説得妹、入り浸る
妹と恋人になってから、一週間後の土曜日。
美春の言ったとおり、元から仲の良い兄妹であった俺達の生活は大きく変わる事はなく、当然周囲から怪しまれる様な事もない。
一応の変化として、これまでは高校へは偶に一緒に行く位だったのを、毎日一緒に登校する様になったが、少なくとも友達の少ない俺には、周囲の反応は伝わってこなかった。
兄妹で付き合うという、世間一般的には大層な重大事の当事者としては、肩透かしというか、少しほっとした心境である。
そんな訳で、概ね何も問題のない兄妹兼恋人生活を送ってはいるのだけれど、
「いやお前、入り浸り過ぎじゃね?」
「え?」
ツッコミに対して、美春はきょとんとした様子で首を傾げた。
ベッドに横向きに寝転がり、はみ出した足を床に着けている俺に対して、ベッドの上に座って壁に背中を預けている美春は此方を見下ろす形になっている。
「いやだから、家事をやってる時以外常に俺の部屋に美春がいる気がするんだけど、自分の部屋帰ってるか?」
「大袈裟だって兄さん。寝る時とか、なにか取りに行く時にはちゃんと戻ってるでしょ?」
「本当にそのタイミング以外ずっといるじゃん」
そう、説き伏せられ、付き合い始めたあの日から、美春は自分の部屋を勘違いしてるのではないかと疑う程に、俺の部屋を訪れていた。
理由は一応聞いている。一緒に登校するようになったのと同じ理由だ。
『恋人になったと言っても、私達は兄妹だし、お試しだし、手を繋いでデートしたり、キスをしたりはやっぱり難しいでしょ?頬にキス位ならまだしも』
欧米式のコミュニケーションは陰キャには厳しい為、最後の一言には頷きかねたが、要は制約が厳しい中で、少しでも付き合う前との変化を付ける手段として、単純に共に過ごす時間を増やしたいという事らしかった。
それにしたって入り浸り過ぎだと思うが。
「はい、兄さん」
「ん、さんきゅ」
読み終わった漫画の次の巻を差し出され、受け取る。部屋の中央にある机には、お茶とお菓子が用意され、毎度エスパーじみたタイミングで美春からそれらを手渡される。
至れり尽くせり、なんの不満も有りはしないが、このままでは陰キャで怠惰を地で行く駄目人間っぷりに磨きがかかってしまいそうだ。
「もしどうしても邪魔で、これ以上居座るなら恋人関係を解消するって兄さんが言うなら、私も諦めて自分の部屋に戻るけど?」
笑顔で言う美春は、ここで俺が部屋に帰れと言うとは微塵も考えていないのだろう。
悔しいけれど、実際にそんな事を言う気にはなれなかった。
「……別に邪魔ってわけじゃない」
観念してそう言うと、美春は満足そうに小さく頷いた。
「うん、知ってる」
「知ってるのかよ」
「兄さん、嫌な時は顔に出るから」
それはそれで不本意だ。
そしてまた、ページをめくる音と、エアコンの静かな駆動音だけが部屋に満ちる。
漫画を読みながら、横目で見ると、美春はスマホをいじったり、机の上を整えたり、時折こちらを見て微笑んだりと、落ち着きなくも穏やかな時間を過ごしていた。
こうして同じ空間にいること自体が目的なのだろう。
……これで美春が満足なら、此方としても別に文句はない。
「ねえ兄さん」
「んー?」
「明日、予定ある?」
「特にない」
即答だった。そもそも休日に予定が入ること自体が稀だ。
「じゃあさ」
美春は少しだけ身を乗り出し、期待を隠しきれない声で言った。
「デートしようよ」
漫画のページをめくる手が止まる。
「デート、ねぇ」
「うん。恋人なんだし、いいでしょ?」
理屈としては間違っていない。
「いや、でも俺たち普段から出かけてるだろ」
「買い物は兎も角、恋人になってからはまだ、遊びに行ってないでしょ?明日は恋人としてちゃんとしたデートがしたいの」
「ちゃんとした、ねえ」
「せっかくのお試し恋人なんだし、それっぽいこともしてみたいから。いいでしょ、ね?」
その言い方は、珍しくおねだりする子どもみたいで、妙に微笑ましかった。
「……で、どこ行くんだ」
そう聞くと、美春の目がぱっと輝いた。
「少し遠出したいなって思って」
「遠出?」
「うん。電車に乗って、のんびり行く感じ」
スマホを操作しながら、くるりと画面をこちらに向ける。
「水族館、どう?」
青く揺れる水の中を魚の群れが泳ぐ写真が表示されていた。
「水族館か……」
「静かだし、ゆっくり見られるし、兄さんでも疲れないよ」
「俺をなんだと思ってる」
「人混み耐性ゼロの陰キャ」
「否定できないのが悔しい」
良くわかっていらっしゃる。
美春はくすっと笑った。
「それにほら、水族館デートって定番でしょ?」
「まぁそんな感じはするな」
少なくとも俺の知る漫画やアニメの中では、デートといえば水族館か遊園地である。
「恋人が出来たら、一度は行ってみたかったんだよね」
にへら、と頬を緩ませる。ここまで楽しみにしているのを見ると、水を差す気にもなれなかった。
「……まぁ、いいんじゃないか」
「ほんと!?」
「遠出って言っても日帰りだろ?」
「もちろん。朝ちょっと早く出て、お昼食べて、夕方には帰ってくる感じ」
既に一日の予定が出来上がっているらしい。
「じゃあ決まりね。明日は水族館デート」
「はいはい」
「楽しみだなぁ」
そう言って、ベッドの上で小さく足をパタパタと揺らす。
漫画の続きを開きながら、俺は小さく息を吐いた。
……恋人、か。
まだあまり実感もないが、少なくとも明日は、少しだけそれらしい一日になりそうだった。




