撥ねて、戻る【第陸話】
茶を飲み干して路地へ出た、その足の温みがまだ残っている。由比堂の戸が背で閉じる音は軽かった。軽いのに、心の芯だけは昨日より重く据わっている。壱の輪を得て、弐の輪の手触りを地下で聴いたばかりだ。往って、帰る——撥ねて、戻る。言葉は少ないが、からだの側がもう先に理解してしまった。
町はうす曇り、風は表通りの看板を撫でては、路地の裏で疲れを落とす。角を一つ、二つと曲がるあいだ、蓮は歩幅をわずかに狭め、足裏の砂粒まで聞き分けるように進んだ。ひと息ごとに、骨の奥の空洞が呼吸を受け取り、輪の芯に送る。壱は小さく深く、弐は撥ねて戻る。順序を違えれば、身は外へこぼれる——由比はそう言った。
人気のない裏手の空き地を選ぶ。昨日の公園よりも狭い。狭いことは、むしろよい。輪が大きさに甘えない。電柱とブロック塀のあいだ、うっすらと湿った土を確かめ、蓮は立つ。肩を落とし、目を閉じ、からだの中心に「椅子」を置くつもりで静かに座す。重力の言い分を聴く、という由比の言葉は、こういう姿勢のことだろう。
最初の輪は、昨夜と同じく小さく、深く。音は起こさない。次に、撥ね——往路。輪の縁を指先ほどだけ外へ押しやり、すぐに復路。戻す。
砂が、ごく小さく、雨粒のような音で返事をした。
もう一度、往路。今度は心のどこかで恐れが立ち上がる前に、復路。帰す。
息が合うと、撥ねは跳躍ではなく、文の読点のようにしか見えない。続く一文を読み間違えぬための、小さな印。輪は読むものだったのか、と蓮は不意に思った。
遠くで荷車が通り、軋む音が空き地の土に低く落ちる。輪の復路に合わせて、土の沈みがわずかにやわらぐ。撥ねすぎれば、音が立つ。戻りが遅れれば、恐れが増す。弐は、恐れの立ち上がる前に椅子を引く技、という由比の言葉が、いまは胸で具体の形になった。
ふと、塀の外を黒い影が横切った。車かもしれぬ。ここ数日の、あの視線の粗さに似ている。だが輪は細くあれ、と由比は言った。粗い視線は粗い輪を呼ぶ。細い輪は、世界に取り落とされる。
蓮は撥ねをさらに小さく畳み、戻りを深くした。往って、帰る。往って、帰る。
影は止まらない。止まらないならば、こちらも止まらぬ。輪は声ではないが、黙ったまま伝わるやり方がある。空気のほうが、先に解ってくれる。
息を三つ重ねたところで、輪の芯がひと段落ついた。汗は出ない。脈も荒れない。けれど、足裏の土の配列が、さっきよりも整って見える。視線の端で、電線が一度だけ鳴り、雲の下で止んだ。
これが日常なのだろう、と蓮は思った。騒がない、戦わない。恐れが起きる前に、恐れの椅子を片づける。壱で据え、弐で往復を覚える。輪の順序は、生活の順序だ。ここで躓けば、先へは進めない。
もう一度だけ、撥ね、戻す。輪の縁は、指でなぞる地図の川のように、勝手に道を見つけて流れる。戻りで、川は自分の源へ還る。往復の間に、からだの“中心”が、呼ばずとも名のある場所として応ずる。
そう、名はある。碑文に刻まれていた名である。ポコチン回天剣舞六連。
その名をこころの内で呼べば、輪は無闇に大きくせず、しかし怯まず、たしかに立つ。名が輪の外周を固定し、撥ねと戻りに秩序を与える。名は記号であって儀礼、儀礼であって護りだ。
遠くの信号が切り換わる瞬きが、まぶたの裏で分かる。撥ねを続ければ、やがて参の輪へ移る合図も来るのだろう。だが急げば順序を違える。順序を違えれば、身は外へこぼれる。
蓮は輪を畳んだ。畳むことも輪の一部である。畳み方の拙い者は、いつまでも戦いの中に居つづけてしまう。戦いは、輪の技ではない。輪は、居ることの稽古だ。
空き地の出口で、塀の上の雀が二羽、短く囀って去った。影はもう見えない。風は細り、冬の匂いが少し混じる。
蓮は背筋を伸ばし、歩いた。歩幅は狭く、しかし遠回りしない足取り。壱は据えた。弐は往復を得た。次は参——払って戻す輪、と由比は言った。払うのは誰かを斬るためではない、余計を払い、必要だけを残すためだと。
角を曲がる時、蓮は胸の内で小さく撥ね、深く戻した。見上げれば電線は、曇り空に一本の細い書を引いている。その書は声を持たないが、読む者には確かに読めた。——準備は整いつつある、と。




