「下山拓馬」
9
「いいよなあ、拓馬は。」
言いながら良太はパンにかじりつく。
丁度時計の針は12時半を差していた。
会社のCPU室は飲食厳禁のため、ほとんどの社員は定食屋に行くか、カフェで昼食を済ます。拓馬はあの混雑が嫌いで、決まって近くの公園でコンビニ弁当を食べている。いつしか良太も同じようにコンビニ飯になっていた。
「井川って言うのか、その秘書。」
「ああ。」
頷きながら、拓馬はペットボトルのお茶を飲む。
「俺なんてあの後、横山に説教くらってただけだぜ。」
肩を落としながら良太は溜息をつく。
そんな良太を見ながら、拓馬は思い出していた。
戸神社長か。初めて見た。
これまでに会社案内などで顔写真を見たことはあったが、顔を合わしたのは初めてだった。
正直、会うことは避けていた。会ってしまったら、今まで自分がしてきたことが現実味を帯びてしまう気がしたからだ。
拓馬は掌を広げて見つめる。
下山拓馬は、3年前に電子計算機損壊等業務妨害罪によって逮捕された。
電子計算機損壊等業務妨害罪とは刑法第234の2条であり、「人の業務に使用する電子計算機若しくはその用に供する電磁的記録を損壊し、若しくは人の業務に使用する電子計算機に虚偽の情報若しくは不正な指令を与え、又はその他の方法により、電子計算機に使用目的に沿うべき動作をさせず、又は使用目的に反する動作をさせて、人の業務を妨害した者は、5年以下の懲役又は100万円以下の罰金に処する。」という法律である。
簡単に言えばコンピューターやそのデーターを破壊して業務を妨害したり、コンピューターに不正な指令を与えて業務を妨害することで罰せられる刑法である。
いわゆるコンピューターのハッキングを行い、拓馬は逮捕されたのだ。
しかし、留置所で受けたのは警察の取り調べではなかった。厚衛省という聞いたことのない行政から来た男に、処罰を免除する代わりに働いて欲しいと申し出をされた。拓馬は断る理由もなく、二つ返事でOKした。それで配属したのがSAコーポレーションだった。
表向きにはSecond LifeというSNSを運営する会社だが、本来は違った。実際の人間に記憶を消去し、第二の人生を送らせることが目的だという。
拓馬の仕事はSNSのシステム構築の傍らで、記憶を喪失させるためのシステム開発に携わることだった。表沙汰にならない職種、仕事があることをここで初めて知った。
無意味な死を抑制し、社会の生産性、経済性を構築していく新しい手段は、ある意味革命と思える。その職務に携われていたことを誇りに思っていた。それを否定する退廃主義者が拓馬には理解出来なかった。
拓馬は隣に座ってパンに被りつく良太を見て、思う。
俺はお前とは違うんだ。
毎日パソコンを前にして安月給で働いている訳じゃない。神に与えられた、特別な仕事に就いているのだと。
拓馬は今まで、会ったことのない戸神を教祖、もしくは神に重ねていた。
神の采配が振られれば、何も惜しむことなく従える。それがどんな命令だろうと。
しかし、自分の中で神に重ねていた戸神が目の前に現れたのだ。
初めは戸惑いと緊張が拓馬の心を支配していたが、次第にそれは安心感へと変わっていった。
これは「仮想空間」ではなく、「現実」だ。
現実に神はいる。
拓馬は開いた掌を握った。
「なあ、拓馬。人の話聞いてんのか?」
昼飯を食べ終わった良太は不満そうに口を開く。
「聞いてるよ。」
そう言って耳をほじる仕草をする。
「だからさ、最近変なアバターがいるんだよ。」
「おかしなユーザーは沢山いるだろ。荒らしなら登録削除しちゃえよ。」
「そうなんだけどさ。結構そのアバターが他のユーザーに興味持たれてんだよな。」
良太が言うには、そのアバターは意味不明の言葉を並べているだけらしい。初めは他のユーザーも無視していたらしいが、最近では積極的にそのアバターにコミュニケーションを取るユーザーが増えてきたのだと言う。
「Second Lifeで宗教が出来た感じ。」
「その方が現実味が出ていいんじゃないか?」
どこの宗教も初めはそんなものだろう。教祖の価値っていうのは、教祖自身が作り出すものではない。周りの者がその価値を見出して従っていくものだ。それによって、教祖が存在し続けていられる。自分も、戸神という神の存在価値を見出している。
「まぁな。」
そう言って良太は頷く。
「やべ。そろそろ戻らねぇと。」
時刻は12時50分を過ぎていた。