第15話:エグゼア
俺たちは、それ以上その場に留まれなかった。
視線が、空気が、すべてこちらに向いている。
誰も声を上げないが、酒場には張り詰めた緊張だけが残っていた。
「……出よう」
俺がそう言うと、プリシラも無言で頷いた。
視線を伏せたまま、二人で酒場を後にする。
外に出ると、夜風が火照った頭を冷ましてくれた。
気づけば、足は自然と噴水広場へ向かっていた。昼間、腰を下ろして話をした場所だ。
噴水の水音は変わらない。
だが、街の空気は昼とは明らかに違っていた。どこか浮き足立ち、期待を孕んだざわめきが広がっている。
「……さっきの、何だったんだろうね」
ベンチに腰を下ろしたプリシラが、ぽつりと呟く。
「俺にも、分からない」
正直な答えだった。
力を使った感覚すらない。ただ、触れただけ。それなのに、あの結果だ。
「でも……助けてくれて、ありがとう」
プリシラがこちらを見る。
その表情には、怯えよりも安心が滲んでいた。
「……当たり前だ」
そう返した、そのときだった。
「……?」
周囲が、ざわつき始める。
人々が一斉に立ち止まり、同じ方向を見上げていた。
俺も釣られて、夜空を仰ぐ。
次の瞬間――
一筋の光が、王城の方向から天を裂くように走った。
燃えるような赤。
彗星の尾を引くように、夜空を一直線に貫いていく。
「……なんだ、あれ」
思わず声が漏れる。
だが、周囲はまるで違う反応だった。
「キャー! アルタイル様よ!」
「すっげぇ……! 生で見られるなんて!」
「かっけぇ……俺も早く守護者に選ばれたいぜ!」
歓声。憧憬。興奮。
夜空を駆ける光を見上げ、誰もが目を輝かせている。
戸惑う俺の横で、プリシラが小さく息を吸った。
「あれは……エグゼアだよ」
「エグゼア?」
「うん。クリスタルに選ばれた、守護者たち」
歓声、憧憬、興奮。
夜空を駆ける光を見上げ、誰もが目を輝かせている。
戸惑う俺の横で、プリシラが小さく息を吸った。
「あれは……エグゼアだよ」
「エグゼア?」
「うん。クリスタルに選ばれた、守護者たち」
プリシラは空を見上げたまま続ける。
「今の色からして……たぶん、最初期に選ばれた五人のうちの一人。アルタイル・フェニックス」
赤い彗星は、なおも夜空を走り続けている。
「エグゼアはね、クリスタルの加護によって一人一人が幾万の兵に匹敵するほどの力を持ってるの。彼はね、現れた魔物を一瞬で焼き尽くす炎の化身って言われてるんだよ。消し炭も残らないくらい」
「……そんなのがどうして」
「たぶん明日の星燈祭に向けて、だと思う」
プリシラは少し照れたように笑った。
「天啓の儀があるでしょ? それを知らせる意味もあるし……王都の周りに出た魔物を、一掃してるんだと思う」
「……へぇ」
「まぁ、私も実際に見るのは初めてだけどね。噂でしか知らなかったし」
そう言いながらも、プリシラの声には隠しきれない高揚があった。
――分かる。
正直に言えば、俺も少しワクワクしていた。
あれほどの存在が、この世界に“いる”という事実。その力。その象徴性。
人々が憧れる理由も、熱狂する理由も理解できる。
……それなのに。
胸の奥が、ざわついた。
痣のある場所が、じわじわと熱を持ち始める。
さっきの酒場のときより、はっきりした違和感。
(……警告、か?)
夜空を駆ける赤い光。
歓声に包まれる王都。
すべてがひどく美しく見えるのに――
俺の中の“何か”だけが、はっきりと拒絶していた。
その夜は、さすがに疲れが溜まっていた。
ベッドが一つしかないとか、そんなことを気にする余裕もなく、俺とプリシラは横になり――気づけば意識を失っていた。
そして翌朝。
――どんっ、どんっ。
窓の外から、にぎやかな音が響いてくる。
「……ん……」
重たい瞼をこすりながら、ゆっくりと目を開ける。
視界に入ったのは天井。
そして――隣に、プリシラはいない。
「……あれ?」
体を起こすと、微かに水音が聞こえた。
シャワーの音だ。
(……先に起きて、浴びてるのか)
そう思いながら、欠伸混じりに窓へ向かう。
留め金を外し、窓を開けた瞬間――
「うわ……」
王都の街は、昨日とは別物だった。
通りは人で埋め尽くされ、色とりどりの旗や布飾りが風に揺れている。
楽器の音、呼び込みの声、笑い声。
星燈祭当日。
街全体が、朝から浮き立っていた。
「……すごいな」
ぼんやりと眺めていると、
――カチャ。
背後で、部屋のドアが開く音がした。
「ヤマト君、おはよう」
振り返ると、そこにいたのはプリシラだった。
外出用の服に着替え、少し頬を上気させている。
「……あれ? シャワー、浴びてるんじゃなかったのか?」
「え? 私は入ってないよ?」
「じゃあ――」
一瞬、思考が止まる。
そのとき。
シャワー室の水音が、ぴたりと止まった。
「……」
嫌な予感が、背筋を走る。
次の瞬間。
――ガチャ。
湯気の向こうから、タオル一枚の女性が姿を現した。
濡れた金髪。
