られてくる。リアルタイムで見ることが出来るんだよ。」
九条が携帯電話を操作すると、滝本と遥がCPU室に向かうところが映し出された。
「君たちが会社に侵入した時、後を追う様に溝口が入ってきたのを見て確信したよ。犯人は二組いるってね。」
九条は銃を構えながら、数歩前に出る。
「一人一人始末することも出来たんだが、まとめて始末した方が手っ取り早いだろ。ここに戻って来させるために、下山拓馬を泳がしておいたのさ。」
さらに数歩、遥達に近寄っていく。
「そして君たちが堂々と会社に入ってくる映像が届いて、すぐに溝口社長を屋上に呼び出したんだ。セカンド・ライフの情報を集めている犯人がいると話したら、焦って飛んできたよ。」
遥は下唇を噛み締め、洋介をかばう様に前に立った。
「私たちを殺したとしても、必ずまた退廃主義者が出る!あなたたちの考えていることは間違っているわ!人の人生を簡単になかったものにしないで!そのために人を殺すあなたたちに未来はないわ!」
「ご忠告どうも。」
九条は遥の数メートルのところで止まった。
「君がどうやってこのSAコーポレーションに辿り着いたかという武勇伝は、後でゆっくり戸神社長と話すことにしよう。」
九条は拳銃のハンマーを引いて遥に向けた。遥は銃口から視線を背けて眼を瞑る。
「悪いが、君達に【第二の人生】はない。」
冷え切った夜空に、乾いた銃声が響いた。
周囲には、反響した銃声音が続いている。
耳鳴りが酷かったが、遥はゆっくりと目を開けた。目の前には、九条がうつ伏せになって倒れていた。
「…本当の裏切り者は、私かも知れないな…。」
滝本の拳銃の銃口から、煙が立ち昇っていた。