第7話:メインストーリー
プリシラの家の食卓には、温かな湯気が立ちのぼっていた。
中央に置かれた大鍋には、香草と根菜をじっくり煮込んだシチュー。淡い黄金色のスープは澄んでいて、柔らかく煮崩れた野菜と肉が静かに沈んでいる。木皿に盛られた丸パンは、表面が香ばしく焼けていて、割るとふわりと湯気と小麦の香りが広がった。
脇には、刻んだ野菜を軽く漬けたマリネ。酸味は控えめで、素朴ながらも丁寧な味付けが伝わってくる。
「……どうぞ。あまり、豪華なものじゃないですけど」
「いや、十分すぎる」
一口食べて、思わず息を吐いた。
派手な料理じゃない。だが、ちゃんと“生活”の味がする。酒場の賄いとは違う、誰かのために作られた料理の味だった。
「よかった……」
安堵したように微笑むプリシラは、向かいの席に腰を下ろす。
しばらくは、食器の触れ合う音と、窓の外を撫でる夜風の音だけが部屋を満たしていた。
やがて、プリシラが思い出したように口を開く。
「……さっき話していた、メインストーリーのことなんですけど」
「ああ」
「十二の国、ですよね?」
プリシラは指を折りながら、順番に口にする。
「北の 《グラニス》、砂漠の 《レファール》、海洋国家 《ネレイア》、森林の 《エルディア》……、山岳の 《ヴァルド》、機工都市 《クロノス》、聖都 《ルミナ》、辺境の 《バルガス》……、氷原の 《フロスト》、火山の 《イグニス》、交易国家 《セレスト》、そして私たちがいる中央王国 《アウレリア》」
淀みのない列挙に、内心で小さく驚く。
――やはり、NPCにとって世界設定は“知識”ではなく“常識”なのだ。
「そうだ。俺たちプレイヤーは、最初からどこかの国に属しているわけじゃない。冒険者として各地を旅して、依頼を受けて、問題を解決して……そうやって実績を積んでいく」
「はい」
「国ごとに事情も立場も違う。魔物に悩まされている国もあれば、内乱や政治問題を抱えている国もある。冒険者は、そうした問題に関わりながら信頼を得ていくんだ」
プリシラは、真剣な表情で耳を傾けている。
「そして、ある程度認められると……その国から“所属”の話が出る。正式に国付きの冒険者になる、って形だな」
「国に仕える、ということですか?」
「そう。でも完全に縛られるわけじゃない。あくまで冒険者としての自由は残る。ただ、その国を代表して動く立場になる、って感じだ」
少し間を置いて、俺は言葉を続けた。
「で……そこからが次の段階だ」
「次の段階……?」
「――魔王討伐だ」
プリシラの目が、わずかに見開かれた。
「魔王……」
「ああ。この世界全体を脅かしている存在。どの国も、単独じゃ太刀打ちできない共通の敵だ。だから最終的には、各国で認められた冒険者たちが集められて、討伐隊が組まれる」
しばらく、静寂。
プリシラはスプーンを置き、静かに息を吐いた。
「……とても、壮大な話ですね」
俺は心の中で苦笑する。
この世界のメインストーリーを手がけている脚本家は、好感度を丁寧に積み上げたキャラクターを、容赦なく無残に殺すことで有名な――淵虚玄助。
英雄譚になるのか。
悲劇になるのか。
それとも、そのどちらでもない何かになるのか。
正直、俺にも分からない。
――いや、正確には「まったく知らない」わけじゃない。
開発中、偶然メインストーリーの設定資料に目を通したことがある。
各国の成り立ち、抱えている問題、想定されている分岐ルート……ざっくりとだが、確かに読んだ。
その中には、正直目を背けたくなるようなものもあった。
救われない国。
誰かの犠牲を前提にしか成り立たない選択。
善意が裏切られ、信頼が踏みにじられる展開。
「……これは、ひどいな」
思わずそう呟いた記憶がある。
ただし、それらはあくまで“予定稿”だ。
《エコーズAI》によって、この世界は常に変化する。
プレイヤーの行動次第で、物語はいくらでも歪み、書き換えられる。
だからこそ――
結末がどうなるのかは、今この瞬間も、誰にも分からない。
プリシラは少し考え込むように首をかしげた。
「……つまり、私たちは、その物語の中を歩いていく、ということですか?」
「そうだ。そして俺は強くならなければならない……お前たちNPCを守れるように」
プリシラはしばらく黙り込み、それから小さく微笑んだ。
「……どんな物語でも、ヤマトさんと一緒なら……私は、進んでみたいです」
冗談めかした口調だったが、その言葉は妙に胸に残った。
「……あれ? 今の、変でしたか?」
「いや。変じゃない」
変……ではないけど。
無意識に、俺は意識を内側へ向ける。
(そういえばプリシラって……)
そっと心の中で「メニュー」と念じると、視界が一瞬だけ淡く切り替わった。
半透明のウィンドウが展開され、プリシラのキャラクター情報が表示される。
年齢項目に目を落とす。
(やっぱり)
俺は小さく息を吐いた。
ウィンドウを閉じ、彼女へ視線を戻す。
「なぁ、プリシラ」
「はい?」
「もうそろそろ……“さん”付けは、いいんじゃないか?」
「え?」
きょとん、とした顔。
完全に予想外だったらしい。
「ど、どうしてですか?」
「だって俺たち、同い年らしいぜ?」
「え? あ……そうだったんですね!」
一瞬で表情が変わる。
驚きと納得が同時に押し寄せたような顔。
「それと敬語も。俺、あんまり気を遣われると……逆に気を遣っちゃうタイプなんだ」
「そ、そうなんですか……」
プリシラは視線を泳がせ、胸の前で指先をもじもじと絡めた。
「じゃ、じゃあ……」
一度、深呼吸。
「わ、分かりました……。あっ、わか……った」
言い直すたびに声が小さくなる。
そして、ほんの一瞬だけ俺を見上げてから、すぐに視線を逸らした。
「……ヤ、ヤマト……君」
その呼び方が口から出た瞬間、耳まで真っ赤になる。
「ど、どう……? へ、変じゃ……ない、です……か?」
語尾が完全に迷子だ。
敬語とタメ語がせめぎ合って、ぎこちない。
――正直。
やばい。
胸が、きゅっと音を立てて縮む。
可愛いとか、そういう軽い言葉じゃ足りない。
「……うん」
俺はなんとか平静を装って頷く。
「全然、変じゃない」
「ほ、本当ですか……?」
恐る恐る聞き返してくるプリシラに、もう一度しっかり答える。
「ああ。むしろ……その方がいい」
そう言うと、彼女はほっとしたように小さく笑った。
「……じゃあ、これからはそうしま……あっ、そうするね……!」
そう言って、また少し照れたように俯く。
その仕草一つひとつが、やけに眩しかった。




