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第1話:サービス開始

 あの日、大切な人を失ってから幾年が過ぎただろうか。


 俺――ヤマト・タケルは夜明け前の空を見据えていた。


 地平線の彼方から、黒い波が押し寄せてくる。

 世界中の王が国を越えて結集し、無数の軍勢を繰り出したのだ。

 松明の灯りが連なり、まるで大地そのものが炎に覆われたかのように揺らめいている。


 圧倒的な兵力差。

 我が王国は一万にも満たぬ民しか持たず、剣を握れる者は三千程度。

 勝ち目などあるはずがない。


 それでも――退くつもりはなかった。


 背後に立つ二人の臣下が、その決意を支えてくれている。

 血のように赤い髪を持つ少女と、蒼の瞳を宿す清廉な少女。

 幾度も死地を共に越え、この国を共に築き上げてきた仲間だった。


「……今日この瞬間から、俺は十三番目の王として、世界に挑み……世界を征服する」


 胸の奥から絞り出すように告げると、二人は同時に頷いた。


「えぇ、どこまでも付いていくわ」


 赤髪の少女が、強く頷いた。

 血潮のような瞳は、まるで燃える炎のごとく揺らめいている。


「私たちはもちろん、この国の民もあなたを信じています。だから安心して……ヤマト」


 蒼眼の少女が、静かに言葉を添えた。

 彼女の声は柔らかく、それでいて揺るがぬ強さを秘めている。


 俺は仲間と出会い、力を得て、国を興し――ここまで辿り着いた。そして今は国を背負い、世界に抗おうとしている。


 相手は十二の王、十二の国、そして一千万の兵。

 圧倒的な絶望……だがこの胸に灯る光は消えない。


「勝機はある。だってヤマト……あなたがいるんですもの」


 臣下の言葉に、胸の奥が熱くなる。

 俺がここに立てているのは、仲間がいたからだ。

 信じてくれた人々がいたからだ。


 ……ならば、俺は応えなければならない。


 俺はゆっくりと右手を掲げる。


 その瞬間、王都の上空が七色に染まった。

 闇を裂いて揺らめく――オーロラ。


 それはただの自然現象ではない。

 黎明の王を象徴する奇跡。

 絶望の闇を祓い、人々の胸に希望を灯す我らの旗印。


 広場に集った兵士たちが、息を呑んで空を仰いだ。

 民が歓声を上げ、涙を流し、声を枯らしてその光を讃えた。


 オーロラの輝きは国の隅々にまで届き、まるで大地そのものが黎明の光に包まれたかのようだった。


「行こう。世界を救う戦いは、ここから始まる」


 二人の臣下が力強く頷く。

 彼女たちの瞳に宿る決意は、俺と同じ。

 恐れも迷いもなかった。


 ――こうして黎明の王は世界に宣戦布告をした。

 十二の暴君を打ち倒し、世界に夜明けをもたらすために。



 たとえこの身が滅びようとも。



 ――――――――


 ――――――


 ――――


 ――



「よっし、これで……完成だ!!」


 誰もいない夜のオフィスに、思わず声を張り上げた。時計は午前三時を回っている。外は当然真っ暗だし、オフィスの照明も節電モードでほとんど落ちている。残ってるのは、俺のモニターから漏れる青白い光だけ。


 机の上にはエナドリの空き缶が山のように積み上がり、横にはぬるくなったカップ麺。会社のデスクなのに、どっからどう見ても不健康なオタクの巣窟だ。あぁ……これを上司に見られたら説教どころじゃ済まないだろうな。


 でもいい。どうでもいい。


 三日三晩、寝る間も惜しんで書き込んできたコードが、今ようやく動いたんだ。

 「EXECUTE」の緑文字が点滅するのを見た瞬間、思わずガッツポーズした。


「……これで俺は、最強だ。ふふふ……ふふふふふ……はーっはっはっはっはっは!」


 世界初のフルダイブ型VRMMO、《アストラル・エコーズ》。開発チームの一人として、このゲームに携われたことが俺の唯一の誇り。

 だけど、俺はテストプレイヤーでも、ディレクターでもない。ただの末端プログラマー。


 だからこそ“仕込む"ことができた。


 始まりの街の片隅で、ひっそり暮らすNPC。両親と三人暮らしの、極々普通の女の子。


 ……の、はずだった。


 けど今や彼女は、俺専用のチートキーだ。秘密の合言葉を囁けば、レジェンド級の武器や防具、スキル本、それに大量の高級消耗品……要は、最強へのフリーパスが俺に届く仕掛けになっている。


