第12話:女神官
馬車が揺れる。
その規則的な振動が、頭の中を落ち着かせてくれていた。
俺の隣にプリシラ、向かいにはニーアがだらけた姿勢で腰を預け、外を眺めている。足を組むと短い丈のローブが押し上げられ、すらりと伸びた生足が惜しげもなく覗いた。指先で気まぐれにリズムを刻みながら、小さな声で――讃美歌めいた旋律を口ずさんでいた。
俺とプリシラは、どちらからともなく黙っている。
プリシラは、三日三晩俺を看病していた疲れが出たのだろう。少し眠たそうに瞬きを繰り返し、気づけばその体重が、そっと俺の肩に預けられていた。
やがて、歌がふっと途切れた。
「ねぇ」
ニーアが思いついたような調子で言う。
「二人って……カップル?」
「カッ……プル!?」
プリシラがびくっと跳ね、顔が一瞬で赤く染まる。
「ち、ちが……っ、なにを言うんですか急に……!」
俺はその反応を横目で見てから少し考え、「……そうだと言ったら?」と返した。
「ヤマト君!?」
プリシラが勢いよくこちらを向く。
慌てふためく様子を見ながら、内心で思う。
ただの牽制だ。
説明も、詮索も、噂も、今の俺とプリシラには必要ない。余計なものを挟みたくなかった。
俺とニーアの視線が、一瞬だけ交差する。
「――フフッ」
ニーアが楽しそうに笑った。
「安心して。そんなに警戒しなくても、取って食ったりなんてしないからさ~」
(……助かった)
内心ほっと息を吐く。だが、彼女は続けた。
「ただね」
声の調子が、ほんのわずかに変わる。
「こちらの世界の住人と、向こう側の世界の住人……“らしき”者が一緒にいる状況って、ちょっと面白くてさ」
心臓が、一拍遅れて鳴った。
(……見透かされてる)
表情に出さないよう注意しながら、問い返す。
「……何か気づいてるのか? 俺のことについて」
「ん~? さぁ、どうだろうねぇ」
軽く流す口調とは裏腹に、視線は鋭い。
「私たちはプレイヤーたちと違って、その“メニュー”だっけ? みたいな便利な力で相手を覗けないからさ。正直、細かいことは分からない」
ニーアは、外からこちらへ視線を戻した。
「でも、君たちプレイヤーにあるはずの“神の加護”が、薄れつつあるってことだけは――感じるかな」
プリシラが、不安そうに尋ねる。
「神の……加護、ですか?」
俺も眉をひそめる。
(そんな仕様、聞いたことがない)
初心者向けの経験値バフのことか?
それとも一定レベルまでPKから身を護る保護のことだろうか?
思考を巡らせる俺をよそに、ニーアは指を立てた。
「神の加護っていうのはね……《世界循環》に“守られている”って状態のことなの」
「世界循環……?」
「そ。魂と存在を管理してる、この世界の大きな流れ」
あっさりとした口調で続ける。
「プレイヤーは本来、死んでも復活するし、欠損しても修復される。まさに“無敵”ね。そしてそれはこの世界の輪の“外”にいる存在だからできることなの。その存在証明こそが“神の加護”であると捉えてもらっていいわ」
そして
「でも――今の君は違う」
その一言が、静かに胸に落ちた。
「外にいたはずなのに……いや、“外にいるべき”存在のはずなのに、少しずつ“中”に引き込まれてる。すなわちこの世界に所属している証に、変わり始めてる」
プリシラが、ぎゅっと拳を握る。
「それって……」
「うん」
ニーアは、いつもの緩い笑みで言った。
「プレイヤーなら当たり前だった事象が、だんだん適用されなくなるってこと」
指を一本立てる。
「例えば――死に戻りできなくなる……とかね」
胸の奥が、冷えた。
ほんの少し言葉を交わしただけだ。それなのに、出会って間もないこの女性に、ここまで核心を突かれるとは思っていなかった。
「……ニーア」
「ん~?」
慎重に問いかける。
「君は一体、何者なんだ?」
「ただの女神官だよぉ~」
にこり、と笑う。だが、その軽さの奥に底知れない“何か”が潜んでいる予感だけは、否定できなかった。
「あ、それよりさ」
思い出したように手を叩く。
「自己紹介、まだだったよね?」
少し姿勢を正し、改めて言う。
「私は始まりの神殿アイギスで、新米冒険者に手ほどきをしてる神官――ニーア=ヴァイオレット。よろしくね♡」
「あ、ご挨拶が遅れました」
