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娘 珠美の章

 私が19歳の誕生日を迎える半年ほど前、突然、父がヨーロッパ旅行をしようと言ってきた。いや半年も先の旅行のことを言っているので突然ではない。父がずっと待っていた旅行なのだ。きっと長年。

「え! ヨーロッパ旅行? 本当? お父さん」

「そうだよ珠美。ヨーロッパだ。ハンガリーに行くんだよ。パパとママが初めて会った場所だ」

「すごーい」

 私はそのときとても喜んだ。私がものごころついた時には母はすでにこの世にいなかった。母は私を産んですぐに死んでしまったという。父はひとりで私を育ててくれた。それはとても大変だったと思う。特に私が子供の頃は。


 アルバムの中の私は大体ひとりで写っている。それは父がいつもカメラを持っていて、私しか被写体がいないからだ。

残っているアルバムの中で最も古いアルバムの最初のページには母がいる。私の知らない母の笑顔。その写真がほんの5枚ほど。私の母に関する記憶はこの写真だけと言っていい。あとは父から聞いた話とそこから想像する母親像だけだ。写真はすべてハンガリーのブダペストで撮影されたものだった。母方の家にはももちろん他の写真もあっただろうが、父はそれをもらわなかった。父は父自身が知っている母が写るこのハンガリーの写真だけを大事にしてきた。

 父はその写真のことを、いやその旅行のことを何度も何度も子供の私に話してくれた。さすがに子供の頃に何百回も同じ話しを聞いたので、今でこそもう聞くことはないが、小さい頃はこの写真を見ながら母の話を聞くのが楽しくて仕方がなかった。

 5枚の写真のうち一枚だけ父と母の二人が映っていた。きけばブダペストにあるマーチャーシュ教会ということろで結婚式があり、結婚式場に来ていた人たちと一緒に写っている写真ということだった。写真の中央には新郎と新婦らしき人が写っている。とても広角で撮影されていたので父や母は沢山の人に埋もれて小さく映っていた。

 父はいつもこの写真を見て言った。

「珠美、パパはママとこの教会の近くで出会ったんだよ。この写真は出会ってすぐの写真だ。ほらねママ綺麗だろ」

 そういわれても写真に写っている母はとても小さいので、顔はよく見えない。しかし写真に写る美しい教会は明らかに日本のものではなかった。そう、古めかしいけど荘厳な佇まいを持つ建物。今でこそ、その建物がブダペストのマーチャーシュ教会だと知っているが、子供の頃は世界には綺麗な建物があるもんだとしか考えなかった。しかもそこに父と母が礼服を着た彫りの深い白人達と一緒に写っている。それがとても不思議な感じがした。日本ではない国。日本人ではない人、日本語とは違う言葉を話す民族。父は懸命に話すが、家の周りの小さい世界しか知らない子供の頃の私には想像すらできなかった。ただ、写真の中に父がいるということで、少しだけこのブタペストという街が身近に感じられた気がする。今の自分はその地で生を受けたということも理解できる。だから私にとってもブダペストは特別な街なのだ。父がブダペストに連れて行ってくれるといったとき、やっと行けるんだと思った。幼い時から父に話をきいていた夢にまで見た街ブダペスト。そこへついに訪れることができると。

「ねえ、パパ、ハンガリーってどういう国なの?」

 私はそう何度も何度も父にきいた。物心ついたときから何度も何度も。

「パパにとってはね、あの国は第二の故郷なんだよ。日本が第一の故郷でハンガリーが第二の故郷。パパはあの国が大好きなんだ。ママと会えたしね」

 そう聞いたのは確か私が小学校に入った頃だった。

「でもね、大嫌いな国でもある。ママと別れた国だからね。パパの中にあるママとの思い出はあの国、あの街しかない。ママとブタペストの街を旅したことを、その後何度も何度も夢に見たよ。夢の途中までは最高の思い出だ。でも・・」

「でも・・?」

 父は小学校に入ったばかりの私に対しても、いつもきちんとした言葉で話していた。だから私も自然に大人びた話し方が身についていたと思う。母がいなかったことで、いつも早く大人にならなきゃ、と思っていた気がする。

「最後はいつも悲しい別れが待っている。しかもその後永遠に会えなくなるんだよ。ママに。朝起きてこれほどつらいことはない。そういうときパパは何をすると思う?」

「なにするの?」

「珠美のおでこにキスをするのさ」

「小さくてかわいい、パパの宝物」

「そうすると悲しい夢を忘れて元気に一日働けるんだよ。そうして毎朝起きているんだ」

「だからハンガリーは大好きな国でもあり、同時に大嫌いな国でもある」

「ふーん」

「パパ、またハンガリーに行きたい?」

「うん、そうだな・・行きたい。けど・・」

「けど・・?」

「けど、今はいいや。ちょっと悲しいかな。怖くもある。だって夢に出てくる街だよ。うなされる時もあるんだ。だからまだいい」

 父はそう言っていた。大好きな国でもあり嫌いな国でもあると。子供の頃はその気持がよく分からなかった。好きなのに嫌い?なんだそりゃ?と思っていた。でも思春期の頃、その気持がなんとなくわかるようになった。