 会社にだってバレやしないさ。だってテスト環境と本番環境のミラーサーバーの間に“デッドリンク領域”を仕込んで、その中に特別なコードを隠したんだ。アクセス権限はroot権限を偽装したダミーアカウント経由、ログはcronで定期改竄、監査用の監視プロセスにはバックドアを潜らせてある。


 しかも実装時にはバージョン管理のコミットを時系列ごと書き換えて、俺以外が気づく可能性はゼロ。仮にコードを全部精査したとしても、そこには“存在しない”ことになってる。


 卑怯? ズル? ……それがどうした。


 俺はこの瞬間のために生きてきたんだ。《アストラル・エコーズ》の企画が動き出すって噂を耳にした、その日から。数年をかけてこの会社に潜り込み、末端のプログラマーとして泥をすすり、地を這い……それも全部“今日”のため。


 世の中の勝ち負けなんて、勝負が始まる前からもう決まってる。強いカードを握ってるやつが勝ちで、持ってないやつは負け。


 誰にも邪魔はさせない。この世界で俺は――最強になるんだ。


「……あとはサービス開始を待つだけか」


 そうつぶやくと、徹夜でガチガチの背中がようやく椅子から離れた。俺の目は赤く充血しているし、体は限界。

 でも、不思議と胸の奥は軽かった。


 これで俺は勝ち組になれる。その瞬間を思うだけで、徹夜明けの足取りもどこか軽いのだった。


 そして――ついにその日が来た。

 VRMMOアストラル・エコーズ、正式サービス開始。


 このゲームはただのゲームじゃない。世界初の量子型フルダイブMMO。量子コンピュータによって構築された演算領域は、従来のVRゲームの何百倍もの処理能力を持ち、無限に近い並列世界を同時に生成できる。


 その上で動いているのが、《エコーズAI》――NPC一人ひとりに、「記憶」と「感情」と「選択」を与えた、最新型の人工知能だ。テンプレートの返事しかしないモブはいない。街角でパンを売る商人でさえ、昨日の売り上げを気にし、家に帰れば家族のことで悩む。“人間と区別がつかないNPC”という売り文句は、決して大げさじゃなかった。


 その世界へ入るために必要なのが、《エコーズ・チェア》。見た目はハイエンドなゲーミングチェアを未来風にしたような、黒基調のカプセル型シート。全身を預けると、背もたれやアームレストに内蔵された無数のナノ・インターフェースが、皮膚と神経に微弱な信号を流し込む。頭にヘッドギアをかぶる必要もない。身体そのものをチェアに接続することで、神経伝達を遮断し、意識を仮想領域に“丸ごと”転送するのだ。


 初めて触れたときは、まるで病院の手術台にでも縛りつけられるようで不気味だった。だが慣れてしまえば、この窮屈さこそが「異世界へのゲート」を実感させてくれる。


 ――夢ではない。もう一つの現実だ。


 俺は深く息を吸い、エコーズ・チェアに身を沈めた。拘束具が音を立てて固定され、冷たい金属の感触が腕と足を締め付ける。背後で、量子同期装置の低い唸りが響いた。


「……接続開始」


 次の瞬間、意識は暗転し五感はすべて――虚空へと解き放たれた。


 《ASTRAL ECHOES》


 黄金に輝くタイトルロゴが、虚空を切り裂くように展開された。やがてその背後には、果てしなく広がる青空と、聳え立つ城壁、流れる大河、天空を舞う竜の影が現れる。視界は千の映像を同時に投影し、ただの“ゲーム”を超えた世界の存在を見せつけてきた。


 これが、俺が長い間準備してきた舞台。現実じゃ何者にもなれなかった俺が、ついに“最強”を掴む舞台だ。


 光の奔流が収まり、俺の視界に広がったのは――白亜の大理石で築かれた荘厳な神殿だった。天井は高く、ステンドグラスを透かして七色の光が降り注ぎ、床に神聖な紋章を描き出している。ここが《アストラル・エコーズ》の初期ログイン地点――始まりの神殿アイギス。


 視線を巡らせたその先に、ひとりの女性が立っていた。純白の修道服をまとった若き女神官。柔らかな微笑みを浮かべ、両手で聖印を胸に抱いている。


「ようこそ、旅人よ。ここはアイギス。あなたがこの世界で歩み出すための――」


 そう言って歩み寄る彼女の声は、驚くほど自然だった。テンプレートな台詞読みじゃない。間の取り方や抑揚が、まるで本物の人間と変わらない。これが《エコーズAI》……。開発中に何度も目にしたはずなのに、実際こうして本番と対面すると鳥肌が立つ。