やたらと余裕のある笑み。
「あら、おはよ~タケルちゃん♡」
「……え?」
思考が完全に停止する。
「……ニーア?」
昨日、城門前で別れたはずの女神官。
そのニーア=ヴァイオレットが、なぜか客室のシャワーから出てきていた。
「……え? ニーアちゃん!?」
「うんっ。いや~、王都の宿のシャワー、なかなか良かったわぁ」
何事もなかったように言うニーア。
「……なんでここにいるんだ」
「ん~? 細かいことは気にしない気にしない」
「ニーアちゃぁん……!」
次の瞬間、プリシラが泣きそうな顔で抱きついた。
「ちょ、ちょっとプリシラ!? 濡れてるってば~!」
二人はもつれ合い、そのままベッドへ倒れ込む。
「うわっ――!」
タオルがずれ、白い肌と胸元が一瞬あらわになる。
「ちょ、見ないでタケルちゃん!」
「見てない! ていうか隠せ!」
俺は慌てて背を向け、壁を見つめた。
「ご、ごめん……でも……会えて嬉しくて……」
「もう、可愛いんだから」
ニーアは苦笑しながら、プリシラの頭を撫でた。
しばらくして場が落ち着き、ニーアは着替えを済ませる。
「で。二人とも、今日は何の日か忘れてないわよね?」
「……星燈祭だろ?」
「うん。まぁどっちかというとメインは天啓の儀なんだけどね。当然、見に行くんでしょ?」
そう言われ、断る理由はなかった。
俺たちは身支度を整え、三人で王城前へ向かった。
王城前広場は、すでに人で埋め尽くされていた。
無数の人影がひしめき、誰もが同じ方向――王城の上空に浮かぶ巨大なクリスタルを見上げている。立っているだけで、群衆の熱気が肌に伝わってくる。
正午が近づくにつれ、空気が目に見えない糸で張り詰めていくのが分かった。
「……すごい人だな」
「これでも毎年こんな感じらしいわよ。ルミナリアとは大違いね」
ニーアが軽く肩をすくめる。
やがて――
正午を告げる鐘の音が、王都全体に鳴り響いた。
それと同時に、王城の正門が重々しく開く。白と金の法衣をまとった老齢の男――教皇らしき人物が、高台へと姿を現した。
それと同時に。
「……あれは」
誰かの声とともに、ざわめきが一斉に空を仰ぐ。
王城上部、巨大なクリスタルを囲む回廊に、十数体の影が現れていた。
白と青のロングコート。目元を覆う金の仮面。無言のまま整然と並ぶその姿。
「エグゼアだ……!」
その名が、さざ波のように広場を駆け抜ける。
王城の縁に立つ彼らは、まるで動かぬ彫像のようだった。だが、その沈黙そのものが、圧倒的な威圧感と神聖さを放っている。
「うわぁぁ……!」
「守護者様だ!」
「本物だ……!」
歓声が爆発した。誰もが憧れの眼差しを向け、手を伸ばし、声を上げる。
「国を守る英雄様だ……!」
仮面の奥の表情は見えない。彼らはただ、王城の上から静かに広場を見下ろしているだけだった。
だが、その無言の佇まいすら、儀式の一部であるかのように感じられた。
やがて、教皇がゆっくりと両手を広げる。
「――星燈祭、天啓の儀を、ここに執り行う」
その宣言と同時に、王城上空の巨大なクリスタルが淡く輝き始めた。
青白い光は、呼吸するかのように脈打ち、次第にその存在感を増していく。
広場にどよめきが走る。
「……次の守護者はどんな人がなるんだろう? ちょっとワクワクしてきちゃった」
無邪気にそう言うプリシラの声が、やけに明るく響いた。
「あぁ……そう、だな」
曖昧に相槌を打ちながら、俺は胸元に走る違和感を無視できずにいた。
さっきから、痣のあたりが静かにざわついている。
――嫌な予感。
はっきりした根拠があるわけじゃない。ただ、感覚だけが警鐘を鳴らしている。
クリスタルに選ばれた者はエグゼアとなる。
クリスタルを守る守護者。
それはすなわち、国を守る存在であり、民にとっての英雄だ。
称えられ、崇められ、憧れられる。
誰もが選ばれたいと願い、誇りだと信じて疑わない。
――けれど。
脳裏に浮かぶのは、先ほど王城の上に並んでいたエグゼアたちの姿。
仮面に覆われた顔。感情の読めない沈黙。
英雄と呼ばれるには、あまりにも人間味が薄い。
(……本当に、“人”なのか? いや、NPCだと言われればそこまでなんだが)
強大な力を持つ集団。
民を守る象徴。
それなのに、なぜだろう。
俺の中では、尊敬よりも先に、拭えない違和感が湧いてくる。
胸の痣が、じわりと熱を帯びた。
まるで何かが訴えているかのように。
クリスタルの表面が、水面のように揺らいだ。
そこに――影が映る。
一人の人物の輪郭が、ゆっくりと、だが確実に浮かび上がっていく。
「そろそろ来るぞ!」
息を呑む音が、あちこちで重なった。
俺も、プリシラも、ニーアも、言葉を失ったまま見つめていた。
そして。
はっきりと映し出された、その姿。
ピンク色の髪。
白いローブの魔導士。
大きな杖。
見慣れた姿。
「……え?」
クリスタルに映っていたのはついさっきまで、隣にいたはずの――
――プリシラだった。