 それがわかる気になったのは、私が初めて好きな人に告白しフラれた時だったと思う。高校1年の時だ。私はその人が好きで好きでたまらなかった。彼の名前は智也といった。菊池智也。1学年年上の先輩だ。よくマンガの主人公にいるような、スポーツ万能で成績も優秀な優等生の先輩。しかも背が高くかっこよかった。もちろん人気があり菊池先輩を好きな娘は大勢いた。

 わたしもその中の一人だった。高校1年の終業式の後、学校が終わる時間に校門で待ち伏せした。先輩は友達と一緒に校門に来て、そこでラブレターを渡した。勇気を出して震える手で。先輩は友達と一緒だったけど私は気にしなかった。もちろんすごく恥ずかしかった。だけどそんなの気にならないぐらい好きだったんだと思う。というか、誰かを死ぬほど好きになったという自分自身に酔っていたのかな。今考えると。よくある青春の1ページだ。

 だけど、まあ、結局フラれた。とてもあっさりと。返事はその日の晩、携帯で聞いた。私は手紙に携帯電話の番号を入れていたからだ。内容は「手紙ありがとう。でもごめん。俺、好きな娘がいるから君とはつきあえない」というはっきりしたものだった。

 電話を切ってから私はしばらくぼーとしてた。多分3時間ぐらい意識がなかった気がする。お父さんが家に帰ってきて、飯にしようと行ってきた時に我に返り、その日は私がご飯当番だったので、ご飯を作っていなくて怒られた記憶がある。

 とてもあっさり、はっきりとフッてくれた菊池先輩。あまりにもすぐに美しくフラレたので、ふと気が付くと何で菊池先輩があんなに好きだったのか分からなくなった。確かにかっこよくて、頭も良くて、背が高くていいところばかりだけど、彼にとって私は特別な存在ではなかった。他に好きな人がいると言った。そりゃそうだ。よく考えればろくに話もしていないのに好きになってくれる訳がない。そして私もなんであんなに舞い上がっていたんだろうかと、不思議に思ったものだ。本当に好きだったのか?大して好きじゃなかったのか?はたまたもしかして嫌いかも?ハテナが沢山続く。でも結局先輩が卒業するまで、もう1年間、先輩を意識してたな。

 先輩の卒業式には手紙を送った。まあ内容はこれからも頑張ってください的なものだ。自分自身の青春のけじめのようなものだと心の中では整理している。

 父に相談しようにも高校生の娘の恋愛事など相談できるはずもない。父は根掘り葉掘り聞いてきたし、今でも事ある毎に異性関係のことを聞いてくるが、私は無視はしないまでも適当に受け流している。年頃の娘なので心配するのはわかるが、いい加減ご飯の度に似たような質問をしてくるのはやめてほしいと思う。父ひとり、娘ひとりの食事なので息がつまることもあるのだ。こっちは多感な時期なのだから。

「おい、珠美、そろそろバレンタインデーだけど誰かにチョコあげるのか?」

「んー? やだお父さん、そんな人いないよ」

「まあ、お父さんには買ってあげてもいいかな?」

「そうか? わるいな」

「だってお父さん孤独でしょ? ママいないし、最近は職場だって義理チョコもくれないんでしょ」

「いっこももらえないなんてかわいそうじゃん」

 父との食事はいつもばたばたしている。父は食事の用意を台所から食卓へ運びながらわたしと会話する。わたしもご飯を茶碗によそい、味噌汁をついで食卓まではこぶのを手伝う。これは小学生のときからの私の担当だ。

「チョコか。確かに最近は職場でも義理チョコを配らなくなった」

「パパはいいことだと思うよ。だってなぜ半強制的に特に好意を持っていない人にプレゼントをあげないといけないんだい?」

「これは男性にも女性にも言えることだ。パパは一切賛成できないね」

「同僚とはいいつつも感情は様々だ。仕事に関係のないことまで強要するのは反対だ」

「このような慣習がハラスメントを助長する。セクハラとかパワハラとかね」

「職場の飲み会に強制的に参加させるなんてのは最悪だ。家族の時間を取られるからね」

 父は昔からそういう考え方だった。特にうちは父子家庭という特殊な環境だったので、父は夜の会合については気を使っていた。そう私に対してだ。

 私が小さい時には父が遅くに帰ってきたという記憶が無い。もちろん小さい子供をひとりにしておけないので、私が保育園のときは延長保育をして対応していたようだ。しかし父は他の延長保育で一緒だった友達の誰よりも早く迎えに来た。

「ああー、今日も珠美ちゃんのお父さんが一番ね」

 そうやって保育士の先生がいつも言っていたのを今でも覚えている。

 小学校の時も学童保育に行っていたが、父は毎日同じ時間に迎えに来た。残業は一切していなかったのだろう。


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