 だが俺は、彼女に向かって手をひらひらと振った。


「悪いな。俺にチュートリアルは不要だ。ありがとな」


 ぽかん、と女神官の瞳が大きく見開かれる。まるで予想外の言葉をかけられた人間のように、しばし口を閉ざしたまま固まってしまった。


「……えっ……? あ、あの……えっと……」


 NPCのくせに、本気で困惑している。この反応ひとつで、《エコーズAI》がどれほど高度かが分かる。


 俺は少し意地悪な気分になり、問いかけてみた。


「そうだ、今サービス開始から何時間経ってる?」

「えっと……十六時間と二十分くらいですね。ずっとここにいるので、時間の感覚が曖昧になってきましたけど」


 女神官は一瞬目を伏せ、すぐに小さく指を折りながら答えた。正確な時間が即答で返ってくる。しかも迷い方まで妙に人間臭い。


「ぶっ続けで対応するのは大変だろう」

「……まぁ、正直ちょっと大変です。でも、それが私の役目ですから。こうして新しい旅人さんに会えるのは嬉しいことですし」


 彼女は控えめに笑ってみせた。疲れているように見せまいとする仕草に、逆に“人間っぽさ”が滲んでいた。


「しっかり休憩はとれているのか?」

「少しは……はい。合間を見つけてうとうとするくらいですけど……ベッドが恋しいのは確かですね」


 言葉の最後が弱々しくなる。まるで現実の新人シスターと雑談しているような錯覚すら覚えた。


「そういえば、ここは二交代制のはずだろう? もう一人は?」

「あぁ、それがですね……休憩から戻ってこなくて。多分、そのまま寝過ごしてるんだと思います。ウチの相方はほんとにおっちょこちょいで……」


 肩をすくめる仕草すら自然で、思わず笑いそうになる。


「……あ、でもご心配ありがとうございます。ちょうど落ち着きつつありますので、このあと起こしに行こうかと思います」

「そうか。あまり無理はしないようにな」


 女神官は驚いたように目を瞬かせ、それから小さく微笑んだ。


「はい……お気遣い、感謝します」


 俺は女神官に別れを告げそのまま神殿の大扉へ向かった。厚い扉が音を立てて開き、外の眩しい陽光が差し込む。


 始まりの街ルミナリア。白い石造りの城壁と尖塔が連なり、大通りには行き交う人々の声が絶えない。市場からはパンの焼ける匂い、鍛冶場からは鉄槌の音が響き、街全体が活気に包まれていた。


 すでに駆け足でレベルを上げた冒険者たちが、最新装備に身を包んで広場に集まっていた。仲間同士で戦術を語り合ったり、個人取引で値段交渉をしている姿は、まるで長年この世界で暮らしてきた住人のようだ。


 だが、その一方で――街のあちこちに「驚きの声」が溢れていた。


「えっ……このNPC、今俺の冗談に笑ったよな!? 今めっちゃ凄くねwww」

「この店員さん昨日ウチが買ったポーションのこと覚えてくれてるんだけどやばくない?!」

「武器商人に恋愛相談したらちゃんとしたアドバイスしてくれたんだが、まじですげーな」


 プレイヤーの半分以上は、まだ《エコーズAI》の性能に驚いていた。誰もが知っている「ただ決まったセリフを繰り返す人形」ではなく、NPCたちはまるで同じ時間を生きる住人のように振る舞っている。


 パン屋の主人は「今日は粉の仕入れが遅れててね」とぼやき、子供のNPCは「昨日転んでまだ足が痛いんだ」と膝をさすり、路地裏の老婆は「次の満月の日に孫が帰ってくる」と語る。そんな会話を目にするたびに、プレイヤーは足を止め、目を丸くし、やがて笑顔になってそのまま雑談を始めるのだ。


 広場の噴水では、プレイヤーとNPCが肩を並べて座り込んでいた。

「今日はどこまで行った?」

「西の森まで。でも狼が怖くて逃げ帰っちゃった」

 NPCの青年がそう苦笑し、隣のプレイヤーが「次は一緒に行こうぜ」と肩を叩く。その光景は、もはや区別がつかないほど自然だった。


 ――これが、《アストラル・エコーズ》。ただのゲームじゃない。もう一つの現実。NPCすらも“人間”として受け入れられつつある世界。



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