プリシラが丁寧に頭を下げる。
「プリシラ=エルフリーデンと申します。以前は――」
「あぁ、知ってる知ってる!」
ニーアが軽く遮る。
「酒場の店員さんでしょ? よく飲みに行ってたもん~。あそこの兎獣の軟骨、つまみに最高だよねぇ」
「あ、はい……」
少し驚きながらもプリシラは頷く。
「でも、実はそのお店は今は辞めてしまって……」
「あら、そうなの?」
「はい。今は冒険者として、ヤマト君と一緒に冒険しています」
「わぉ」
ニーアは楽しそうに目を細める。
「大胆な転職ねぇ。なかなか、そういう人いないんじゃない?」
「……そうですよねぇ」
プリシラは苦笑いし、照れたように笑う。
俺も、改めて名乗った。
「俺はヤマトタケル」
「オッケー、タケルちゃんね♪」
一拍、置いてから続ける。
「……お察しの通り、プレイヤー――だった」
「……だった、ね」
否定も肯定もしない調子だ。
「違和感は感じてると思う。だが悪いけど……今は事情を話せない」
プリシラも、黙って頷いた。
少しの沈黙。
やがて、ニーアが息を吐く。
「ふ~ん。そっかぁ」
あっさりした反応だった。
「まぁ、人には言えないことなんて、一つや二つあるもんだしね」
意味深に、にやりと笑う。
「そういう“秘密”があるところも……結構、魅力的だったりするし♡」
その言葉に、俺はますますこの神官の底が見えなくなった。
――軽い。
だが、決して浅くはない。
この旅路に、とんでもない存在が紛れ込んだ。そんな予感だけが、確かにあった。
そのあとも、馬車の揺れに身を任せながら、俺たち三人は他愛もない話を続けた。
立ち寄った街の噂話や、俺の現実世界での話、好きな食べ物の話まで。果ては「どこの酒場が一番当たりか」なんて話題にまで広がり、気づけばすっかり打ち解けていた。
最初はどこか遠慮がちだったプリシラも、いつの間にか俺と同じようにニーアへ砕けた口調で話すようになっている。
「いやぁ~、それでさぁ~」
ニーアが身振り手振りを交えて言う。
「ベル先輩ってば、いっつも怒ってばかりでさ。何かあるとすぐ私のせいにしたがるんだもん。ほんと困ったものよねぇ」
「それはニーアちゃんが日ごろからだらしないからでしょー。もう~」
そう言いながらも、プリシラは笑顔でツッコミを入れる。
まるで女子同士のガールズトークだ。
その輪の中で、俺だけが少し居場所を見失っていた。
「ねぇ?」
プリシラがこちらを見る。
「ヤマト君も、そう思うでしょ?」
「いやいや、私は悪くないわよねぇ? タケルちゃん?」
「へ?」
不意に振られて、思わず間の抜けた声が出た。
「あ、いや……悪い。聞いてなかったけど……うん、きっとニーアが悪い気がするわ」
俺の予感がそう言っている。いや、見たまんまの判断なんだけどな。
「はぁぁぁ!?」
次の瞬間、ニーアが勢いよく身を乗り出してきた。
「なによそれ! このっ、このっ!」
腕が回り、がしっと首を捕まえられる。
「ぐぉっ……く、苦し……!」
思わず呻く俺に、ニーアは余裕の声で言う。
「年上への礼儀がなってないタケルちゃんに、大人の敬いってものを身体に叩き込んであげてるのよ。大人しくなさい」
ローブ越しでも分かるほどの、過剰なくらいの柔らかさが顔に当たっている。
これは……色々とマズい。
「や、やめろ……! 当たってる、当たってるから!!」
「あははははっ! ヤマト君の顔おもしろーい!」
プリシラは最初、腹を抱えて笑っていたが――
「……ハッ」
俺とニーアの距離に気づいた瞬間、表情が一変した。
「ヤマト君っニーアちゃんっ! 今すぐ離れて!!」
急に顔を真っ赤にして叫ぶ。
「ちょっと距離が近すぎるよ! ニーアちゃん、さっき取って食わないって言ったのに! このままだとヤマト君が二つの意味で落ちちゃうから、早く離れてぇ!」
「え~?」
ニーアは楽しそうに笑う。
「なに、タケルちゃん。男の子のくせにこんなので落ちかけてるのぉ? もしかして――童」
「童貞じゃねぇっ!!」
「いいから離れて~!!」
わちゃわちゃと騒ぐ俺たち三人。
その様子を、御者はただ苦笑しながら、何も言わずに馬車を走らせ続けていた。
王都へ向かう道は、まだ長い。
だがこの旅は、思っていたよりも賑やかなものになりそうだった。




