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プロローグ

「ねえ、お父さん、これがドナウ川だよね」

「そうだよ」

「お母さんとの思い出の場所なんでしょ」

「そうだね。お母さんとの唯一の思い出の場所だからね。そう唯一の・・・。だからとても大切な場所だ」

 ぼくは心地よい風が吹く青空を見上げながらそう答えた。一組の野鳥のカップルが仲睦まじく空中を駆けている。ムクドリのようだが日本とは色合いが違うようだ。珠美もぼくが見ている方角の空を見つめていた。ぼくはあの時もこんな素敵な空だったことを思い出した。

「お母さんもここにきてるかな」

 明るい調子で珠美が尋ねてきた。

「そりゃ来てるよ。家族旅行だもの。今回が二度目のハンガリー旅行だ。ただ一度目は珠美が生を受けた瞬間の時だがね」

 おどける僕を見て珠美もクスリと笑った。

「こうやってまたこの場所にこれて、父さんはうれしい。本当に・・」

「お母さん、喜んるよね。きっと」

 ぼくたちはブダ地区の王宮近くにある高台に来ていた。遠くで教会の鐘が鳴っているのが聞こえる。対岸はペスト地区でぼくが若い頃に住んでいた街だ。あのマンションはまだあるんだろうか、そんな事を考えなからかつて見慣れたペストの街並みを眺めていた。

 正面にはハンガリーの国会議事堂がドナウ川の川辺に堂々と建っている。ゴシック建築のその建物は誰もの心を魅了する美しい佇まいを見せていた。川の水面にその建物が映り込みその美しさを更に際立たせている。


「ねえ、お父さん、この街でお母さんと出会ったんでしょ。どんなふうに出会ったのか聞かせてよ。この場所にも来たの?」

「そうだよ。というかここがお母さんと初めて会った場所だ。もう20年も昔になる。20年前のちょうど今日、僕たちは出会ったんだ。今まさに二人で立っているこの場所でね」

 珠美は興味津々でぼくの話をきいている。彼女は今年で19だ。親の贔屓目かもしれないが美しく成長した。きみにとても似てきた。そうこのブダペストの街を巡ったときのあの頃のきみに。

 今日ここに来たのもきみと過ごしたあの大切な時間を珠美と共有したかったからだ。それがこの旅の目的だ。20年という節目のこの日に、きみと歩いたこの街をどうしても珠美に見せたかった。僕達が過ごしたのはたった二日だったけど今でも宝物だ。君は珠美を残してくれた。僕らの最愛の娘だ。きみにはとても感謝している。ぼくはきみが託してくれた珠美だけを支えにこれまで生きてきた。

 きみはもう天国にいたから知らないだろうけど男手ひとつで乳飲み子を育てるのは大変だったんだよ。ああ、知らないことはないか。天国からずっと見守っていてくれたんだからね。ぼくのちぐはぐは子育てもずっと笑って見ていたんだろうね。でもいろいろな人の助けを借りて珠美はこんなにも成長したよ。喧嘩ばかりしている毎日だけど元気で素直ないい娘に育ったと思うよ。きみは合格点をくれるかな。


「知世。きみに会いたい」


 ぼくは知らない間につぶやいていた。目頭が熱くなっているのが自分でもわかった。目からあふれた涙が頬を伝ってこぼれ落ちる。ぼくはあわててハンカチでぬぐった。

「いやだ。お父さん、泣いてるの?」

 ぼくは「そんなことはない」と虚勢を張って慌てて歩き始めた。ぼくはこの上ない幸せを感じていた。思わず口元がほころぶ。

「待ってよお父さん」

 珠美がぼくにかけよってくる。ぼくたちは漁夫の砦からマーチャーシュ教会に向かって歩いていった。



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