第8話:ダンジョン
翌朝。
俺たちは簡単に装備を整え、街を出た。
防具商店で選んだのは、派手さより実用性を重視した軽装だ。
俺は動きを妨げないシャドウ向けの軽鎧。
プリシラはすでに純白のローブを着ているため、防御補助と魔力増幅を兼ねた装飾品――首元の聖印と、小さな腕輪だけを身につけた。
「なんか……それ、似合ってるな」
「え? そ、そう? あんまり飾りっ気ないけど……」
照れたように視線を逸らす仕草に、昨日よりも距離が縮まっていることを実感する。
向かった先は、街の北に広がる岩山地帯。
その奥、地面を裂くように口を開けた洞窟――
ダンジョン《グラン・フロウ洞》の入口だった。
冷たい空気が内部から吹き出してくる。
「……ここがダンジョンかぁ」
「初めてにしては、悪くない場所だ」
「ほんと? ちょっと暗くて怖いけど……」
「足元見てりゃ大丈夫。俺が前出る」
「うん。ヤマト君の後ろ、ちゃんとついてく」
そう言って微笑むプリシラに、胸の奥が少しだけ熱くなる。
「じゃあ行くぞ。ここから先は気を抜くな」
「了解。……初ダンジョン、ちょっとドキドキする」
俺たちは並んで、闇の中へと足を踏み入れた。
内部は湿った空気に満ち、壁の隙間から青白い燐光が滲んでいた。
足元では、砕けた骨や古い武器が転がっている。
俺は依頼書の内容を頭の中でなぞる。
「クエストの目的は二階層目の最奥にいるアンデット系のボス――《腐王グレイヴロード》の討伐だ」
「アンデット……お墓とかにいる、あれだよね」
「そう。斬ってもすぐ倒れない。でもここは初級ダンジョンだから大したことはないだろう」
プリシラは小さく頷き、杖を握り直した。
――そろそろ来そうだな。
そう思った直後、腐臭とともに影が立ち上がった。
骸骨兵。
ゾンビ。
アンデット系の魔物たちが、軋む音を立ててこちらへ向かってくる。
「来るよ、ヤマト君」
「あぁ。援護を頼む」
俺が前に出て敵を引きつけ、プリシラが後方から回復と聖属性魔法で支援する。
剣と光が交錯し、アンデットたちは一体ずつ崩れ落ちていった。
「……連携、ちゃんと出来てるね」
「ああ。いいペースだ」
ダンジョンを進む途中、広めの通路で別の冒険者パーティとすれ違った。
タンカー、近接アタッカー、遠隔アタッカー、バッファー、ヒーラーの五人構成。
装備も動きも、明らかに慣れている。
その背中を見送りながら、プリシラがぽつりと尋ねる。
「ね、ヤマト君」
「ん?」
「……あの人たち、五人だったよね」
「そうだな」
「普通、ダンジョンって……あれくらいの人数で行くものなの?」
少しだけ、不安そうな声。
「まあな。でも人数が多ければいいってわけじゃない」
「……私たち、二人しかいないけど」
「十分だ。信頼し合える二人なら、な」
プリシラは一瞬驚いた顔をしてから、小さく笑った。
「……そっか」
やがて俺たちは重厚な石扉の前で立ち止まった。
壁一面に刻まれた黒い紋様が、脈打つように淡く光っている。
「……ここだね」
「ああ。二階層最奥、ボス部屋」
俺は一度深く息を吸い、扉に手をかけた。
――ギィ……。
鈍い音を立てて扉が開き、冷気が一気に流れ出す。
広間の中央。
朽ちた玉座に座す、巨大なアンデッド。
骨と腐肉が絡み合ったその姿は、微動だにしない。
――静寂。
風の音すらない。
松明の火が、ぱちりと音を立てて揺れただけだった。
まるで世界そのものが、息を止めている。
俺は唾を飲み込む。
プリシラの指先が、かすかに震えた。
そして――
ごとり、と。
何かが“目覚める音”がした。
空洞だったはずの眼窩の奥で、
赤い光が、ゆっくりと灯る。
それは炎ではない。
意思そのものが、光になったかのような色だった。
アンデッドの王は、首をわずかに持ち上げ――
「……久方ぶりに、生者の気配を感じる」
地の底から響くような声。
一言一言が、重く、逃げ場を塞ぐ。
「されど――その娘。理より外れし在り方よ。作られし身でありながら、人の道を歩むとは……」
嘲りでも、怒りでもない。
ただ“事実”を告げる声。
「歪みは、正されねばならぬ。それが、この地を守る者の務め」
王は、ゆっくりと立ち上がる。
「娘よ。汝は“例外”だ」
空気が、軋んだ。
「故に――抹消する」
その瞬間、ダンジョン全体が淡く発光した。
壁、床、天井――あらゆる場所から黒い粒子が湧き上がり、王の身体へと吸い寄せられていく。みるみると身体が巨体になっていった。
「我は、墓守。理を外れし者を、再び土へ還す者なり」
圧が、跳ね上がる。
さっきまでの“ボス”ではない。
処刑者だ。
(……マズい)
本能が、そう叫んでいた。
「プリシラ、逃げ――」
そう言いかけた、その時。
「おーおー、なんだよこの雰囲気」
背後から、聞き覚えのある不快な声。
振り返ると、そこにいたのは――プリシラにセクハラしていた連中。
「なんだ、逃げんのか? NPC守るヒーロー様も、大したことねぇなぁ」
「ビビり君はお家に帰って嬢ちゃんとおままごとでもしてきな」
「アニキ! ここのボス俺たちが独占しちゃいましょうぜ」
俺は叫んだ。
「やめろ!! そいつは普通じゃない!! 今すぐ逃げろ!!」
だが、連中は嘲笑するだけだった。
「はぁ? 何言ってんだおめぇ……」
「こんなとこのボスが強いわけねぇだろボケカスがよぉ」
「あ、さては独り占めしようって魂胆だったなコイツ」
「先に倒して、報酬横取りしてやるよ!」
そして――セクハラ連中が、一斉に突撃した。
「……騒がしき塵芥よ」
腕が、ゆっくりと上がる。
次の瞬間
ガンッ!!
空間が、潰れた。
連中の身体が、まとめてぺしゃんこになった。
そして壁に、床に、無慈悲に叩きつけられる。
悲鳴は、途中で途切れた。
肉が砕け、骨が折れ、
“存在”としての形を保てなくなる。
「……弱き者よ。死を以て、理を学べ」
扉が、音もなく閉じた。
重い石の扉が完全に噛み合い、最後の隙間さえ消える。
外へ続く道は――もう、ない。
俺は一歩、無意識に後ずさった。
喉の奥がひりつく。
心臓の鼓動が、やけに大きく耳に響く。
「……ヤマト君……」
プリシラの手が、震えていた。
完全に、戦意を失っている。
(……どうする)
俺は必死に思考を巡らせる。
その時。
「……た、助けてくれぇ……」
かすれた声。
ボスの足元を見ると、下半身を失いながらも、かろうじて生きている連中のリーダーが、血の海の中で這っていた。
「なぁ……助けてくれ……」
(……)
正直、思った。
そのまま死ねばいいだろ。
どうせ、死に戻りすれば初期の街の教会で復活できる。まぁ、経験値の減少や装備の損耗はあっても、“存在そのもの”を失うことはないんだから。
――そう、思った。
だが。
「……おかしい……」
男は、必死に虚空を掴む。
「メニューが……出ねぇ……」
「ログアウトも……死に戻りも……なにもできねぇ……」
その言葉を聞いた瞬間、俺の血の気が引いた。
アンデッドの王が、低く、重く言葉を落とす。
「――ここは、汝らが知る“世界”ではない」
空気が歪む。
システム音も、警告表示も、何も出ない。
「生も死も、再起も救済も……この場では意味を持たぬ」
背筋に、冷たいものが走った。
「此処にて斃れし者は、ただ“消える”のみ」
(……まさか)
嫌な想像が、脳裏をよぎる。
――ここで死んだら。
キャラデータ、ロスト?
――復活しない。
――戻れない。
――最初から、いなかったことになる。
ゲームの常識が、静かに、だが完全に否定された瞬間だった。
この世界のNPCは死ぬと二度とリポップしない。
その仕様がこの空間でプレイヤーにも適応されたってことなのか?!
《エコーズAI》
“進化し続ける人工知能”
ここで死ねば終わりだ。
――俺も、プリシラも。




